潜入捜査

     ★☆★☆★


 あかるい陽光をうけるゆたかな自然のなかで、その建造物はひときわ輝いていた。

 荘厳な白亜の殿堂だ。ドーム状の屋根や尖塔せんとうの先端には金細工がほどこされ、東洋的な顔立ちの神々の物語を題材にした精密なレリーフが壁面や柱をかざる。自然と一体となった園庭には、指導者にしたがって複雑な姿勢をとる一団がおり、寺院のいたるところに、結跏趺坐けっかふざをくんで瞑想めいそうにふける人々の姿があった。新興教団ディヤーナ・マンディールが活動拠点とする、仮想空間メタバースのノード、カイラーサナータである。

 園庭に面した回廊に、右肩のでた白い法衣をきた男と、父娘とおぼしき男女の姿があった。

「そうでしたか、ではその事故でお嬢様は……」

 禿頭とくとうで、額にしろい三本線と眉間みけんに赤い点をえがいた法衣の男――ディヤーナ・マンディールのアドヴァリユ祭官であるクライド・パーキンス・サンカルパ――は、ゆったりと足をすすめながら親子をみた。

 恰幅かっぷくがよく、仕立てのいいスーツをまとった父親がおす車椅子くるまいすのうえで、上品なワンピースをきた娘は、あおいひとみを足元にむけたままかたいかおをくずさない。

 サンカルパは理解のある人間の表情をつくりながら、親子のアバターをスキャンした。彼らがさりげなく身につけた衣服やアクセサリに設定されたタグ情報はいずれも、一流ブランドの最高級品だとわかった。腐肉をあさるハイエナの視線を、おだやかな笑顔のおくにしまいこむ。

 入信希望者の応対は普段から弟子にまかせているサンカルパが、あえてこの親子に直接応対している理由は、彼らがこの国最古参の銀行につとめるエイブラム・ステインバーグとその娘エリカだという事実にほかならない。

「ええ。娘にはなんの落ち度もありませんでした。それなのになぜ、エリカはこんな目にあわなければならないのでしょう」

 悲痛なエイブラムの訴えをきいたあと、空をみあげたまま相手の気をひくのに十分な間をおいてから、サンカルパは口をひらいた。

カルマ、という言葉をご存知ですか?」

「いいえ。はずかしながらそういったことは不勉強で」

「すべての命は死後に別の存在として生まれかわるようさだめられています。死んだのちに転生して、そしてまた死んだのちに転生して、こうした無限の繰りかえしを輪廻りんね、とよびます」

「では私や娘も別のなにかであったと? ……その、前世で」

「ええ、おっしゃる通りです。そして、めぐる命の行いはすべて、善行も悪行も業として魂に刻みこまれていき、その業に応じて来世がきまるのです。つまりお嬢様の不幸は、前世での行いに起因するものでしょう」

「そんな、……あまりに理不尽だ。エリカはとても善良でやさしい娘です。はやくに妻を亡くしてから、ずっと支えあってきた、ただひとりの、かけがえのない家族です」

「わかります。かつての私もそうでした。なにをやってもうまくいかず苦しみつづけておりました」

 おおきくうなずいた僧侶そうりょは、同情をこめた視線で親子をみつめた。神妙な顔のエイブラムの拡張現実にさめた女性の声がひびく。

『ねえ、いつまで私はこの茶番に付きあえばいいの?』

『私がこの坊さんの気をひいておくから、ちゃちゃっと捜査をはじめてくれ。こういう場所はお嬢ちゃんにとって、家の庭みたいなものだろう? だが、この世の終わりみたいな顔をするのだけはわすれるな』

『潜入捜査ってこういうことなの? こちらから攻めるとかいっておいて、肝心の捜査は私に丸投げ?』

囮役おとりやくだって立派な仕事だとおもうが?』

『……ええ、ええ。そうでしょうね』

 エリカ・ステインバーグことクレア・モーリス捜査官は、片目をとじたエイブラム・ステインバーグことダニエル・バード上級捜査官をじっとみすえたあと、みじかく吐息をしてかすかな歌声を紡ぎはじめた。娘の様子に勘づかれぬよう、エイブラムは話に熱をいれる。

「なんでもやってきました、娘の治療のためにできることは。金をおしんだことなんてありません。……それなのに彼女は、いまだに指一本うごかすことができないのです」

「苦労されたのですね、随分と」

「娘のためにすることは、苦労とはいいません。私は絶対にあきらめない。あきらめたくない。何だってやってみせます、娘のためなら。本日ここにお伺いしたのも、そういう理由からです。……ええと」

「サンカルパです。ステインバーグさん」

「ああ、そうそう。サンカルパさん」

「サンカルパ、とはサンスクリット語で決意すること、を意味します。導師グルがさずけてくれた私のスピリチュアルネームです」

「なるほど。よい名前ですな」

 複数の不可視のクローラーをはなったクレアが、それらをあやつりながら、共有レイヤー上でつぶやく。

『随分と厳重ね、宗教団体のノードのセキュリティーにしては。軍事施設とか法執行機関とか、そういう場所なみのレベル』

 小学生のテストの採点をする教師のような口調でクレアがつづける。

『ひとつ気になるのは、信者たちが身につけてるペンダントよ。あれがたがいに特徴的なパケットを交換しあっているわ、なんなのかまではわからないけど』

『ふむ、ちょっとインタビューしてみるか』

 エリカが視線をかわしたエイブラムが、サンカルパのペンダントをみた。表面は複雑な幾何学模様がきざまれたそれは、陽の光をあびて黄金の輝きをはなつ。

「みなさんそのペンダントをつけられているようですが、なにか宗教的な意味があるものですか?」

「これはヤントラともうしまして、神聖な意味をもつ図形がえがかれています。門のようなものですね。精神をたかめ、修行の補助となります」

「ではみなさん普段から身につけていらっしゃるんですか?」

「そうですね。メタバースにいるときは身につけていただいております、つねに神の存在を感じられるように。さすがに現実世界にはもっていけませんが」

 なるほど、とうなずいたエイブラムがエリカをみた。

『そういうことなんだそうだ』

『修行の補助をする道具に通信機能なんて必要ないはずね』

『まったくだ』

 回廊のなかほどでサンカルパが立ちどまった。

「ご存知ですか? ヒンドゥー教の源流は、今から三千年ほどまえにうまれたバラモン教という古代の宗教にあることを。仏教やジャイナ教の神々も、バラモン教に由来しているのです」

「いえ、まったく」

「我々はディヤーナ・マンディールの教義は、ヒンドゥー教と仏教をあわせたものにちかいです。私たちは修行を通じ、あらゆる苦しみから解きはなたれた究極の状態、涅槃ニルヴァーナをめざします」

「それができるなら、なんと素晴らしいことか」

 サンカルパはしゃがんでエリカと視線をあわせると、おだやかに微笑ほほえみかけた。

「エリカさん、手にふれてもかまいませんか?」

「え、ええ……」

 エリカの右手を両手で包みこんだサンカルパは、まぶたをとじて何事かをつぶやきはじめる。眉根をよせたエリカがエイブラムをみあげた。

『ちょっと。この人、私のアバターに侵入しようとしてるんだけど』

『様子見だ。おかしなことをするようなら容赦なく反撃してくれ』

『……侵入の手段が幼稚だわ。こんなのにだまされるのなんて素人だけよ』

『まあ、君とくらべてもな。ああ、ほら、やっこさんが目をあけるぞ』

 瞼をひらいたサンカルパがエリカの手をはなす。肘掛ひじかけにのせられた彼女の手が、かすかにうごいた。

「エリカの、手が……」

 目をみひらくエイブラムの拡張現実でエリカが嘆息する。

『演技派ね』

『まあな』

「お嬢様のプラーナ、気の流れに干渉しました。お嬢様の麻痺まひは、事故によって生じた気の流れの滞りが原因です。身体のエネルギーの活性化をはかるハタ・ヨーガを通じてチャクラを活性化させ、とどこおったプラーナの流れを回復させれば、体は自然とうごくようになるでしょう」

「それで、本当に娘は……」

「かならず回復します、根気よく修行をつづけさえすれば」

 サンカルパは今日一番の出来の重々しい表情を作りあげ、ふかくうなずいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る