バディ

     ★☆★☆★


 白と、わずかに緑がかったあわい水色とで統一された清潔な空間には、さむざむとした人工の光がみちていた。

 音もなく自動ドアがひらく。じっと扉をみつづけていたクレアは表情をこわばらせる。白衣にそでをとおしながら処置室をでてきた壮年のサイバネティック医師アーロン・クラークは、クレアを見て目尻めじりしわをふかくした。

「モーリスさん。ご安心ください、シュリさんの処置は無事すべて完了しました。少々安静は必要ですが、六時間後には帰宅できます」

「そう、ですか……」

 車椅子くるまいすにすわったクレアが脱力した。

「損壊したパーツを交換した関係で皮膚の大部分をやりなおしました。見た目は痛々しいですが、明日の昼頃には安定しますから、包帯を取っていただいてかまいません」

「ありがとうございます……。よかった、本当に……」

「あなたのお力になるよう、ベネットから言いつかっております」

 うつむいて肩をふるわせるクレアに微笑ほほえみかけたアーロンは、待合室のすみに向きなおる。

「重大な損傷すべてに適切な応急手当がほどこされていたのが幸いしました。彼女をてくださったのはあなたですね?」

 視線のさきには、陰気な空気をまとった中華街の闇医者フレデリックの姿があった。興味なさそうに肩をすくめる反応に気分を害した様子もなく、アーロンはにこやかに右手を差しだす。

「フレデリック・リード先生。おうわさはかねがね伺っております。お会いできて光栄です」

「受け入れが完了したのであれば、かえらせてもらう」

 純度百パーセントの拒絶で背中をむけた凶相の男を、しめったクレアの声がよびとめた。

「リード先生。……本当に、ありがとうございました」

「礼にはおよばん」

 彼をよくしるものでなければ決してわからない程度に声の調子がかわる。

 立ちあがったダニエルが、フレデリックにならんだ。

「そこまでおくっていこう」


 煌々こうこうと照らしだされた院内を無言のままぬけたふたりは、時間外出入り口からそとにでて駐車場に辿たどりついた。フレデリックの車にむかう途中、暗号化された拡張現実でダニエルがたずねた。

『彼女に例のものは?』

『組みこんだ』

『手間をかけたな』

『造作もない』

 ダニエルを一瞥いちべつするとフレデリックは車に乗りこむ。龍のレリーフがほどこされたオイルライターで煙草に火をともしてから走りだしたセダンのテールランプは、景色にまぎれてすぐにみえなくなった。


 ダニエルがもどると待合室にはだれもいなかった。首をかしげてクレアに呼びかける。

『お嬢ちゃん、どこにいった?』

『メンテナンスルームよ。C15』

『了解だ』

 番号がしるされたドアをノックしてなかに入る。院内とおなじ色合いで統一された部屋の中央にはベッドがおかれ、顔を包帯でおおわれたシュリがよこたわっていた。ブランケットごしにみる彼女は、普段よりちいさくみえる。

 ベッドのわきで身動きひとつしないクレアにたずねた。

「ニーナとトレイヴは?」

「局にもどったわ」

「そうか」

 それきり会話はない。張りつめた空気をまとったクレアの背中をみつめていた彼は、みじかく吐息した。

「なあ、お嬢ちゃん。どうしてあのとき、ひとりであの男を追おうとした?」

「ひとりじゃないわ。シュリも一緒よ」

「彼女はガイノイドだ。君の盾になる以上のことはできない」

「わかってるわ。わかってるけど、でも……被疑者を、みすみすみのがすなんて……」

「父親を惨殺されたエレン・ジョゼフの姿が五年まえの自分とかさなったか?」

「な……っ」

「それとも猟奇的な殺人犯が、かつてミルキーオーシャン・サイバネティックス・テクノロジーズ本社ビル爆破事件を引きおこしたゲイリー・ストーンにみえたか?」

「どうして……それを……」

「すこししらべればすぐわかることだ。なにより、バディになる人物のことはよくしっておく必要がある。お嬢ちゃん、私たちは捜査官だ。どれほど非道な犯罪者が相手だとしても、つねに冷静に行動しなければならない」

「でもあの状況で――」

「――その反論は言い訳だ。君のあやまった行動がこの結果をまねいた。そこから目をそらしてはいけない」

「ええ、そうよ。……私がわるかったのよ。私さえしっかりしていれば。シュリをこんなひどい目に、あわせる、ことなんて……。私が、もっと……ちゃんとしていれば……」

 何度目かの大粒のしずくがつややかな頬をつたう。顔をそむけた彼女は、はげしく肩をふるわせながら、声をあげてないた。そのかたわらでダニエルは、無言のままたたずみつづける。

「なあ、お嬢ちゃん」

 彼がおだやかな声で呼びかけたのは、クレアの嗚咽おえつがデクレッシェンドして、いくらかの時間がすぎたあとだった。

「捜査官がバディで行動するのには意味がある。複数の視点があればより多角的にものごとをとらえることができるし、危険な任務であればおたがいの生存率をあげるだろう。だが一番大切なのはもっと基本的な部分だ。私たちにはそれぞれ長所があり短所がある。バディで行動すれば、短所は補いあい、長所は高めあうことができる。だがそのためには互いの信頼が不可欠だ」

 彼女はうつむいたまま、返事をかえさなかった。

「SWATやHRT隊員たちが市街地や屋内を対象にした近接戦闘CQBをおこなう際、味方の弾丸が顔のすぐわきをいくどとなく通過することになる。そんな状況でも彼らが冷静でいられるのはなぜか。信頼があるからだ。やつは絶対に自分を撃たない、あるいは、すぐちかくを射撃するが、奴は決して動じない、それがわかっているからだ」

 反応はない。ダニエルは次第に、思春期の娘を相手にする父親のような顔になっていく。

「だからだな、その……もうすこし私を信用してくれないか」

 彼がしゃがんで顔をのぞきこもうとすると、そっぽをむかれた。

「いい年した親父がはずかしいことをいってるんだ。なにかすこしくらい反応してくれないと、あまりにうかばれないぞ」

「はな」とくぐもった声がする。

「はな?」

はなをかみたいけど、かめないの。手伝って」

「そ、そうだったか。……どうすればいい?」

「シュリのベッドのヘッドボードにボックスティッシュがのっているでしょう。一枚をふたつ折りにして、私の鼻にあてたら左の方をおさえて」

 そむけたままのクレアの顔にこわごわとティッシュをもった手をのばした彼がいう。

「どうかな」

「すこし右。ちょっと、手をひっこめないで」

「しかしだな、こういう経験は――」

「――あなたは私のバディなんでしょう?」

「む。そ、そうだったな」

「もうすこし強くおさえて。そのまま」

 故意に盛大な音をたてて洟をかんだ彼女は、ぬぐい方にいたるまで仔細しさいな指示をだしてダニエルを翻弄ほんろうしつつ、鼻腔びこうがすっかり空になるまでそれを繰りかえした。

 顔をあげるとれぼったいまぶたに力をこめて即席の介助人をにらみつけ、数秒の時間がすぎたあとで目をそらし、早口な小声でつぶやく。

「もうすこしあなたを信用することにするわ」

「了解だ、これからもよろしくたのむ」

「……にやけた顔しないで」

「いや、これは地で――」

「――いいからこっちみないで」

 頭をかいた彼は立ちあがり、ななめ上方の宙空をみたまま口をきいた。

「これでどうだろうか」

「まあいいわ」

「じゃあ話をきかせてくれ。ピース・フォー・ファミリーズのノードが改竄かいざんされているのをみつけたのは、やはり五年まえの事件をおっていたからか」

「ええ、そうよ」

「なぜ今さらあの事件をおう必要があった? 解決ずみのはずだが」

「そのとおりね。私にもわからないわ」

「どういうことだ?」

「それは……」

「隠しごとはなしだ、お嬢ちゃん」

 しばらくのあいだ躊躇ちゅうちょしたクレアはやがて、おさない迷い子がたどってきた道を説明するような声をもらした。

「シュリが、そういったのよ……」

「彼女が?」

 ダニエルの視線のさきをみた彼女は首をふる。

「いいえ、人間のシュリよ。あなたはあの事件のこと、どこまでしってるの?」

「捜査報告書にのっていることはすべてだ」

「そう。じゃあ事件がおこったとき、私とシュリがどこにいたのかも?」

「お嬢ちゃんが所有していたノードに接続していたんだったか」

「ええ。事件の直前、あの子が私にいったの。これから自分たちをやく炎をおうようにって」

「お嬢ちゃんが捜査官になった理由はそれか?」

「そのとおりよ。失望した? ばかげた理由で」

「いや。動機なんて人それぞれだろう。あの途轍とてつもなくきびしい試練を乗りこえて捜査官の座を勝ちえたのであれば、まちがいなく本物だ」

「それなら、いいけど……」

 わずかにほおを上気させてそっぽをむいたクレアは、数度の深呼吸のあと、彼をまっすぐにみた。

「私たちを焼きつくす炎をおってください。五年まえ、あの子がそういった直後に事件がおきて、そしていま、あの子の言葉にしたがって調査している最中に、こんなことがおこってる。……なんだか落ちつかないのよ。ありえないことだけど、シュリはなにかをしっていて、それを私につたえようとしてたんじゃないかって」

「あの仮面の男、追跡をまこうとしたというよりは、お嬢ちゃんを誘いだして襲撃したようにおもえるんだが、ねらわれる心当たりはあるか?」

「ないわ。ただ、あの男、ピース・フォー・ファミリーズのノードをみつけたとき、あやしげな儀式を私にみせようとしていたみたいだったわ。そのあとも何度か、家のまわりでみかけた気がするのよ、車の事故のときとか」

「どうしてそれを早くいわない」

「だって、本当にあの男だったのかもわからなかったから。自意識過剰にもほどがあるでしょう? もしちがったら。……それに」

「それに?」

「みっともないし……、こわがってるみたいで」

 盛大にため息をついたダニエルは表情を引きしめて彼女と視線をあわせる。

「いいか、お嬢ちゃん。つぎから身のまわりで不審なことがあったら、かならず共有してくれ」

「……わかったわ」

 今度はあきらかに頬をあかくして、クレアが視線をそらした。

「まあ、お嬢ちゃんにとってただひとつ幸いだったのは、解決ずみのはずの事件が、ふたたび捜査対象になる可能性がでてきたということか」

「え?」

「解散命令がくだされてマハー・アヴァター・サマージが存在しないいま、ゲイリー・ストーンやエルトン・ウォルシュをたたえるような人物は、教団の元信者にしぼられるだろう。数々の不正があきらかになって求心力を失墜したマハー・アヴァター・サマージに、いまだ熱心な信仰心をいだいている人間がいる場所も、ある程度はかぎられてくる」

「ディヤーナ・マンディール?」

「そういうことだ。もし仮面の男のねらいがお嬢ちゃんだったとしたら、いまごろは襲撃に失敗したことに歯噛みしているだろう。攻められっぱなしもおもしろくない、こちらからでむくのもいいかもしれないな」

「出向く?」

「故兵聞拙速、未睹巧久也。

 夫兵久而国利者、未之有也。

 ながながと時間をかけて勝利をえようとするより、少々つたなくとも短期決戦に持ちこんだ方がいいということだ。さあ、やろうかお嬢ちゃん。今度はこっちが寝首をかく番だ」

 ダニエルは不敵な笑みをうかべた。

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