ダシェラ

     ★☆★☆★


 雑居ビルのエントランスをでた途端、クレアたちは大音量の洗礼をあびた。

 見物客でごったがえす通りの中央では、ほそい立ち襟でゆったりとした仕立てのクルタとよばれる服をきた男性たちの一団が、かずかずの打楽器ではやしたてるようなリズムを刻みだしてパレードを先導し、派手な電飾をほどこされた数台のフロート――飾りつけをされた乗りもの――の先頭車両が、積載したスピーカーから土の香りを感じさせるメロディーをきちらす。

 突然あらわれた光景に呆気あっけにとられる捜査官たちのまえを、数メートルはある全身にきらびやかなイルミネーションをまとった、どこかユーモラスな顔立ちの張り子の人形をのせた車や、黄金の冠をかぶって光りかがやくアクセサリを身につけ、物語の登場人物にふんした数名の男女をのせた何台かの車両がつづいた。夕暮れどきの街は異国の祭りの場と化し、せかえるほどの熱気につつまれている。

 ダニエルのぼやきが、現実の音に左右されない拡張現実で共有された。

『これは……、車までもどるのもひと苦労だな』

『まとまって動くのは無理よ。おのおの駐車場にむかいましょう』

 クレアの声にニーナが応じる。

『大丈夫なの?』

『シュリがいるから大丈夫。さっさといきましょう。時間がもったいないわ』

 またたく間に一行はちりぢりになり、車椅子くるまいすにすわったクレアからみえるのは、無数の背中ばかりになった。満足にすすむことすらできないばかりか、覆いかぶさってこられるような恐怖がある。

 軽率な判断を後悔しかけたときに、人混ひとごみがとぎれた。安堵の吐息をもらす。顔をあげたクレアは、むかいの通りからまっすぐにみつめてくる人物にきづいた。仮面の男だ。義憤とも憎悪ともつかぬ感情で全身が熱をおびた。

『ディラン・ベンソン氏を襲撃した男をみつけたわ! 追跡する!』

『おい、お嬢ちゃん。無理するな』

『みすみすみのがせないわ、私の位置をトレースして!』

 ダニエルの返答を無視して、となりをみる。

「シュリ、あの男をおうわ!」

「承知しました」

 クレアの接近をたしかめてから、男は歩きだした。一定の距離をたもちながら、なれた足取りであるき、角を数回まがる。仮装の一環だとおもわれているのか、男の仮面を気にする人はいない。

 男は次第にあるく速度を速めていく。一度降りむいてから、不意に走りだした。雑居ビルの隙間にある道に駆けこむ。

 クレアの車椅子は男をおって路地に入った。ロボット工学と生物工学の結晶である目が、一瞬で暗がりに適応する。うすよごれた細道に男の姿はなかった。

「どうしますか?」

「ゆっくりすすみましょう。にがさないわ、絶対に」

 息をころして、ふたりは慎重におくへとすすんだ。祭りのにぎわいがとおざかっていく。やがて道は、唐突におわりをつげた。三方を壁にかこまれた袋小路だ。

「……どういう、こと?」

「わかりません。ですが見落としはなかったはずです」

 周囲を確認していたシュリがうえをみた。音もなく仮面の男がふたりのきた道に降りたつ。壁を背にしたクレアの視線のさきで、幽鬼のごとき男の手にした蛮刀が、にぶい光沢こうたくをはなった。

『男と遭遇。してやられたわね。追いこまれたみたい』

『すぐにいく。すこしだけ持ちこたえてくれ』

 焦りのにじんだダニエルの言葉に透明な声音が応じた。

『クレアに危害はくわえさせません。この身にかえても』

 シュリが両腕をひろげて、クレアと男のあいだに立ちふさがる。

「だめよ、シュリ! あなたは人に手をあげられないの!」

「しっています。ですが、時間をかせぐことならできるはずです」

「……おねがい、やめて!」

「選択の余地はありません」

 シュリがしゃべりおえるまえに、男は大股おおまたに歩みよってきた。大上段に振りかぶった凶器をシュリめがけて振りおろす。

「駄目ーっ!」

 悲痛な叫びがひびく。かろうじてシュリは、蛮刀をもった右腕を両手で受けとめた。表情をかえることなく、だが懸命にあらがう菫色すみれいろひとみ一瞥いちべつした男は、わずかに力をぬいてバランスをくずさせ、腹を横薙よこなぎにりとばした。すさまじい勢いで壁にたたきつけられたのち、彼女が倒れこむ。

「シュリっ!」

 あきらかに常人のものではない力をふるった男は、シュリを睥睨へいげいするとクレアにむかって歩きだした。ふらつきながら起きあがったシュリが、そのあいだに割りこみ、透明な視線で敵をみすえる。

「もういいの! もういいのよ、シュリ。やめて、おねがい!」

「いいえ。その指示は受託できません」

 ふたたびの打撃。一切の躊躇ちゅうちょなく殴りつけられ、華奢きゃしゃな体が弾きとばされる。自分をまたぎこしていこうとする男に、なおもすがりつく。

 懇願するクレアに刻みこもうとするかのように、一方的な暴力が冷徹に繰りかえされた。何度打ちたおされてもシュリは無表情に立ちあがりつづけ、そのたびにひどい打撲痕だぼくこんをおい、着実に動きをにぶらせていった。

 数えきれないほどの打撃ののち、クレアの足元に倒れこんだシュリは、白金の髪を泥にまみれさせ、力のほとんどをうばわれてもなお、起きあがろうと必死にもがいていた。どれほどの絶叫ののちにもまだ、機械仕掛けのクレアののどはかすれることなく、いたましい声を響かせつづける。

 はげしい呪詛じゅその言葉と、憎悪にみちた視線をあびながら、男は左手でシュリの髪をつかんで引きずりおこした。手荒にあつかわれながらも、抵抗する意思をうしなわない彼女の首元めがけて蛮刀をかまえる。これからおこなわれようとしていることを察して、クレアがさけんだ。

 蛮刀がふるわれようとしたその瞬間、髪が引きちぎれることもいとわず渾身の力で束縛を振りほどいたシュリは、背後の車椅子めがけて飛びついた。男の手に数本の毛束をのこし、クレアを抱えこんで押したおす。虚をつかれた襲撃者の背後から超音速で飛来するものがあった。

 本来であれば肉体に穿入せんにゅうし、内部器官を破壊するはずのそれは、男の体を構成する金属部品と衝突して、にぶい音をたてて弾かれた。間髪いれず発射された無数の弾丸がきばをむく。男の背後には拳銃けんじゅうを構えた男女の姿があった。

 うつくしい射撃姿勢をたもって攻撃をつづけるニーナのとなりで、緊張した顔でトラヴィスも引き金をしぼる。無数の火花につつまれた男は、両腕で頭をかばうとふたりにむかって駆けだし、はるか頭上を飛びこえて夜の街に消えていった。

 クレアたちのところまで後退したニーナは、自身は警戒体制を解かぬまま、トラヴィスにふたりの様子をたしかめるよう指示した。

 トラヴィスがおそるおそる声をかける。子供のように泣きじゃくるクレアをその身にかばったまま、シュリはかたくまぶたをとざしていた。

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