ウィナーズメタバース

     ★☆★☆★


『普段からそうしてればいいのに』

『なんのことかな?』

『身だしなみ』

『仮想現実なら服をえらぶだけでいいが、現実でそうはいかないだろう? 手間と対価をくらべたら、あのくらいでちょうどいい』

『その主張は納得しかねるわね』

 肩をすくめたダニエルは髪をとかし、アイロンのあたったシャツに型崩れしていないジャケットをあわせていた。

 窓のそとをながれる夜の都市の明かりが、ライトアップされたバーカウンターにならぶグラスや、つやめくシートに光をおとす。リムジンの客室にひとりたたずむ彼は、まずいものをたべたようなかおで内装をみまわした。

『お嬢ちゃんやシュリならともかく、くたびれた親父の額縁をととのえたところで、だれもよろこばん』

『たのしんでおけばいいのに、あまりない機会なんだから』

 姿のみえないクレアの声が、彼の耳元だけにひびいた。

 ストレッチリムジンによる送迎は、ウィナーズメタバースのサービスの一環だ。デザートリゾート社に比肩する大手カジノ企業ウィナーズが仮想現実上に展開するカジノノード、ウィナーズメタバースは、一日にうごく金の額も規模も、そして提供されるサービスも、すべてにおいてメタバースに存在するその他のノードを凌駕りょうがする、カジノノードの最高峰である。

 車をおりて運転手にチップをわたしたダニエルは、きらびやかな電飾がほどこされたエントランスをくぐった。

 たかい天井からそそぐシャンデリアの光が、磨きあげられた大理石の床に反射する広大なロビーでは、中央の噴水にしつらえられた運命の三女神の彫刻が、ときおりポーズをかえながら、蠱惑こわく的な笑みで客たちを魅了しようとしている。白を基調にした瀟洒しょうしゃで落ちついた作りだ。行き来する人々もカジュアルな服装で、親子連れや老人の姿もあった。

 ダニエルは取引がおこなわれるフロアにむかって歩きだす。

「なんだってコンピューター・アンド・プラウドは、こんな場所を取引先に指定してきたんだ?」

「きづかなかった?」

「なにに?」

「入り口でアバターの装備はすべてスキャンされたわ。それにいまも、ひとりの行動がみっつのロガーで記録されてる」

「お嬢ちゃんはみつからなかったのか?」

「この程度のセキュリティーで私が発見できるはずがないわ。コンピューター・アンド・プラウドもね」

「えーっと、すまない。厳重なのかザルなのかどっちだ?」

「相当厳重よ。おかしなプログラムを持ちこむことなど、まず不可能でしょうね」

「何事もなく受け渡しが完了するなら大歓迎だ。潜入捜査用のIDだしな。カジノの連中に連邦捜査局がきたことをしられたくない」

 目的のフロアに到着したダニエルを、無数の音ときらびやかな光、そして異様な熱気が包みこんだ。

 みわたすかぎりにびっしりと、さまざまな種類のスロットマシンが、巨大な図書館をおもわせる秩序でならんでいるが、静けさとは一切無縁の騒々しさで、回転するリールが鳴りひびかせるメロディーや、大当たりをつげるファンファーレ、コインが吐きだされる金属音に、人々があげる歓声が入りまじって、感覚器におくられる情報を飽和させ、現実感をうばう。

 ダニエルは時間をかけて指示された台を探しだし、腰を落ちつけた。コインを投入してレバーをひく。するすると回転した絵柄は、ひとつとしてそろうことなく停止した。どれだけ辛抱づよい幸運の女神もさじをなげそうなえない表情のせいか、当たりなど永劫えいごうにおとずれそうもない。

 フロントで交換したコインがつきそうになったとき、不意に声がきこえた。やはり姿はみえない。

「はーい、どうもどうも。あなたの街の運び屋さん、コンピューター・アンド・プラウドだよ。おじさん、久しぶり」

「やあ、元気だったかな?」

「もちろん元気だよ。空とぶお姉さんは一緒じゃないの?」

「みえないところから私たちをまもってくれている。君に提案があるんだがいいかな?」

「提案? なにかいいこと?」

「いや、あまりいい話ではない。どうやら君がはこんでいるものを物騒なやつらが――」

「――ダニエル!」

 クレアの声で振りかえる。ベストを身につけた係員の男が拳銃けんじゅうをかまえたところだった。

 はなたれた数発の弾丸は、ダニエルに命中する直前でつぎつぎと速度をゆるめて空中で一瞬静止したのち、正反対のベクトルで発砲した男へと一斉に襲いかかる。かろうじてかわした男の背後にあったスロットマシンが破壊され、けたたましいアラームとともに大量のコインを排出した。いつの間にかすんだ歌声がひびいている。

 警報と悲鳴、避難誘導と逃げまどう客たちが錯雑し、たちまち大混乱の様相を呈したフロアに、偽装をといたクレアが姿をあらした。光沢こうたくのある素材で褐色の肌にはえる緋色ひいろのワンピースを身につけた彼女は、あわいブルーの清楚せいそなワンピースをきたシュリをしたがえ、車椅子くるまいすから襲撃者をにらみつける。

 好戦的な笑みをたたえた男の左手にも拳銃が出現した。二丁の銃から連続して発射された弾丸は、おのおのに複雑な曲線をえがき、ありえない軌道で全方位からクレアにせまる。あせることなく彼女は歌声で弾丸の進行方向をずらし、ととのえ、たばねて男に撃ちかえした。身代わりになった台が粉砕される。

 敵と火線をまじえながら、ダニエルのそばに発生した通信の解析をおえたクレアは、送り主に呼びかけた。

『ねえ、あなた。きこえる?』

『え? ……もしかして、空とぶお姉さん?』

『とんでないわよ、今日は』

『ボクの通信規格プロトコルに入ってきたの? どうやって?』

 男の手のなかで二丁の拳銃が解体され、突撃銃として再構築された。それまでとはあきらかに異質なおもい銃火がひらめく。苛烈かれつな弾幕は可憐かれんな調べによって一発残らずベクトルを変更され、レーシングカーをモチーフにしたスロットマシンのおかれた一画をまとめて撃ちくだいた。

『読みといたのよ、きまってるでしょう』

『あっは、すごい! お姉さんみたいな人、はじめて』

『よろこんでる場合じゃないわ。私たちの保護下に入りなさい。あなたは狙われてるの』

『ダメだよ。ボクは正体をしられるわけにはいかないんだ』

『そんなことをいってられる状況じゃないわ! 命にかかわるの』

 通信と戦闘を同時進行でこなす。はげしい銃撃のなかにあっても無表情をくずさないシュリをかばいながら、はなたれた弾丸に干渉し、軌道を変更し、自身の攻撃にかえる。

『それでもダメなんだ。この前も今日も、まもってくれてありがと。じゃね』

『まちなさい! まだ話はおわってないわ』

 男が手榴弾しゅりゅうだんを具現化させた。ピンをぬき、ダニエルのいる付近に投擲とうてきする。描きだされる旋律が複雑さをました。あおい光球が出現して円筒形の構造物をつつみこむ。光球が手榴弾とともに消滅するよりまえに、敵は姿をけしていた。


 歌声で発行されたクレアのコマンドに蜂の巣ホーネッツネストが応答する。

 連邦捜査局の接続室から没入したクレアはシュリとともに、ウィナーズメタバースで収集したコンピューター・アンド・プラウドの通信記録から、類似のアルゴリズムを検索していた。

『お嬢ちゃん、ちょっといいか?』

 現実世界からダニエルの声がとどく。

『なにかしら』

『私たちを襲撃してきたカジノの係員なんだが、いまさっき死体で発見された。自宅から没入して仕事をしていたところをおそわれたようだな。SCUBAに不正侵入の形跡がみつかった』

『SCUBAをうばった人物が襲撃者ってことかしら?』

『まあ、そうなるだろうな。こうなってくると前回も前々回も同一人物の犯行である可能性も考慮したほうがいい』

 蜂の巣が処理の完了をつげる。

『ダニエル、連れていってほしいところがあるんだけど、運転をおねがいしてもいいかしら』

『もちろんだ。で、どこにいく?』

『オチゴ郡よ』

『またとおいな。日帰りは無理そうだが、またどうしてそんなところに?』

『イーサン・クラインに会いにいくの。自分の目でみることが大切だっていったおじさんがいたでしょ、たしか』

 聞きおぼえがあるな、という返事をうけたあとで、クレアは仮想現実をはなれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る