かくれんぼ

     ★☆★☆★


 初代大統領の名がつけられた橋をこえて高架をいくつかくぐると、のどかな郊外の風景がひろがった。

 クレアとシュリを後部座席にのせたダニエルの車は、としおいた片側三車線の高速道路をひたはしる。彼方かなたにみえていた平坦へいたん稜線りょうせんを二度ほどこえたあとで高速道路をおり、ふるきよき時代をしのばせる景色のなかを二時間ほど走ると、目的の場所に辿たどりついた。

 施設名がしるされた木製の素朴なアーチをくぐる。フロンティア・ヴィレッジ、知的障害や発達障害をもつ人を専門とする、居住施設をそなえた教育機関である。

 シュリにかかえられて車をおりたクレアは、吹きぬけたすずやかな風に目をほそめた。正午すぎの日差しがそそぐ敷地は緑にかこまれ、シンプルで直線的なデザインの木造の建物がそこかしこにみうけられる。

 最寄りの建物からひとりの女性がでてきた。三十代なかばほどで眼鏡をかけており、あきらかに緊張した空気をまとっている。

「バードさんとモーリスさんですか?」

 ダニエルが右手を差しだす。

「おいそがしいところすみませんね。私がバードです。で、こちらがモーリス捜査官」

「はじめまして。コールともうします、ヴァネッサ・コール。イーサンを担当しています」

 ダニエルの手を握りかえした彼女は、クレアをみて微笑ほほえみかけたが、硬さはぬけていなかった。

「それであの……、イーサンがなにか?」

「なに、彼がつくったものについて話をききたいだけですよ。もしかしたら人の命をすくえるかもしれませんのでね」

「……そうですか」

 三人は、ようやく表情をやわらげたヴァネッサの案内につづいた。クレアとダニエルは、拡張現実で言葉をかわす。

『やはりしんじられないな』

『そうね、でもまちがいなくコンピューター・アンド・プラウドがつかっていた偽装プログラムの基本ロジックは、MITがこの施設にいるひとりの少年と共同開発したものよ』

『MITといえばお嬢ちゃんのクレアの卒業校だったか。情報処理研究の最先端だな』

『若干十二歳の少年のロジックが、彼らに共同研究を申しこませたのだからすごいわね』

『飛び級で入学して二年で卒業したお嬢ちゃんも相当だとおもうが。そんな子がどうしてこんな施設にいるんだろう』

『サヴァン症候群よ。知的障害や発達障害をもつ人がまれに、ある特定の分野に並外れた才能をもっていることがあるの』

『シーラ・クラインの弟のイーサン・クラインも、そうした天才のひとりだということか』

 間もなく四人は一棟の建物に入った。やわらかな風合いの木の廊下をとおり、ひとつの部屋のまえでヴァネッサが立ちどまった。

「ここがイーサンの部屋です。すこしお待ちいただけますか? 彼と話してきますので」

「ええ、もちろん」

 クレアの答えにうなずいた彼女は、すぐには部屋に入らず腕時計をみている。

「どうして時計を?」

「彼は予定外のことが苦手なんです。今日は二時にお客様がくるとつたえてありますので、その時間でないと調子がくるってしまうんです」

 二時かっきりにヴァネッサはドアをノックした。すぐにもどってきた彼女がクレアにつげる。

「あうのはモーリスさんだけにしたいそうです。よろしいですか?」

「もちろんですが、シュリもだめですか?」

「申し訳ないのですが、お客様はひとりだそうです」

「わかりました」

 ヴァネッサに導かれてクレアは扉をくぐった。

 木製のベッドとデスク、クローゼットがおかれた部屋はきっちりと片付いており、デスクチェアにすわった少年は目をとじ、ややうつむいている。

「イーサン、なにかあったらすぐによんでね」

 少年がうなずいたのを確認してから、ヴァネッサはそとにでていった。

 さて、どうしたものかとクレアはあたりをみまわした。物差しで計ったようにきっちりと整頓せいとんされた室内の様子が、居心地のわるさを倍増させる。ひとりでいいとは言ったものの、この年頃としごろの少年と話したことなどなかった。まして相手が目をあわせてくれないのでは、ますます話しづらい。深呼吸して迷いを振りはらった。

「こんにちは、イーサン。私はクレア・モーリスよ」

 ぴくり、と体をふるわせた彼は、おそるおそるという表情でまぶたをひらく。

「あなたがつくった偽装ロジックのことでききたいことがあるの」

 足元におちていた少年の視線が、次第にあがってくる。

「コンピューター・アンド・プラウドという電脳空間の運び屋のことをしらないかしら。その人はね、あなたのロジックをつかってるの」

 うすい緑のみどりがまっすぐにクレアの目をみつめる。彼は震える唇をひらいた。

「……やっぱり、て、天使さまだ」

「え……?」

「お、お姉ちゃん、ごめんなさい。……僕、天使さまに、う、嘘は、つけないよ」

 ゆっくり三回ほど呼吸する時間ののち、少年の背後にあったディスプレイが光をたたえる。

『しょうがないわね。イーサンがそういうなら、かくれんぼはこれでおしまい。こんにちは、空とぶお姉さん』

 あどけなさをのこした少女のかおがディスプレイのなかから笑いかけた。


「じゃあ、君がコンピューター・アンド・プラウドなのか?」

 イーサンに入室をゆるされたダニエルが、ディスプレイに問いかけた。

『あたしひとりじゃないよ。イーサンとふたりでコンピューター・アンド・プラウド』

「なるほど。もうすこしきいてもいいかな?」

『はなせることならいいよ。どうせばれちゃったし』

「シーラ、君はいま昏睡こんすいしてるんじゃないのか?」

『うん。現実のあたしはいまも病院でねむってる』

「ではここにいる君は?」

『よくわかんない。事故のあと、目がさめたらこっちにいたから。……んー、ちょっとちがうな。イーサンがね、あたしをおこしてくれたの』

「どういうことかな?」

『あたしが眠ったままだってしらされたイーサンが、いってくれたの。「お姉ちゃんは絶対おきるからSCUBAをつないで」って。看護師さんたちは、それでイーサンの気がすむならって、つないでおいてくれたみたい』

 うなずいたイーサンがおずおずとクレアをみた。

「……て、天使さま、僕わかってました。神さまが、お、お姉ちゃんを、……ねむったままになんか、なさるはずないって」

「そう……」

『おかげであたしはめざめることができたってわけ。イーサンはあたしをたすけてくれたの』

「お医者様はあなたがおきたことをしっているの?」

『しらないよ』

「治療すれば現実でもおきられるかもしれないのよ?」

『んー、べつにいいかな。現実だとこんな風にずっと一緒にいられないもん。それにほら、この子天才だけど苦手なことあるでしょ? そういうのをたすけられるのって、あたしだけなの、パパもママもいなくなっちゃったから』

「あなたは、それで、いいの?」

『現実はあたしにはさ』とシーラが声の調子をかえる。

『なんの取り柄もないし、夢も、目標も、なーんにもない。イーサンだっておなじ。現実はあたしたちを拒絶してる。でもこっちならさ、あたしたちはいくらでも自由にとべる。お姉さんなら、わかってくれるんじゃない? こういう気持ち』

「あなたのいうことはわかるわ、でも……」

 言葉につまったクレアにかわって、ダニエルが口をひらいた。

「どうして君たちはこんなことをしているんだ?」

『あたしたちを引きとったおじさんとおばさん、お金にしか興味がないんだ。だからあたしのお見舞いにきたことないし、イーサンはこんなところに閉じこめてほったらかし。あたしは別にどうでもいいけど、この子は特別なの。天才なの。いくらでもたかくとべるの。そのためには勉強するお金がいるの』

 それにさ、とシーラが笑みをうかべる。

『お金が十分にたまったら、パパとママの家で、また一緒にくらせるかもしれないでしょ? そうなったらあたし、おきてもいいな』

 ちかごろの子は随分しっかりしてるな、とさえない口調でこぼしたあと、ダニエルは表情を引きしめて、

「だったらなおさら自分たちの安全を第一にかんがえた方がいい。君たちがはこんでいるものをねらってる物騒なやからがいるんだ。いまここで受けとることはできるかな?」

『ううん。符号化ふごうかしたデータは、あらかじめ依頼人がきめた時間と場所でしか復号化できないの』

「えーっとつまりそれは……」

『つぎの取引までお待ちくださいってこと。三日後だよ。それから、五回受けとれなかったら、データ、きえちゃうからね。のこりあと二回』

 ディスプレイのなかで、シーラはほがらかにわらった。

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