初捜査

     ★☆★☆★


 すずやかな風がふいた。陽射ひざしこそつよいが、日のあたらぬ場所には秋が確実に根をおろしつつある。

 この都市の代表的な景観のひとつでもあるネオ・ゴシック様式で上下二層の巨大な吊橋つりばしは、建設から百数十年をへてなお交通の要所だが、今日はその務めを果たしきれずにいた。

 車線規制という動脈硬化を罹患りかんした車道をはしる車たちは脂質異常症の血液の様相を呈し、あちこちからきこえるクラクションや罵声ばせいが本来不要なはずのトラブルをまねいた結果、さらに流れがとどこおるという悪循環におちいり、都市の大動脈のひとつは壊死えし寸前である。

 オフィスをでるときには良好な活動をしめしていたクレアの思考も、事件現場となった橋のうえで数時間をすごしたあたりから、停滞しつつあった。

 交通渋滞とクレアの思考停滞の要因はおなじだ。検証をおえた鑑識はとうに引きあげ、横転したトラックが撤去されたのちもなお、三車線のうちのふたつを規制させたまま、独り言ともつかぬ言葉を繰りかえしながら襲撃現場をうろつくダニエルである。


 オフィスでのミーティングのあと、ダニエルは現場にいくと宣言するなり部屋をでていった。呆気あっけにとられていたクレアは、ついていくようニーナとトラヴィスにいわれ、あわててシュリとともにあとをおった。

 地下駐車場で追いつくと、助手席にのるように指示して彼は車をだした。

 目的地まで一キロメートルたらずの距離をはしるあいだに、ダニエルはニーナが集約した事件の情報の読みこみ、DTSのメンバーと通話、負傷者の入院する病院と鑑識、さらに市警察への連絡を矢継ぎ早にこなした。

 両手を自由にするために左膝ひだりひざでステアリングをあやつるという運転に度肝をぬかれつつ、父親もおなじことをしていたと思いだしたのも束の間のことで、クレアは取りつく島もない曲芸師のとなりで、操作をあやまらぬよう一心に念じるほかなかった。

 ところで、とダニエルがクレアの方をむいたときには、同時進行の用事はかたづき、左手にステアリングがにぎられていた。

「すまない、名前はなんだったかな」

「モーリスです、クレア・モーリス」

「そうそう、モーリス捜査官。私の要望としては教育係より、相棒バディとしてやっていきたいんだがどうだろう?」

「……そういわれても、いまいちピンときません」

「かんがえておいてくれればいい。かたくるしいのは苦手なんだ」

 まえをみたダニエルはスーツのポケットから煙草たばこを取りだすと、とめる間もなく火をつけた。立ちのぼる紫煙にクレアが咳払せきばらいをする。それを気にする様子もなく有害物質がふかぶかと吐息された。再度の謦咳けいがい、ちらりと彼女にダークブラウンのひとみをむけた彼が首をかしげる。そのまま正面に向きなおったため、三度目の咳払いをする。ようやく彼は、まっすぐに彼女をみた。

のどの調子が?」

「……いいえ。車内での喫煙は止めていただけますか? 私は受動喫煙の被害をうけたくありません」

「だがこれは、私にとってリラクゼーション作用をもたらす、必要不可欠な嗜好品しこうひんなわけだが」

「ニコチン摂取がおよぼす思考への悪影響、および副流煙による健康被害に関する論文が二百三十七みつかりましたが転送しますか?」

「わ、わかった……」

 娘にしかられた父親のような仕草に、さきほど感じたわずかな頼もしさが、見事なまでに四散していくのがわかった。


 現場に到着するとダニエルは彼女をおいて車をおり、交通規制をおこなっていた市警察の警官にIDを提示すると、鑑識にまざって検証をはじめた。

 横転したトラックの前面には無数の銃痕じゅうこんがうがたれ、運転手のひとりが殺害された場所にひろがる血痕けっこんと遺体の位置をしめすチョークがなまなましい。

 完全に取りのこされた格好となったクレアだが、検証に協力しようにも不自由な体ではままならない。なにかできることはないかと声をかけるも、すこしまってくれと返されるばかりで、邪魔にならぬようにおとなしくしているしかできなかった。

 通行規制をおこなう市警察警官の非難めいた視線は、時間をへるごとにけわしくなり、渋滞の元凶まで辿たどりついたドライバーたちは、ライオンのおりのなかにたてがみをつけた猫をみつけたようなかおを、二車線を占有するよれたスーツと車椅子くるまいすの二人組にむけた。

 市の交通局にむかったニーナたちから、犯行時間帯の交通管制システムの解析結果が共有された。そちらにいった方がよっぽど役にたてたのではないかとクレアがかんがえているあいだにも、市警察が聴取した生存者の証言がまとめられ、鑑識は検証結果を更新する。

 電脳空間上に事件現場を完全に再現するだけのデータがでそろうのと、この不毛な待機がとかれるのはどちらがさきだろうとクレアがおもっていると、不意にダニエルがちかづいてきた。

「この事件には不可解な点がふたつある」

 さんざんまたせて最初の一言がそれか、とおもいながらもクレアは平静をよそおう。

「不可解ですか? バードさん」

「これをどうおもう? ……あー、えーっと」

「モーリス、クレア・モーリス」

「うん、そうだったそうだった。モーリス捜査官」

 ダニエルは共有レイヤー上にさきほど撤去された貨物自動車の映像をよびだした。

 期待をこめた目をむけられ、クレアは躊躇ちゅうちょする。研修中は電脳捜査に専念させられたうえに、アカデミーで横転した車に対する感想をもとめられたこともなかった。

「横転……していますね」

「すばらしい。その通り、横転だ。君は実に筋がいいぞ」

「……それは、どうも」

「つまりこうだ。この襲撃者たちは、……なんというかな。そうそう。実に、へたくそだ。この手の大型車両が事故をおこすとどうなるとおもう?」

「大事故になります」

「またまた正解、本当に君は優秀だ。そう、おおきな事故になる。だからドライバーをサポートする優秀な機能がこれでもかと搭載されているわけだ。アンチロック・ブレーキ・システム、トラクション・コントロール・システム、スタビリティ・コントロール・システム。数えあげればきりがない。にもかかわらず、この車は横転した。それは一体どういうことだろう」

「襲撃によって許容性能をこえる負荷がかかったからです」

「三問連続で正解か、驚きだな」

 あまりに馬鹿馬鹿ばかばかしい質問の連続にからかわれているのかとおもったが、ダニエルはどこまでも真剣に講義をつづける。

「ではここで視点をかえよう。犯人たちはこの車の貨物を持ちさった。それはなんのためだろう」

「貨物をうばうことが目的だった。あるいは別の目的を隠蔽いんぺいするためにそうしたのでは?」

完璧かんぺきだ。どちらが目的だったとしても大切な積み荷なのに、この連中は襲撃時、あろうことか、そう簡単にはひっくり返らないトラックを横転させてしまった。そんなヘマをやらかしたらどうなる? 折角の獲物が傷物になりかねない」

「被疑者たちはプロの強盗ではありませんよね?」

「実に正論だ。そう。やつらは素人だから、こんなミスまでおかした」

 突然ダニエルが歩きだした。クレアはあわてて車椅子を操作して後をおう。

 トラックの映像がきえると、鉄骨が組みあわされた補剛桁ほごうけたの一部が衝突によって破損し、四十メートルしたをながれるイースト川の水面がのぞいていた。ダニエルが躊躇なく身を乗りだし、クレアは総毛だつ。

「桁の外側にまあたらしい傷がある」と共有レイヤーに彼の視点からの映像が差しこまれた。

「横転したトラックはここから荷室の後ろをなかば宙に突きだしてとまっていた。つまりこの傷は、襲撃者たちが荷室のリアドアから積み荷を運びだしたときにおとしたものがつけたんだろう。さて、奴らは一体なにをおとした?」

「……積み荷?」

「この間抜けどもはお宝を危機にさらしたうえに、一部をなくしてしまったわけだ。ところで君はニーナたちから報告された交通管制システムの解析結果をみて、どうおもった?」

「かなり手慣れた人間の仕業だと」

「なぜそういえる?」

「システムに侵入して、襲撃対象のトラックが橋のうえで孤立するよう誘導したうえで、襲撃後の足取りまで消去していますから。セキュリティーに一切ひっかかることなく」

「ではそんな連中が、殺人をおかしてまで奪いたいものを傷物にするような愚行をはらいたのはなぜだろう」

「それぞれ別のグループがうごいた、ということでしょうか」

「よくわかった。君は捜査官としての才能があるな。最初の不可解な点はそこだ。なぜ足跡ものこさず交通管制システムをクラッキングできるような腕のたつ連中と、お宝を台無しにしかけるような間抜けな連中が一緒にうごいている?」

「腕のたつクラッカーがメンバーにいるのではないですか?」

「トラックの誘導は土地勘がなければまず無理だ。よってクラッカーはこの町の人間か、よっぽどこの手の情報操作に精通している人間だろう。41アライアンスはサウスカロライナを拠点にしているうえに、自分たちはインターネット・ナチスでもキーボード・ウォーリアーでもないと標榜ひょうぼうしている、……まあ、なんというか、腕前はともかく自称実戦派だ。クラッカーが41アライアンスのメンバーとはかんがえにくい。つまり両者にはなんらかの利害関係があって、行動をともにしている可能性がたかいわけだ」

 さてつぎだが、とダニエルがふたたび歩きだした。アスファルトにチョークでしるされたのは、白人ではなかった、という理不尽な理由でひとりの男が命をたたれた場所である。

「殺し、というのは当然のことながら非常に罪がおもい。強盗をはたらいたうえに、殺人の理由が人種差別というのだから、まずまちがいなく極刑が求刑されるだろう。奴らの前科は確認したかな?」

「ジョナサン・グリフィスをはじめ、ほとんどのメンバーの地元で数回の傷害事件をおこして逮捕されていました。起訴まで持ちこんでも証拠不十分で陪審員が無罪としたケースがおおいようでしたが」

「そう。奴らは凶暴だが、地元で暴力をふるうのが関の山の集団だ。なのになぜ、この都市にきて殺しにまで手をだした。二番目の不可解な点がこれだ」

「『聖なる戦い』とやらのためでは?」

「いいぞ。聖なる戦い、実に魅力的な響きじゃないか。ではもし君が奴らだとして、国内でも有数の警備の厳重なこの都市で、あえて聖戦をしかける根拠はなんだ?」

「なにか、切り札をもっている……?」

「自然にかんがえればそうなる。人は損益をはかりにかけるものだ。ダイエットに成功するより、食べたいものを今たべるというインセンティヴがまされば、言い訳をしながらジャンクフードをたべるように。わざわざ損をする方をえらぶ人間はいない。奴らにとってその切り札は、住みなれた町からでて殺人をおかしてもなお、選択するだけのインセンティブをもたらすということだ」

「私たちがしらべるべきなのは、ジョナサン・グリフィスたちをうごかしたインセンティヴということですか?」

「それだけじゃない。クラッカーにも当然、間抜けな強盗たちと組んでもいいとおもえるだけのインセンティヴがある。それらをしることが、いかれた聖戦を頓挫とんざさせる第一歩になるだろう。よしつぎだ。マーリン・オリヴァーに話をきく」

「彼の聴取は市警察がもうおえていますが」

「知彼知己、百戦不殆。

 不知彼而知己、一勝一負。

 不知彼不知己、毎戦必殆」

 突然突きつけられたきいたこともない単語の羅列に、クレアはまゆをひそめる。

「なんですか? それは」

「孫子。紀元前五世紀ごろの中国の兵法書、つまり戦術書だな。なかなかに含蓄があるぞ。さすが河っぷちで何千年も文明をやっているだけのことはある」

「戦術書と捜査にどのような関係があるんでしょうか」

「さきほどの文章を今風に言いかえるとこうなる。

 敵のことも自身のことも熟知していれば、百回たたかったとしてもあやうくはならない。敵のことをしらず自身のことをしっているなら、勝利したり敗北したりする。敵のことも自身のこともしらなければ、たたかうたびにかならずあやうい」

「つまり敵と自身の情報がでそろっていればかならずかてると?」

「かつんじゃない。まけないんだ」

「……そう、ですか」

 まるでみあわない会話に辟易へきえきしていると、不意にダニエルがまっすぐな視線をむけてきた。

「研修期間中の君は大変優秀だったようだが、そんな君にひとつ大切なことをおしえておこう。事件がおこった場所はここにしかなく、のこされた情報は時間がたつほどに風化していく。自分の目で、耳で、肌でたしかめるんだ、捜査において、これ以上に重要なことはない。いこう、マーリン・オリヴァーの記憶がいろあせるまえに。……えーっと、なんだったかな。そうだ、モーガン捜査官」

「……モーリスです。クレア・モーリス」

 クレアが訂正したときにはもう、ダニエルは背中をむけていた。みじかくため息をもらし、シュリとともにあとをおう。


 ふたりがオフィスにもどったころには窓の透明度は不可視に設定され、ビル街にけずられながらも懸命に部屋の奥へと射しこもうとする日差しは、完全に締めだされていた。

 同僚を目前で殺害されて自身も重傷をおった男は憔悴しょうすいしきっており、聴取の最中に声をあげて泣きだすことさえあったが、そのコミュニケーション能力を普段から周囲にむけるべきではないかとおもえるほど、敬意をもって親身に、そして根気づよく向きあうダニエルに対して、思いだせるかぎりの情報を提供した。

 実は肉料理が好物だとコアラから告白されたような気分であとをついていくと、不意に振りむかれて声がでかけた。

「よし、今日はここまでにしておこう。なんといっても初日だ。えーっと……。そうそうモートン――」

「――モーリス、クレア・モーリスです。いい加減に覚えてくださいませんか?」

「もちろんそうするとも。君は私の大切な相棒バディだからな。さあ、明日からいそがしくなるぞ。よく体をやすめてくれ」

 いいたいことだけ言いおえるとダニエルはすばやく立ちさった。

 今朝オフィスをでたときと同様に呆気にとられていると、デスクワークをしていたニーナが微笑ほほえんだ。

「おかしな人でしょう?」

「訳がわかりません。言葉がつうじないのかと思ったら、参考人の話は親身にきけていますし」

「そのうえ人の名前は一向におぼえないし?」

「おやっさん、いまだにおれのことをトーマスとかテレンスとかよんでるもんな。一年以上一緒にやってTだけってことは、最低でもあと五年かかるってことか」

 神妙な顔で会話にくわわってきたトラヴィスに、ニーナはからかうような視線をむける。

「トレイヴィーにすれば一年ちぢまるわよ?」

「や、ほんと勘弁してください。姉御」

「まあ、トレイヴィーはほおっておくとして。よかったら夕飯にいかない? 研修中に本部の情報官たちの度肝をぬいたっていううわさにも興味があるし」

「ごめんなさい。ここの接続室ダイヴセンターになるべく早くふれておきたいんです」

「熱心ね。じゃあ明日は?」

「はい、明日なら」

「じゃあ決まりね。……ねえ、この支局でのあなたの初演、予約できるかしら」

「いつになるかわかりませんが、この調子では」

「いいの、気長にまつわ」

 初演? とつぶやいたトラヴィスが、ニーナをみた。

「ところで姉御、俺なら明日といわず今日も暇ですよ」

「あらそう?」

「ええ」

「なら明日までにたのみたい書類があるんだけど」

「……仕事……ですか」

「冗談よ。トレイヴィーの一押しのディナーにお相伴させていただけるってことかしら」

「いきなりハードルをあげてきますね……」

「まあそう堅くならなくても大丈夫よ。じゃあクレア、明日ね」

 笑顔でふたりの背中をみおくったあと、クレアは表情をひきしめて振りかえった。

「シュリ、接続室にいきましょう」

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