CTDのオフィス

     ★☆★☆★


 行政機関が集中したエリアにあるその広場は、かつて世界を震撼しんかんさせたテロリズムが発生した際、トリアージセンターとして使用され、おびただしい数の疲弊した負傷者たちの搬送先となった。

 周囲には合衆国指定の歴史登録財である裁判所庁舎をはじめとして、歴史的にも価値のある行政施設がかずおおく建ちならぶが、なかでも一九六九年に建築された約百八十メートルの地上高をもつ連邦ビルは、以下の三点においてその名がしられている。

 三番目に、最もたかい連邦ビルであること。

 二番目に、合衆国市民権・移民業務局があり、市民権を取得したものたちの宣誓式がおこなわれること。

 そして一番の理由は、この都市における連邦捜査局の支局があることである。

 数年まえの大幅な改修工事をへて、たがいちがいに配置された縦長の窓が整然とならぶ外観はそのままに、ハイテクノロジーを集約して生まれかわった建造物の二十六階、連邦捜査局が占有するフロアの一室に、クレア・モーリスの姿はあった。

 すべらかな小麦の肌にパンツスーツをまとった彼女が、邪気をはらう力をもつというオニキスのごときひとみを、午前九時の陽光が差しこむ窓を背にした執務机の男性にむける姿は、さながら日差しをあびる金細工のたたずまいである。クレアのかたわらには影のようにシュリが寄りそう。プラチナブロンドの髪をもつ彼女が、作りもののように澄んだヴァイオレットの瞳を中空にむけたまま、身動きひとつしない姿は、日陰におかれた白磁をおもわせた。

 インテリアをマホガニーで統一した執務室の持ち主リチャード・ベイカー主任捜査官は、現場をしりぞいても尚おとろえぬ闘志を、柔和な雰囲気と仕立てのいいスーツにつつみ、彼が指揮するテロリズム対策課Counterterrorism Divisionについてクレアに説明する。そのとなりで重機関銃のごとき存在感をはなつ直立不動の人物は、テロリズム対策課ドメスティック・テロリズム班のチーフであるアーネスト・クロフォード管理捜査官である。

「私からは以上だ。なにか質問は? モーリス捜査官」

 主任捜査官の言葉にクレアがこたえる。

「ありません」

「ではクロフォード管理捜査官、彼女をたのむ」

「了解」

 クロフォードがクレアを目でうながした。彼女は悠然と歩きだした上司のあとにつづく。

 ドアの向こうはテニスコードほどの部屋で、数十名の男女がワークステーションにむかい、あるいは言葉をかわし、せわしなく業務をこなしていた。タフさと正確さ、そして冷静さを並外れたレベルでそなえた、連邦捜査局の捜査官エージェントたちである。

 捜査官への道はせまく険しい。きびしい応募規定や体力測定をふくめた試験、数度の面接で選抜された応募者たちを待ちうけるのは、クワンティコのアカデミーでの二十週にもわたる苛烈かれつな訓練である。わずか数パーセントしかのこらないという最後にして最大の難所を耐えぬいたものだけが、研修期間ののちにようやく捜査官を名乗ることをゆるされる。

 彼らのあいだを抜けていく際に一瞬だけむけられる視線が、クレアに徽章きしょうのついたIDと携帯を義務づけられた制式拳銃せいしきけんじゅう、そして自身のハンディキャップの重さを感じさせた。振りかえって確認する。シュリの存在が心強かった。すこしばかり道はちがったが、自分も彼らとおなじ場所にたつ資格を勝ちとったのだ、クレアは正面をみすえる。


 オフィスの一角でクロフォード管理捜査官が立ちどまると、十名程の男女があつまってきた。連邦捜査局国家公安部、テロリズム対策課CTDドメスティック・テロリズム班Domestic Terrorism Section、通称DTSを構成する捜査官たちだ。

 つめたい水をまえにしたように、クレアの感覚が研ぎすまされる。電動でんどう車椅子くるまいすの駆動音がきこえる程度の、一瞬の静寂。感情を抑制することに熟練している彼らでさえ、困惑を掩蔽いんぺいしきることはできてなかった。

 視線移動による操作が可能な車椅子にすわったクレアは奥歯をみしめる。ある事件に巻きこまれて四肢麻痺ししまひをわずらった体は、いかなる治療をもってしても回復の兆候をみせることはなかった。なみはずれた身体能力を要する捜査官としては、致命的な弱点である。

「ロウ上級捜査官」

 DTSのメンバーをみまわした管理捜査官が、存在感とまったく同質の声音を発した。突入直前の現場のごとく空気が張りつめるなか、ひとりの女性が歩みでる。

「はい、ボス。……彼女が?」

「そうだ」

「了解よ、ボス」

 三十代中盤とおもわれる女性は、真夏の夜にさいた花のごとくクレアに微笑ほほえみかけた。クレアよりふかい色の肌と肩の位置でそろえられた髪の持ち主は、油断のない身のこなしをのぞけば、仕事もプライベートも充実したオフィスワーカーをおもわせる。

「ニーナ・ロウよ、よろしく」

「クレア・モーリスです。よろしくおねがいします。彼女はシュリ。私のドリーです」

「ええ、きいてるわ。よろしくね、シュリ」

「よろしくおねがいします」

 一切表情を変化させず返答したシュリにもクレアにしたように笑みをかえして、ニーナはあつまった捜査官たちをみた。

「みんな、彼女がモーリス捜査官。電脳捜査、および電脳情報戦のエキスパートよ。研修期間のうわさはきいてるでしょ?」

 クロフォード管理捜査官がもたらしたものとは正反対の作用がはたらく。なごやかな雰囲気のなか、クレアは同僚となる捜査官たちと挨拶あいさつをかわした。

「モーリス捜査官にはしばらくうちの教育係についてもらうわ。バード上級捜査官」

「ん? 私か?」

 返事をしたのはくたびれた中年男だ。リストラと同時にすべてのツキに見放された求職者のような乱れた髪とよれたスーツの男――ダニエル・バード上級捜査官は、だれにむかってともなく話しはじめた。

「いつ私はそんな大層なものになったんだ? まるで記憶にないんだが」

「ボスの指示よ。ダニエル」

「そうなのか? なら致し方ないか。よろしくな、えーっとなんだったかな……」

「私はモーリスです。クレア・モーリス」

「ああそうだった。ミス・モーリス。モーリス捜査官だな。うん、おぼえたぞ。これからよろしく」

「よろしく……おねがいします」

 クレアは、心待ちにしていたクリージングに手漕てこぎのボートがあらわれたような気分で応じた。

 トラヴィスと名乗った男性が手をあげる。ととのった顔立ちで金の髪をもつ彼は、よく人になれた毛足のながい大型犬のような仕草で、みどりの瞳をニーナへむけた。

「姉御、おやっさんがモーリス捜査官につくってことは、おれの担当から外れるんですよね。それってもしかして……?」

「トラヴィスはめでたく幼稚園キンダーを卒園ね」

「やった、俺も独り立ち――」

「――で、次は小学校エレメンタリーよ」

「え……?」

「これからはあたしが先生ってわけ。おわかり? トレイヴィー坊や」

「あ、そういう。……でもまてよ。これってチャンスか? いや、やっぱり残念なような……」

 投げ首するトラヴィスをみて肩をすくめたニーナが、手をたたいた。

「はいはい。ミーティングをはじめましょう。みんなあつまって」


 DTSのメンバーがクロフォード管理捜査官のデスク前方をかこむようにあつまると、ひとつ深呼吸してからニーナが話しはじめた。

「まずはモーリス捜査官、……かたくるしいわね、クレアってよんでいいかしら」

「ええ、もちろん」

「あたしもニーナでいいわよ。クレア、ここの拡張現実ARは設定してある?」

「はい」

「了解。じゃあ全員、DTS共有レイヤーをひらいて」

 指示されたレイヤーには識別子のふられたフォルダと管区の立体地図が表示されていた。ニーナのジェスチャーでロングアイランドにつながる橋のひとつが強調される。

事件一意識別子IUID5491cfe4-0005-42b7-9b02-f55b2aa2a36b、今日の深夜に発生した事件よ。国家犯罪情報センターNCICから集約した情報へのソフトリンクは共有ずみだから、詳細は各自参照して頂戴ちょうだい。概要としてはこんなところ。今日午前二時、総合サイバネティクス企業アスクレーピオス社の輸送車がブルックリン橋のうえで何者かに襲撃され、積み荷を強奪された」

「アスクレーピオス。ミルキーウェイ・サイバネティックス・テクノロジーズと並ぶ超大手ですね」

 トラヴィスの言葉にうなずいたニーナは、ふたつのプロフィールを展開した。

「二名の運転手のうち、オレガルド・マルシアルは死亡、もう片方は重傷をおったものの生存サヴァイヴ。――と、ここまでなら市警の仕事だったんだけど、生きのびたドライバー、マーリン・オリヴァーの証言から被疑者が浮上した時点でうちにまわってきたわけ」

 ニーナがさらにプロフィールを追加した。スキンヘッドで無骨な体躯たいく、顔にまで刺青いれずみをほどこした男が、いどむような視線を撮影者へむけている。

「ジョナサン・グリフィス。サウスカロライナを拠点とするネオナチ組織、41アライアンスのリーダー。ほかにも十名ちかくが襲撃現場にいたそうよ」

「サウスカロライナのネオナチがこんなところまでなにしにきた? クルージング、それともキャンプか? 今の時期なら――」

「――強盗のため、ではないでしょうね。すくなくとも」とニーナがダニエルをさえぎった。

「襲撃時に、ヒスパニックだという理由でオレガルド・マルシアルを射殺しゃさつして、ジョナサン・グリフィスは、こういったそうよ。――『これは聖なる戦いのはじまりだ』」

「我々のなすべきことはひとつだ」

 突然の管理捜査官の声で、ふたたび場の空気は一変した。

「ダニエル、やつらの計画を阻止しろ。これ以上無辜むこの血をながさせるな」

「了解だ、ボス」

 シンプルこのうえない指示で、くたびれた中年男が静電気のように闘志をおびる。クレアは、手漕ぎのボートにわずかな頼もしさをおぼえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る