第38話 白いキャビネット

 どうでもいいような聞き取りを終えて、ユーリィがアパートに帰った時は午前4時を過ぎていた。今、彼の中には徒労感しかない。あんな集団の仲間として扱われ、アリバイまで聞かれる始末。彼にとってはとんだとばっちりだった。早く着替えて眠りたかった。

 そうしてアパートの鍵を開けて部屋に入った時だ。彼は嫌な感じがして、息を止めた。何かが違う。

 

「誰かいるのか?」


 返事はない。しかし、部屋の空気がいつものものとどこか違う。

 テーブルにかけられたオレンジ色のクロス、大量の写真を保管しておく白いキャビネット、ソファに無造作に置かれたモスグリーンのクッション。

 普段と何も変わらないように見えるそれらの全てから、何者かの気配の残滓が感じられた。


「──誰が……」


 総毛だつのを抑えられない。誰かが留守の間にこの部屋に入ったのだ。泥棒だろうか。いや、こんなボロアパートにわざわざ空き巣に入るなど、どう考えてもおかしい。

 そんなことを考えながら、彼はキャビネットの引き出しを開ける。心臓がどくんと飛び跳ねた。


 キャビネットの中に整理され、しまわれていたはずの写真が、荒らされていた。日付ごと、場所ごとに分類されていたものがバラバラになって、引き出しの中に散らばっている。

 

 誰が、何のために彼の写真を物色したのだろう。恐ろしいというよりも気持ちが悪かった。

 しかし警察に届ける気にはならない。さっきまで不愉快な思いをさせられていた場所に戻るのも嫌だったし、大切な写真を警察に証拠品として渡すようになるのも避けたかった。


 ユーリィはキャビネットの中から写真を取り出して、もう一度整理しはじめた。そのうちにふつふつと怒りがわいてきた。大事な写真を汚されたような気がしたのだ。その後、怒りは徐々に悲しみに変わっていく。そのうちに彼の感情はすべてがごちゃまぜになり、最後には何も感じなくなっていた。ただ淡々と作業を続ける。


 その作業中に、ふと彼の手が止まった。

 大量の写真の中に、見覚えのないものが紛れている。


「なんだこりゃ……」


 無意識に彼はそう呟いていた。

 紛れていたのは、カタログに使うような背景が真っ白の写真だ。写っているのは消火栓やバイクに自転車、果てはドーナツ店の店頭のマスコット人形まで様々だ。

 確かにまだ駆け出しの頃は、チラシやカタログに載せるような人や物の写真を撮って小銭を稼いだこともある。だが、今はそんな仕事は受けない。そもそもこの写真に見覚えがない。


 誰が何のために彼の写真の中にこれを紛らわせたのか。一体どういう意味があるのか。考え始めると、徐々に気分が悪くなってくる。ユーリィは背中で何かがぞわりと蠢くような感覚に陥った。額に脂汗が浮かんでくる。そしてそのまま彼は意識が暗転するように昏倒した。

 

***



 目を開くと、部屋は薄暗くなっており、ユーリィはキャビネットの前に倒れ込んでいた。

一体何時間眠っていたのだろうか。

 のろのろと起き上がり、部屋の電気をつけて、彼は愕然とした。

 

 あれほど雑然としていたキャビネットの中の写真が、元通りになっているのだ。紛れ込んでいたはずの、背景の白い写真は消えていた。夢を見たのだろうか。


 だがしかし、部屋にはいまだに誰かが忍び込んだ気配が残っている。先程帰ってきたときにはまだ侵入者は部屋の中に残っていたのだろうか。そもそも何故そこまでしてこのキャビネットの中を荒らしたのだろうか。わからないことだらけだ。


 もしかするとこの写真の中に、本当に犯人が写り込んでいたのかもしれない。するとこのアパートに来たのはジョイスという事になる。ユーリィの首の後ろがうすら寒くなった。

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