第8話 真剣なまなざしに

 アンビカは決意が揺らがぬよう、その日のうちにキルフに電話をした。受話器の向こうのキルフの声は明るく、少しだけ不安げだった。

 彼の気遣うような、腫れ物にでも触るような話しぶりが気に入らなかったが、そうさせているのは彼女自身なのだと思うとやりきれない思いもする。


「できれば直接お会いして話がしたいのですが……」


 おずおずとキルフが申し出る。


「いいわよ。どこで、いつ?」


 キルフの嬉しそうな息遣いが聞こえてくるようだった。


「いつでも、どこへでも行きますよ。焦る事もありませんが、早いに越したことはないかと」

「なによそれ。充分焦ってるじゃない」


 キルフの答えに思わず吹き出した。つられるようにキルフも受話器の向こうで笑っている。声を出して笑うのは随分久しぶりの事のように思えた。深く考えずにこうして会話するだけなら、やはり彼とのやりとりは楽しい。


「お元気そうで良かった」

「おかげさまでね。あなたは?」

「あなたの声を聞けて元気になりました」


 そう話す声は言葉通り元気そうだ。

 飾らない、気取らない。彼女の周りにいる貴族の男たちとはまるで違う、そんなキルフの人となりが、アンビカの心をほどいていく。


「行きたいカフェがあるの。時間は取れる?」

「ええ。何なら今から。会議をすっぽかしてでも行きますよ」

「え、ちょっと……大丈夫なの?」

「大丈夫か大丈夫じゃないかは問題ではありません」


 そう軽く笑ってみせるが、銀行の相談役という重責を担う彼にとっては、想像できない程に大変な事なのだろうとアンビカは思う。


「本当に、無理はしないでよね。夜でも明日でも時間はあるんだから」

「僕は今、あなたに会いたいんですよ」


 真剣な声。どきん、と胸が鳴る。アンビカは自分にとってキルフがどのような存在なのかをまだ測りかねている。だが、彼女のためにそこまでしてくれるという事実は、明らかにアンビカの中で彼という人物の意味合いを大きなものにしていた。


「ありがとう。それじゃあ、無理のない時間でいいから迎えに来て。遅くなっても大丈夫よ。ちゃんと待ってるから」

「今から急いでいきますから、出かける準備をしておいて下さいね。それじゃ」


 笑いを含んだ声が優しく告げて電話は切れた。

 

 「やだ。本当に急がなくちゃ……」


 我に返って、アンビカは侍女を呼び支度を始めた。


***


 おおよそ1時間後にキルフがやってきた。アンビカの支度が済む頃合いを見計らっての時間だろう。それを裏付けるように、ルーティスが来客を告げた時に彼女は丁度準備が整ったところだった。


 燃えるような赤い髪を結い上げ、淡いミントグリーンのワンピースを涼し気に着こなしている。キルフが好きそうな色を選んだつもりだ。

 結局アンビカも、心の中ではキルフに会いたかったのだ。彼女自身がそれに気づくまで、長い時間がかかってしまったが。


「お待たせしました」

「タイミングはぴったりよ」

「そうでしたか。それなら良かった」


 キルフは満面の笑みを浮かべて、白い車の助手席のドアを開けた。彼女が乗り込んだのを確認して静かにドアを閉める。


「チェシェ通りを駅から南に5分程行ったところに──」

「ええ、フルーツパレスというカフェですね」


 キルフは得意げに言って車を発進させる。アンビカは目を見開いて彼の横顔を見た。


「フルーツが好きなあなたが好みそうなお店だと、以前から目を付けていたのですよ」

「あなたって私よりも私のこと詳しいみたい」


 呆れたような、嬉しいような笑み。門のところで車は一時停止をする。キルフが助手席のアンビカの方に向き直った。


「好きな人の事は、何でも知りたくなるものですよ」

「──え……?」


 驚いた顔でアンビカが横を向くと、真剣な表情のキルフがこちらを見つめていた。


 アンビカの胸が早鐘を打つ。キルフが好意を持ってくれている事は分かっている。それでもこうして改めて正面切って言われると、10代の少女のようにときめいてしまうのだ。


「さあ、行きましょう。午後になると混むらしいですよ」


 にっこりと笑ってみせ、キルフは再び前を向いて車を走らせる。

 何故自分はこんなにも自分を想ってくれている相手に不信感を抱いてしまうのだろう。そんなことを考えながら、アンビカは彼のオリーブ色の瞳をぼんやりと見つめた。

 

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