第9話 旧市街のカフェで
旧市街は新都心に比べて細い路地が多く、駐車場が少ない。車は大通りを抜けて、広場近くにあるアウシュ銀行の支店の駐車場に入る。駐車場係の男がキルフの姿を認めた。直立不動で挨拶をし、お辞儀をするのに対してキルフは手を上げ笑顔を返す。
「車はここへ置いて少し歩きましょう。店はすぐそこです」
差し出された手を取って車から降りると、アンビカも駐車場係の男に目礼をした。
二人がカフェを目指して歩き出すと、前方に人だかりが見えてきた。パトカーも3台停まっており、路地裏への道には黄色いテープが張られている。随分と物々しい雰囲気だ。
「どうしたのかしら」
「また出たそうですよ。ご存知ですか?」
「──ジョイス?」
「はい」
自然と声を押し殺してのやりとりになる。
アンビカは恐る恐る人混みの向こうを覗き込んだ。細い道にはグレーのビニールシートが張られており、その奥をうかがい知ることはできなかった。
シートの手前には数人のカメラマンや警官、そして黒髪で色白の青年がいる。
彼女は青年に見覚えがあった。
リシュアが不在だった時、ミサの日に警備に加わっていた人物だ。応援で来ているだけと聞いたことがあるが、本来の職務に戻ったらしい。
寺院の警備をしている時は穏やかな表情だったが、今は険しい顔つきでカメラマン達を追い払おうとしている。捜査が進まず苛ついているようだ。
「なんだか、大変なのね……」
思わず他人事のような言葉が口をついて出た。
「アンビカさんもお気を付けて。誰が狙われてもおかしくないのですから。夜のお出かけは控えて下さいね」
「……え?」
そんなキルフの真剣な口調に戸惑うアンビカ。彼女には直接関係のない事件と思っていたが、キルフのいう通りジョイスの標的はいつも無作為で、その刃が彼女に向かないという確証はないのだ。
アンビカは不安げな表情で小さくうなずいた。
「さあ、行きましょうか。折角お時間を頂けたのですから。嫌なことは忘れて楽しみましょう」
そっと背中に手を添えられ、アンビカは我に返ったように再び歩き始めた。
***
お目当てのカフェは、銀行から5分程歩いたところにあった。赤レンガ造りの小さな店は既に混んでいたが、幸い席はまだ空いていた。田舎風の素朴な造りの店内。木の床は良く磨かれ、しっとりと落ち着いた風合いだ。漆喰の壁には果物の静物画がかけられている。
「季節のフルーツタルトとアップルティーを2つずつ」
アンビカのリクエストをキルフが店員に伝えると、すぐに注文の品が運ばれてきた。タルトはとても美味しいのだが、これがとても大きい。これでもかという程に桃やメロンなどのフルーツが
そして食べても食べても、下のタルト生地が見えてこない。無限にフルーツの層が続くのかと思われた。
キルフとアンビカは思わず顔を見合わせて目を丸くした。無言でも互いの言いたいことは分かる。二人はくすくすと笑い出し、肩を震わせた。
「今夜は夕食が要らないかも」
「店の名に恥じない商品ですね」
そう言ってまた笑い、二人はタルトと格闘する。食べるのに夢中で、しばしの間無言が続いた後、ふいにキルフが切り出した。
「マニさんのことは残念です。あなたにとってかけがえのない人だったのでしょう?」
アンビカの手が止まった。
「乳母と言えば母親同然です。ましてそんなに長い間一緒に居たのですから、お別れをするのはさぞお辛かったかと──」
「あなたには関係のない話よ」
語気を強めてアンビカはフォークを置く。今はまだ心の整理がついていない、触れられたくない話題だった。
しかし一方で、今日はしっかりとキルフの話を聞こうと決めていた。どんなに腹が立っても、途中で席を立つつもりはない。アンビカは敢えてキルフの目を見つめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます