第34話 招かれざる客

 司祭はふとテーブルの上を見て呟いた。


「ワインが切れましたね。持ってまいります」

「司祭様、それでしたら私が……」

 

 そう言ったイアラを制して司祭が席を立つ。地下の貯蔵室から重いワインをイアラに持ってこさせるのは忍びない。


「私が飲みたいものを選びますから、イアラはタルトを切っていてくださいね」


 そう言われてしまうとイアラも黙って従うしかなかった。素直にうなずいて、アンビカの手土産のフルーツタルトを手にキッチンへ向かう。

 

***

 

 司祭はランタンを片手に廊下を歩いていた。まだ日は完全に落ちきっていない時間だったが、高地に建つこの寺院は暗くなるのが早い。ステンドグラスを通した色とりどりの光は、寺院の天井画を染めている。

 そんな薄暗い廊下に、コツコツと司祭の足音だけが響いた。礼拝堂の前に通りかかった時、ふと人の気配を感じて司祭は立ち止まった。


「──誰かいらっしゃいますか?」


 そんな司祭の声に応じるように、廊下の向こうで微かに人影が動いた。司祭は思わず身構える。


「あの……こんな時間にすみません。司祭様にご相談があって来たのですが、どこにうかがえば良いか分からず……」


 それは信者の訪問だった。司祭はほっと胸を撫でおろす。そして、一瞬でも警戒した事を申し訳なく思い、つとめて明るい声で返した。


「そうでしたか。どうぞお気になさらず、こちらへどうぞ」


 司祭は控室のドアを開けた。近付いてきたのはかなり恰幅の良い男だったが、申し訳なさそうに小さく縮こまっている。


 今日は降星祭の準備にかかりきりになっていて、昼過ぎ以降は礼拝堂にはほとんど顔を出していなかった。

 男はきっと長い時間ここで待ち続けていたのだろう。申し訳ないことをしたと司祭は反省する。


「お悩みを明日に持ち越すのは良くありません。よくぞお越しくださいました。お待たせしてしまって申し訳ございません」


 そう声をかけて男を控室へ招き入れ、灯りをつける。すると、何故かテーブルの上にブランデーの瓶とグラスが置いてあった。司祭は違和感を感じ部屋を見回す。


 するといきなり、後ろから羽交い締めにされた。


「──!」


 あまりにも突然の事だ。驚きで声が出ない。動けない状態のまま、目だけで部屋の中を見回す。姿は見えないが、控室の奥のロッカーの方に人の気配を感じた。


「待ちくたびれましたよ。警備兵から身を隠すのも大変でした。ご覧のとおり連れは少々目立ちやすいものですからね」


 控室の奥から姿を現したのは、ダリウス伯爵だった。司祭は息を飲む。


「何のつもりですか!」


 抗う司祭の体を丸太のような腕でがっちりと押さえ込み、大男はにやりと笑う。


「女みたいな顔をした優男の割に、意外と力があるな」

「司祭様、あなたがいけないのですぞ。あのように邪険になさるから、私もこのような乱暴な手段をとらねばならないのです」


 伯爵は至極残念そうにため息をつき首を振る。そうして、持っていた黒い革製のポーチの中から注射器を取り出し、司祭の腕に突き立てた。慣れた手付きは、彼が常習的に行っている事を思わせる。


 司祭は一瞬緩んだ男の手を振りほどき、ドアの方へ逃げた。しかしすぐに回り込まれ、再び捕らわれてしまった。必死で抵抗するが、徐々に四肢から力が抜け、意識が朦朧としてきた。

 先程打たれた注射のせいだ。絶望と恐怖に血の気が引く。


「まだ意識があるとは驚きですね。しかしこの状態で事に及ぶのもまた一興」


 伯爵はうっとりとした表情で、男の腕に捕らわれた司祭を舐めるように見つめる。


 常人よりも薬やアルコールへの耐性がある司祭だが、それでも足元がおぼつかなく、視界もぼやけてきている。余程強い薬を打たれたのだろう。


 大男が司祭をソファに投げ出し、そこに伯爵がのし掛かる。


「やめ……やめなさい!」


 伯爵の手を掴んで押し退け叫ぶが、それさえも伯爵の目には扇情的に映ることを司祭は知らない。抵抗しているうちに、二人はソファから落ちて床に転がった。


「活きが良いですなあ。これは癖になりそうです」


 意識が遠退きそうになるのを堪えながら、司祭は伯爵の手を払おうとする。しかしその手は容易く頭上に押さえ込まれた。

 伯爵は目を細め薄く笑うと、司祭のシャツを引き剥がした。ボタンが飛び胸元が破けて、司祭の白い肌があらわになる。


 ──助けて……!!


 そう叫ぼうにも恐怖で声が出ない。司祭は必死にもがくが、力の入らない手足は伯爵に容易に押さえ込まれてしまった。

 もう、どうしようもない。司祭は絶望のどん底に叩き落された。

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