第30話 爪に火を灯し

 その月から、予告通り貴族達からの入金は雀の涙ほどに減額された。更に、司祭が説く教えに反感をおぼえる信者たちはミサや礼拝に姿を現さなくなっていた。


 その結果、彼らが礼拝の際に蝋燭ろうそくを立てるなどして寄進していた金額も減り、最終的にひと月の収入は10分の1程になっていた。


 彼らは僅かな貯えを切り崩しながら、爪に火を灯すような生活を続けていた。今まで花を植えていた中庭にロタが菜園を作り、少しでも自給自足が出来るようにした。


 また、司祭は手持ちの希少本を手放し幾ばくかの収入を得た。それでもやはり生活は楽なものではない。イアラの言った通り、まさに兵糧攻めのような状態になりつつあった。


「やはり皆には苦労をかけてしまいましたね」


 司祭はイアラとロタに、申し訳なさそうに声をかける。紅茶の代わりに庭で採れるミントなどのハーブティーを淹れて、これから昼食の準備だ。


「こんなの、大した苦労じゃありませんよ。おいらが作った野菜が収穫できるようになればもっと楽しくなりますよ!」


 ロタは育ってきたジャガイモの苗に水をやりながら満面の笑みを浮かべた。


「内乱が激しかった時、食べ盛りの子供たちも抱えてやりくりしてきたんですから、このくらいどうということはないです」


 イアラはふすま入りのパンに、敷地内で採れた木いちごのジャムを塗りながら微笑んだ。司祭は嬉しそうにうなずき、彼らを優しく抱きしめた。



 しかし彼らの奮闘も空しく、貯えは減る一方。遂には底をついた。買い置きがなくなった小麦は予想以上に高騰しており、入手は困難だ。砂糖や塩などの調味料も尽き、彼らの主食は豆や雑穀の入った、味のないスープになった。


 また、ミサで使う大切な香はどうしても必要なものだが、高価すぎて手が出ない。それどころかあと数日で彼らは完全に食べるにも困る状態になるだろう。ロタの菜園はまだ収穫までに最低1か月はかかる状態だ。


「これ以上あなた達を飢えさせるわけにはいきません。こうなったら仕方がありません。元老院に手紙を……」

「いいえ、いけません。私たちなら大丈夫です」


 言いかけた司祭の言葉をイアラが遮った。自分たちのために司祭が折れるのはイアラの本意ではなかった。

 その時、ロタが一通の手紙を手に駆けてきた。


「司祭様。司祭様宛に手紙が届いていました」

「──手紙、ですか?」


 司祭は警戒気味にその手紙を受け取った。質の良い封筒にはやはり封蝋が施され、見覚えのない紋章が押されていた。

 差出人の名前を見て、ようやく司祭の顔から緊張の色が消えた。


「ダリウス伯爵、でしたか」


 ダリウス伯爵という名には覚えがあった。昔からの熱心な信者であり、今現在もミサに通っている。司祭が読み上げる旧版の経典にも嫌な顔ひとつせずに真っ直ぐに司祭を見つめ、耳を傾けている男だ。

 期待を込めて手紙を開き、目を走らせる。


「我々の現状を知り、伯爵が個人的に支援してくださるという事です。伯爵は旧版の経典に共感してくださっているそうですよ」


 自分の試みに共感し支援してくれる人物がいるということに、司祭は勇気づけられた。周りの二人も、手を取り歓喜した。


「それほど多額の支援は期待できませんが、節約しながらならば、ひとまずロタの菜園が育つ頃まではしのげるのではないでしょうか」


 司祭はほっとした様子で、イアラとロタを見つめて強く頷いてみせた。

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