第17話 忌むべきミサの後に

 それから5日後、ミサは予定通り行われることとなった。


 司祭は白地に金の刺繍を施したケープを身にまとい、ソファに座っていた。控室で件の経典を開いていると、ドア越しに信者たちが挨拶を交わす声が聞こえてくる。 


 礼拝堂へなど出て行きたくない。ミサの前には必ず湧き上がる強い思い。嫌悪感しか感じない言葉を、己の口が吐き出す事などとても耐えられなかった。ここから逃げ出して、ミサなど放り出してどこかへ行ってしまいたい。


 しかしそれは許されない事だった。ややあって、えんじ色の短いケープを羽織った、栗毛の少年がノックをして入室してきた。


「司祭様、お時間です。ご準備はいかがですか?」


 いつもと同じ言葉をかけられる。少年は以前会った時より少し背が伸びていた。それ以外は何も変わらない。何も。


「ええ、大丈夫です。参りましょう」


 静かに微笑み立ち上がると、司祭の中で何かが音を立て切り替わる。一切の感情を切り捨てて、「元老院が期待する司祭」になりきるのだ。

 深く沈み蒼ざめていた顔には、堂々と自信に満ち溢れた笑みが浮かび、眩いオーラがその身を包む。その姿は崇高で厳格で、冷淡だった。


 少年を伴い、澄んだベルの音と共に司祭は礼拝堂に姿を現した。足音も立てずに静かにゆっくりと祭壇へ向かう。焚かれた香とルニスの香りが混在し、礼拝堂の空気は清らかだ。


 司祭が皆に着席を促すと、オルガンの音が響きはじめる。宮殿から連れてこられて先代の司祭に育てられている頃から、ずっと続いているミサの流れだ。無意識に讃美歌は口をついて出る。


「今日は炎の天女のお話を致します」


 異教徒を焼き尽くす天女への賛美が、朗々と語られる。聞くものは皆魂を吸い込まれるような表情で、司祭の姿に釘付けになっていた。司祭は何も感じない。何も考えない。機械のようにただ忌むべき伝説を物語っていくだけだった。


「──神と天女に祝福されし我々ルナスの民に幸あらんことを」


 最後に司祭は優雅に微笑み目を閉じた。


***


 控え室に戻り、黒いパンツに白いシャツ、グレーのローブに着替える。そうして目を閉じると、司祭は大きく何度か深呼吸をする。

 途端に、麻痺していた感情が戻って来た。再び襲ってくる激しい自己嫌悪に、吐き気が込み上げる。咄嗟にシンクへと駆け寄るが、空っぽの胃からは何も出ては来ない。ただ苦い液体が喉を焼くだけだった。 


 司祭はシンクにもたれ髪を乱し、嗚咽する。忌むべき能力を持ち、人々に歪んだ教えを説く。そんな自分が当たり前のように生きている事が耐えられなかった。


 シンクの横に立てられたナイフが、司祭の視界に入る。思わず手に取り、己の腕に押し当てた。しかし突き立てようとしたその刃は、肌を切り裂く直前で動きを止めた。


 過去に数えきれないほど、何度も自分の身体を斬り付けた。しかし司祭の特殊な体質は、どこをどんなに深く刺しても、あっという間に傷が塞がってしまう。傷跡さえも残らない。残るのは大量の血と虚しさだけだった。今では己の血で寺院を汚すことすら罪深いと思えるのだ。


 司祭が取り落としたナイフが床に転がり、カランと音を立てた。


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