第13話 ダンスホールの二人

 移動した店は、広い木造りのダンスホールだった。二人はまずワインを飲み、踊る人々を眺めた。

 旧市街の民衆が親しむ庶民的な店で、踊っている中には屋敷に出入りしているチーズ屋、肉屋、酒屋などアンビカも良く見知った顔ぶれも混じっていた。彼らは皆、楽器の演奏に合わせてダンスに興じていた。彼らのダンスはお世辞にも洗練されたとは言い難い。しかし皆笑顔で楽しそうに踊っている。


 響くのはステップを踏む足音と楽しそうな笑い声、そして時々掛けられる掛け声だ。アンビカは目を丸くする。いつも自分が踊っているパーティでの整然とした退屈なダンスとはまるで違っていた。


「踊りませんか」


 キルフが手を差し出した。アンビカがその手を取ると。キルフがリードしながらくるくると踊り始めた。


 正直に言って、キルフのステップはそれほど上手ではない。型を崩した所謂庶民の為のダンスだ。とは言え、足を踏んだりつまずかせたりすることもなく、スマートにリードしてくれている。


 キルフは隣で踊るパン屋のおやじの頭から、帽子をひょいと拝借した。それを被ったりくるりと回して見せたり、ダンスの合間にふざけて見せる。

 アンビカも思わずくすりと笑って、彼の頭から帽子をとって自分の頭に載せた。キルフが声をあげて笑う。アンビカもつられて笑う。


 音楽がスローに変わった。キルフは礼を言ってパン屋に帽子を返すと、アンビカの背に手を回し踊り始めた。

 アンビカもキルフの肩に手を添えて身体を寄せる。キルフの体温を感じて、彼女は急に我に返る。今までにない程に密着しているのは、これがそういうダンスだから。それを知っていても、彼女の鼓動は早くなる。今まで色々な相手と踊ったことはあるが、こんな風に意識したことは一度もなかった。──ただ一人、リシュアを除いては。

 

「どうです? たまにはこんなダンスも楽しいとは思いませんか?」


 耳元で声がして、アンビカの顔が熱を持つ。


「悪くないわ」


 下を向き、怒ったような声で返したのは、動揺を隠すため。先程路上で暴漢を倒した姿を思い出す。なんて素敵なのだろう。まるで恋愛映画の中の出来事のようだ。知れば知るほどキルフに対する想いが強くなってくる。


 いまだにリシュアに想いはあるものの、思えば彼とは腐れ縁のようなものだった。柔らかなプラチナブロンドと人懐こい垂れ目、整った顔立ちは、彼を知る多くの女性が一度は夢中になった。しかし半面、奔放で、幾人もの女性を同時に相手にして束縛を嫌う彼に、いつしか愛想を尽かす女性も少なくなかった。

 許嫁いいなずけだから。幼馴染だから。リシュアから離れられなかったのはそんな理由もあったのではないか。自分にはそれ以外の選択肢はないと思い込んでいたのかもしれない。


 しかし今こうして、過去に出会った男性達とは全く違うタイプのキルフという男が現れた。しかもこんなにも自分を大切にしてくれている。自分にこんな恋愛の機会がやってくるなど思ってもいなかった。


「──大丈夫ですか?」


 顔を覗き込まれてはっとする。心配そうなキルフの顔がそこにあった。思えば初めて出会った時も、彼はそんな顔をしていた。


「ごめんなさい、大丈夫。ちょっと考え事してただけよ」


 そこに嘘はない。音楽は鳴り続けている。周りの人々も笑いさざめきながらダンスや会話に興じている。

 アンビカはキルフの首に手を回し、柔らかく抱きしめた。顔がキルフの胸に埋められる。彼の鼓動もまた早鐘のようだった。見上げると、彼は照れたように頬を染め笑っている。愛しさが込み上げてきて、アンビカは自然とキルフの唇に己の唇を重ねていた。顔が離れるのを惜しむようにキルフはアンビカの背に回した手に力を込める。


「ダンス、連れて来てくれて有り難う」


 ぽそりと言うと、キルフが一瞬戸惑った後に破顔した。


「良かった。また強引だとお叱りを受けるかと思いました」

「いやね。叱ったりしないわよ」


 アンビカが嬉しそうに苦笑する。そんな彼女を見つめるキルフの瞳はこの上なく優しかった。

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