風が吹く前に 第四章

第1話 貴族たちの思惑

年末のラムザ祭まであと3日。旧市街もすっかり祭のイメージカラーである白、緑、金に彩られている。

大通りには年末の買い物をする人が溢れ、異様なほどの活気がみなぎっている。この瞬間にも、国内で内乱が続いていることなど忘れそうなほどだ。




「私が、ですか?」


 アンビカは驚いたように顔を上げた。


「私よりもお前が適任だ。我々の意志を誰にも気取られずにフィルアニカ様に伝えねばならない」


 夕食後、急な議会への呼び出しを受けた父――ドリアスタ侯爵が屋敷に戻るなり人払いをし、薄い資料を差しだしてきたのは今から5分ほど前のことだ。


 それを受け取り、急いで目を通しながら父の簡潔な補足を聞く。

聞きながら、アンビカは持った資料を取り落しそうになるのを必死で堪えていた。


 部外秘、と重々しく記されたその資料の1枚目には、非常に事務的な文章が小さな文字で書き記されてる。だが、その数行の文に記されているのは、彼女が初めて触れる重大な計画だった。



『先のクーデターより20年が経ち、今再び内乱が起きた。これは現政権を握る軍部がもはやこの国を任せるに値しない証である。本来の次期皇帝であるフィルアニカ皇子をいつまでも軍の管理下に置いてはおけない。後見人である貴族院が、今こそ新皇帝の擁立を図る時が来た。何らかの有効な作戦を取り、秘密裡に皇子を貴族院の保護下へ奪還すべし』


 つまり、現在軍が完全に掌握している「帝国」とは形だけであるということ。そしてそれを再び旧体制に戻そうという呼びかけだ。


「これ……は、あまりにも……」


 次の言葉が続かない。


「無謀と思うか? そうだろうな。だが、我々はもう待てない。このままでは戦火は大きくなるばかりだろう」


 このように父が確信に満ちた顔で言うのは何故なのか。そんな彼女の疑問に気づいたのだろうか。侯爵は静かにアンビカの隣に座り、小さな声で話し始めた。


「今回の内乱が軍の陰謀だという噂だが、これはほぼ事実だ。南西部の反政府勢力を疎ましく思う軍と、現地の有力者が結託して彼らに『テロを起こさせた』のだ。そうして彼らを殲滅する大義名分を得たというわけだ」


 バサリと音がして初めて、自分が手にした資料を取り落したことにアンビカは気付いた。その後何か言葉を発しようとしたが、喉の奥が乾いて声が出ない。

 それを察したのか、父親は微苦笑を浮かべた。そしてまだ手を付けていない自分の紅茶を差し出した。


「それで終わればまだ良かった。しかし反政府勢力に外部から手を貸すものがいた。北方の諸外国は、今の軍事政権を潰して本来のルナス帝国に戻すことを望んでいる。彼らもまたこのチャンスを待っていたというわけだ」


「だから……こんなにも長引いている、と?」


  ようやく絞り出した声もまだ掠れていた。侯爵はゆっくりと頷く。


「ここまで大がかりになった以上、軍は反政府勢力を潰し2度目の内乱鎮圧という名誉を勝ち取るまでは後には引けない。対する反乱分子は、南部を制圧してそのまま帝国から独立するまでは全滅を覚悟で戦う構えだ。このままでは戦火は南西部のみならず我々の土地……そして旧市街にまで及ぶかも知れない。更には諸外国が介入してくる恐れもあるのだ」


 そう言って、アンビカが落とした資料を拾い上げる。


「いいかアビィ。いや、アンビカ。流されるべきは人民の血ではない。狡猾なあの軍の狐共から政権を奪還する以外に、この愚かな争いを止める術はないのだ」


 アンビカは、背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じていた。父のドリアスタ侯爵は普段から軍への不満を隠さない。しかし、こうして軍に対して反旗を翻そうとした事は一度もなかった。それほどまでに今この帝国は大きく揺れ動いているということなのだろうか。



「少しだけ……一晩だけ時間をください。父上の言葉に対して嫌とは言いません。ですが、自分なりに納得してからお答えしたいのです」


 掠れる声を絞り出し平静を装って、それだけ言うのが精いっぱいだった。


「ああ、いいだろう。だがこの事は誰にも漏らすな。屋敷の者……ルーティスやマニにもだ。事前に漏れれば私もお前もただでは済まないだろう」


 淡々とした侯爵の態度。それが却って聞く者に真実味を感じさせる。


 思いつめたようなアンビカの肩にそっと大きな手を添え、侯爵は立ち上がった。そのまま暖炉へと歩み寄り、件の資料を火の中へ投じる。


 一瞬部屋の中がその炎の勢いに照らされ、傍らに立つ侯爵の姿を怪しく浮き上がらせる。

 厳しくも優しい愛すべき父。アンビカがその父を恐ろしいと感じたのはおそらくそれが初めてのことだった。


 アンビカは炎を見つめながら先程の会話を何度も頭の中で反芻する。暖炉に投げ込まれた機密は赤く光った後宙に舞い、白い灰となって消えた。

 どのくらいそうしていただろうか。気が付いた時には部屋の中にもう侯爵の姿はなかった。

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