第24話 妖精さん

 ふと、背後の気配に振り返る。そこには司祭がランタンを手にして立っていた。手にはルニスの花を持っている。


「司祭様。こんな時間にどうかなさったのですか?」


 その言葉に、司祭は微笑だけを返した。そうして音もなく塔の中に入っていく。


 不思議そうに見送ってから、慌ててリシュアも後を追った。

 真っ暗な塔の中央を進みながら、司祭はランタンから蝋燭に火を移していく。ポツポツと灯りが増えて、塔の内部をぼんやりと幻想的に浮かびあがらせた。


 リシュアが見守っていると、司祭は手にした1輪のルニスの花を祭壇の上に置き、膝をついて祈り始めた。月明かりの下ではなく、こうして蝋燭の灯りだけに照らされる司祭の姿も神秘的で美しかった。


 魂を奪われたように、リシュアが司祭の後ろ姿を見つめていると、長い祈りを終えた司祭がゆっくりと立ち上がった。



「ああ、すみません。祈りの前に言葉を口にすると願いが逃げてしまいそうで、お返事が出来ませんでした」


 申し訳なさそうに司祭は微笑んだ。


「そういうことでしたか。いいえ、こちらこそお祈りの邪魔を致しました」


 司祭は笑顔のまま首を横に振る。それまで少し近寄りがたかった空気が薄れ、リシュアはようやく司祭に歩み寄った。


「何をお祈りしたのですか?」


 祭壇の上のルニスの花は甘い香りを放ち、それが苦手なリシュアは無意識に少し息を詰めた。


「……クラウスさんの記憶が早く戻りますようにと」


 またあの男のことか、とリシュアは思ったが、記憶さえ戻れば寺院から追い出すことができる。リシュアは一緒に祈りたい気分だった。



 司祭は視線を上に向けた。リシュアもつられて塔の上方を仰ぎ見る。

 大きな巻貝の中にいるような螺旋状の塔。その先端はガラス張りになっており、丸く切り取られた星空と、細く青白いリュレイが小さく見える。


「ここはまるで井戸の底ですね」


 リシュアは何気なくそう口にした。


「……そうですね」


 そう答えた司祭はひどく寂しげな顔をしていた。


 すう、と司祭は手を伸ばす。その手はリュレイを掴むかのように、くうを握り締める。


「天女の還る場所はリュレイだと聞きました」


 小さく呟くような声が塔の中に響き渡る。

 

「私が本当に天女なのだとしたら、いつかあそこに還ることができるのでしょうか」


 リシュアはじっと司祭の横顔を見つめた。


「司祭様はリュレイに行きたいと思っていらっしゃるのですか?」


 リシュアの問いかけに、司祭は僅かに苦笑する。


「つまらぬことを申しました。どうぞ忘れてください」


 そしてまたいつもの柔らかな表情に戻り、リシュアの横をすり抜けて塔を後にした。リシュアは呆けたようにその後姿を見つめていたが、はっと我に返ると慌ててその後を追った。


***


 部屋に戻ると、クラウスがドアの近くに立っていた。


「ああ、クラウスさん。一人でお歩きになって大丈夫なのですか?」


 司祭が駆け寄って手を貸そうとするのを笑顔で押しとどめ、クラウスはしっかりとした足取りで歩き始めた。


「びっくりさせようと思って、少しずつこっそり練習していたんだ。手もちゃんと動かせるよ」


 そう言って両手を差し出して10本の指を器用に動かして見せた。


「良かった……。本当に、びっくりいたしました」


 司祭は嬉しそうにクラウスの指にそっと触れた。クラウスも笑顔で司祭を見つめる。


「あー、一人で動けるならもう看病は必要ないな。部屋もどこか別のところに移動してもらおうか」


 その言葉に、司祭は眉根を寄せてリシュアを振り返った。クラウスはにこにこと笑いながら答える。


「ああ、いいよ。いつまでもここにいちゃ司祭さんも落ち着かないだろうし。どこか余ってる部屋があるのかい?」


 司祭はクラウスの手を握ったまま小首を傾げる。


「落ち着かないなどということはありません。もしクラウスさんがお嫌でなければ……」

「司祭様、安全面から警備主任としてそれは認めかねます」


 リシュアの強い言葉に、司祭は不満げな視線を返す。しかし警備上ということになると、さすがに嫌とは言えないようだ。


「分かりました。では隣の部屋が空いておりますので、そこに」


 隣では今と大して変わりがないではないか、とリシュアは叫びたくなったが、ここは渋々譲歩することにした。


***


 クラウスは、すぐに通常の健康な人間と同じまでに回復した。リシュアの部下たちに見つからないよう、表に出ることはなかったが、子供達もとても良く懐き、まるで昔からここに居たように馴染んでいった。


 司祭は子供達にクラウスのことを「妖精さん」と呼ばせ、自分達以外の人間には絶対に秘密にするように固く言い聞かせた。


「妖精さんは他の人に見つかると、ここからいなくなってしまうのですよ。だから決して誰にも話してはいけません」


 事あるごとに司祭はそう子供達に話していた。子供達も大好きな「妖精さん」がいなくなっては大変だと、しっかりとその言いつけを守った。



 クラウスには色々な特技があった。草笛を吹いたり、歌を歌ったり。手先も器用なので、子供達に折り紙や独楽こまを作ってやっては一緒に遊んでいた。


 また、庭にブランコも作ってやると、子供達は大喜びでロタや司祭に背中を押してもらいながら歓声を上げた。

 子供好きというのは相手にもすぐに伝わるのだろう。楽しそうに子供を抱き上げるクラウスの周りにはいつも子供達が取り囲み、それを嬉しそうに司祭が見守っていた。


 正直リシュアは面白くなかった。後からやってきて、あっさりと司祭や子供達の心を掴んで入り込んできたクラウスが疎ましくて仕方がない。


 しかし司祭はすっかりクラウスを信用し、相変わらず過保護すぎるほどに付き添っている。下手にクラウスをないがしろにすれば、リシュアが司祭に恨まれるのは目に見えている。リシュアの悩みは尽きることはなかった。


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