第14話 姉と弟

 車は旧市街の大通りを抜け、郊外に走ってルーディニア子爵家の屋敷の門をくぐる。リシュアは姉のサリートから呼ばれていたのだった。

 父の容態は安定していたので、悪い話ではないはずだ。たまには姉弟で話をするのもいいだろうと、リシュアは新都心の人気の菓子を沢山抱えて実家を訪れた。


「ああ、リシュア様。お帰りなさいませ」


 ファサハが白い手袋で車のドアを開ける。そのファサハに菓子を預けてリシュアは屋敷のリビングに向かった。

 リビングでは紫紺のドレスに身を包んだ姉が待っていた。


「カスロッサ。お帰りなさい。元気そうですね」

「姉上もお変わりなく。父上はその後お加減いかがですか?」


 コートを脱いでソファに座ると、メイドが紅茶を運んできた。向かい合って座り、姉弟は微笑みを交わした。


「ええ、体力も戻って来られたようで、最近は陽気のいい日に庭にお出になることもあります」

「良かった」


 リシュアは安心したようにソファに背を預ける。サリートも嬉しそうに頷いて紅茶を口に運んだ。


「今日呼んだのは他でもありません。夫とも相談したのですが、貴方の今後についてです」

「今後?」


 突然切り出されて、リシュアは首を傾げる。


「ええ。軍にいることは分かっています。もう既に噂にもなったことですし、それについては不問にします。安心なさい」


 軍人であることを隠していたつもりもないが、今こうして改めて話題に出されると若干気まずい気分になる。


 20年前にクーデターを起こして貴族や皇帝を陥れ、以後今に至るまで貴族達に圧力を掛け続けている軍はやはり貴族にとっては敵なのだ。

 嫡男でありながら勝手に家を飛び出し、その上軍に入った行為は家族からも裏切りと見られても仕方のないことだろう。


「色々とご迷惑をお掛けしました。でも、今はこうしてなんとか……」

「いいのです。それよりも大事なのは今後の話です」

 

 リシュアの謝罪の言葉を遮り、姉は鋭い視線を弟に投げかけた。


「屋敷にはまだあなたの部屋もそのまま残してあります。引越しは年末が嫌なら年明けでも構いません。人手もこちらで出しますからいつでも好きなときになさい。仕事も好きなものを選べばいいでしょう。農場の経営でも製糸工場の役員でも何でも構いません」


 リシュアは目を丸くして、今耳に入ってきた言葉を頭の中で反芻した。


「……何を……」

「好きになさいと言っているのです。夫も父も賛成しています。気にすることはありません」


 そう言って、姉は優雅にリシュアの土産の菓子を口に運んだ。

 リシュアは戸惑いながらも笑みを崩さないように努めた。


「ああ、それは分かるけど。俺は今の仕事にも満足してるし、住んでるところも悪くないよ。ここにだってこうして時々会いに来れば……」

「カスロッサ」


 姉はその言葉を遮った。その声は静かながらも断固とした響きに満ちていた。


「軍などに使われてあんな新都心のような下品な街に住むなど、ルーディニアの人間として恥ずべきことです。つまらない愛着など持ったところで何の意味もないのですよ。今までの生活は悪い夢だと思って忘れなさい」


 凛とした緑色の瞳がリシュアを射抜く。リシュアは思わず言葉を失った。


「……そんな言い方ないだろ? 俺だって今までそれなりに必死で……」


 反論するリシュアの声が聞こえていないかのように姉は優雅に立ち上がり、窓に近づいてレースのカーテン越しに外を見つめた。


「今の言葉は聞かなかったことにします。父上にはあなたは快く承諾したと伝えましょう。子供のように駄々をこねるのではありません」


 そうしてゆっくりと振り返り、自信に満ちた笑顔でリシュアを見下ろした。

 その様子を呆然と見つめながら、ようやく我に返ったようにリシュアの心に感情が湧いてきた。

 それは、純粋な怒りだった。


「……そう、やって……。いつも勝手に決めるんだな。いつでも自分達が正しいのか? 貴族様はそんなに偉いのかよ!」


 リシュアは思わず立ち上がっていた。


 自分が貴族を忌み嫌う理由。それをようやく思い出したような気分だった。

 父の病気のことで、なし崩しに出戻ってきた実家ではあったが、結局何も変わっていないのだ。彼らは彼らが正しいと思ったことをいつでもこうして恩着せがましく押し付けてくる。

 まるで貴族が特別な人間ででもあるかのように。全ての審判を下す権利を持っているかのように。


「落ち着きなさいカスロッサ。いい大人がみっともない」


 姉は抑揚のない声で短く叱咤した。それが更にリシュアの怒りに火を注ぐ。


「……帰ってくるべきじゃなかった。結局何も変わってないんだ。どうしてクーデターの時に貴族達は世間の支持を得られなかったのか。何も分かっていないじゃないか。あんなに色々犠牲にしたのに、まだ気がつかないのか?」


 こみ上げる怒りを声に込めて姉にぶつけるが、サリートは駄々をこねる子供でも見るかのような冷めた目をして黙っているだけだった。


「俺はもうルーディニアの名前を捨てた。二度とここへは戻らない」


 リシュアはコートを引っ掴んでそう言い捨てると、大またで部屋を出た。


 部屋の外には声を聞きつけたファサハがおり、おろおろと背を丸めてリシュアを制止する。それには一瞥もくれずに、リシュアは車に乗り込むと寺院へ向けて車を急発進させた。

 ファサハは遠ざかる車を、その姿が見えなくなるまで悲しげな目で見送っていた。


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