第13話 辞令

 リシュアが警備室に戻ると、開けたドアの前でビュッカとぶつかりそうになる。


「おっと」

「ああ、すみません中尉。今探しに行くところでした」


 少し緊張したような部下の様子をいぶかしんでいると、小さなメモを渡された。


「フォンス中将閣下からのご伝言がありました。すぐに閣下のオフィスにお顔を出して欲しいという事です」


 丁寧な字で書かれたメモをぴらりと振って、リシュアはふん、と鼻を鳴らした。


「またあのジジイか。あいつに呼ばれるとロクな事がないからな……」


 上司の暴言を聞かぬ振りで目を伏せたままビュッカは続けた。


「お急ぎらしいですから、差支えがなければすぐにお出になってください。こちらは先程ムファを呼び出しましたのでご心配ありません」


 卒のない対応に苦情を挟むこともできず、リシュアは小さくため息をついて出掛ける準備を始めた。


「ああ、これは司祭様から頂いたものだ。温めて食べるといい」


 カカの実が入った袋を手渡すと、コートを掴んで警備室を後にした。


***


「あら。また珍しい人が来たわ。最近随分とご無沙汰じゃない?」


 中将のオフィスの前に座っている秘書が、含みを持たせたような笑みを浮かべてリシュアを迎えた。


「花から花への生活はもう止めたのさ。残念だが、これからは良い友達として宜しく頼むよ」


 リシュアの笑顔を少し意外そうに見つめてから、秘書は残念そうに微笑んだ。


「あら。そうなの。落ち着くにはまだ早いと思うけど?」


 その言葉に微笑みで返して、リシュアは中将のオフィスの前のドアへと向かった。秘書が仕事の顔に戻って中将に取り次ぐ。

 

「入れ」


 低い声が中から響いてきた。


「失礼します」


 ドアを開けて、緊張の様子もなくリシュアは部屋の中央に進む。


 中将のオフィスは、以前訪れた時とは若干様変わりしていた。壁には内乱の起きている西部の航空写真や地図などが貼られ、デスクにも報告書の山が詰まれている。


「寺院は変わりないようだな。お前にしては良くやっている」

「有難うございます。寺院の生活も、まぁ悪くないですよ」


 にやにやと返すリシュアをじろりと睨んだ後、中将はデスクの上に置かれていた書類をリシュアに向けて差し出した。


「辞令だ」


 リシュアは陸軍の紋章の透かしの入った厚手の紙を片手で受け取った。


「……はぁ?」


 ざっと目を通した後、素っ頓狂な声を上げて再び辞令をまじまじと読み返す。


「……パレード?」


 眉根を寄せるリシュアを冷ややかな目で見ていた中将が、うんざりしたように答えた。


「年明けの凱旋パレードだ。今年は特別にお前に一任されることになった。通常は将官以上の者にしか与えられない名誉な任務だが、今回特別にお前に決まった。有難く任に就くように」


 そうして指でドアを指し、退室を促した。しかしリシュアは動かずに渋い顔のまま辞令と睨めっこをしている。


「……お言葉ですが中将閣下。俺は寺院の方が忙しいですから、そういう名誉ある任務は他に回してやって下さい」


 その言葉に、中将は耳を疑い、激昂した。


「何を馬鹿な事を言っている! これは辞令だ! お前の意思など関係ない。黙って任に就けば良いのだ!」


 普段から将官や士官からも恐れられている、この気難しい中将に大声で叱咤されても、リシュアは相変わらず応えた様子もない。渋い顔のまま小さくため息を漏らし、ぽりぽりと頭を掻いている。


「そう言われましてもねぇ……。大体パレードなんてやる意味があるんですか?」


 これには中将も言葉を失い、顔を赤くして黙り込んだ。


「……もういい。お前と話していると頭が痛くなってくる。つべこべ言わずにそれを持って帰れ」


 そうして犬でも追い払うように手を振って背を向けた。リシュアもこれ以上食い下がるのは諦めて、大袈裟にうやうやしく礼をすると部屋を後にした。


***


 帰り際に、オクトのオフィスを訪ねてみることにした。お互い忙しく、近頃はなかなか顔を合わせることもなかった。


「オクト、いるかー?」


 いつもの如くノックもなしにドアを開ける。そこには久しぶりに会う友の顔があった。


「ああ、リシュア。聞いたよ。おめでとう」


 オクトは温和な笑みで友の突然の来訪を迎える。


 一時はすっかりやつれていた姿も、少しは以前の姿に戻ってきているようだ。リシュアは内心ほっと胸を撫で下ろした。


「開口一番それかよ。相変わらず情報が早いな」


 呆れたような顔で、先程受け取ってきた辞令をオクトに手渡す。オクトはにこやかに頷いて受け取ると、嬉しそうにそれを見つめた。


「俺も市街の警備に関わるからな。それに、異例の抜擢だってことで、もうあちこちで噂になってるぞ。無事に終えれば即昇進間違いなしだな」


 ぽんと手を置かれた肩を竦めて、リシュアは口をへの字に曲げる。


「お前を見ていると昇進するのもどうかと思うよ。なんでそんなになるまで仕事を抱えこむんだ? 身を削ったところで給料は変わらんぞ」


 それを聞いてオクトは白い歯を見せて笑う。


「ははは。お前らしいな。……俺はどうやら仕事の虫らしい。動いていないと落ち着かないのさ。でも最近有能な部下を3人もつけてもらってね。おかげで仕事も随分と楽になったよ」


 奥からオクト付きの秘書がコーヒーを持って姿を現した。すらりとした金髪の美女である。以前はよくリシュアが羨ましがり、「秘書を交換しよう」と半分本気の冗談を言っていたものだった。

 

「首都圏内は落ち着きを取り戻したから、俺の担当する部署も平常に戻りつつあるがな。実際のところ西部での戦況は芳しくないようだな」


 熱いコーヒーを一口飲んで、ゆっくりとオクトが切り出した。


「前回の内乱の時よりも、敵勢力は物資や武器を溜め込んでいたみたいだな。軍も今回は交渉に応じる気は全くないようだしなぁ。長引けば被害は更に甚大になるんじゃないか?」


 リシュアも軍人として内乱の様子が気になってはいた。今回の内乱はきな臭い噂が常に付きまとっている。軍があまりにも早く制裁攻撃を行ったことが一番の理由だ。

 今回の内乱は軍がわざとテロを見逃して、制裁の理由に仕立てたのではないか。世間ではそういう見方が強い。しかしその割りにはその後の苦戦で軍は苦しむこととなっている。噂が噂で終わっているのはこの辺りに理由がある。


「ゲリラ戦は過酷だからな。平和に慣れた世代の若い兵士には少々荷が重いのかもしれない」


 オクトがそう漏らすのを聞いて、リシュアも当時のことを思い出していた。

 ゲリラの戦士には一般の市民に紛れて生活している者も多い。ある日夜襲にあったリシュアが大怪我を負った末に仕留めた敵は、日頃から懇意にしていた酒屋の親父だった。


「市民と敵の区別がつきにくいからな。余程気を引き締めていないと背中を狙われちまう」


 リシュアはコーヒーを飲み干すと立ち上がった。


「これからちょっと用事があるんだ。少しでも話せてよかったよ。あんまり無理すんなよ」


 オクトは座ったまま穏やかな笑みを湛えて頷いた。


「ああ、そういえばカタリナの件は世話になったな。またこちらで警備できるそうだ。本当に助かったよ」


 カタリナ・ルミナ。旧市街に住む異能者。オクトに相談されて、警備を司書のメイアに依頼していたのだ。

 最近は慌しく、メイアにも会っていない。礼を兼ねて職場を訪ねてみようかとリシュアはふと思った。


「貸しはそのうち倍にして返してもらうさ。じゃあな」


 軽く手を上げてリシュアはオフィスを後にした。


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