第8話 映画館にて

 昼下がりの旧市街の路地は、買い物の主婦や駆け回って遊ぶ子供達で賑わっていた。そんな人の活気が、アンビカの心をほぐしていく。やはり出てきてよかった。そんなことを考えながら歩いていると、次第に足取りも軽くなってきた。


 街角の雑貨屋を覗くと年末のラムザ祭の装飾品が並んでいる。木彫りやフェルトで作った昔ながらのものや、電飾のついた最新の流行のものまで揃って店先を賑わしていた。


 ラムザ祭とはルナス正教の祭りの一つだ。花や動物の形の飾りで家を飾り付け、ご馳走を作って年末年始を祝う。

 現在ルナス帝国では、クーデター後に新しく国教となったジュルジール神教が主流であり、新都心ではジュルジール神教の年末の祭りであるインイッサ祭の方が多く祝われている。しかしルナス正教の信者の多い旧市街では、相変わらずラムザ祭を祝う人々の方が多い。


「もう今年もあと2ヶ月ね」


 ラムザ祭では親しい人達とプレゼントを交換しあう風習がある。そろそろマニや父親、そして馬術での友人などへのプレゼントを探さなければ、とあちこちの店を見て回った。


 いくつか気に入ったプレゼントを予約して最後の店を出た頃には、丁度日も暮れ始めていた。ふと、アンビカは古びた建物の前で足を止めた。


「……あら、この映画ここでもやっていたのね」


 その古びた建物は小さな場末の映画館だった。旧市街で映画を見るのは、家にテレビのない貧しい家の者であることが多い。チケットも安く、その分上映されるものは古いものや知名度の低く人気のないものばかりだ。そんなこともあって、普段アンビカは危険を冒して新市街まで行っては、大きな映画館に足を運んでいたのだ。


 この日その映画館で上映していたのは、あまり有名とは言えない監督の低予算の映画だった。実は彼女はなんとなくその映画が気になっており、いつか見に行きたいと思っていた。しかし気が付けば新都心での上映期間を過ぎてしまったのだった。

 時間を見ると丁度上映が始まる時間だ。アンビカは誘われるように建物の中に姿を消した。


 薄暗い劇場の中に人影はまばらだった。おかげで雑音や人影に悩まされずに鑑賞することができた。普段の旧市街での映画館のマナーは最悪だ。アンビカはこの映画の人気のなさに複雑な気持ちで感謝した。


 肝心の映画は、ひとことで言えば怪奇映画。呪いで魚に姿を変えられた修道女が海の中の世界で醜い大きな魚に求婚される話だ。蒼ざめた色合いの画面にギクシャクと動くクレイアニメが気味悪さを引き立てている。


 それでも、アンビカがこの監督の作品を好むにはそれだけで済まない訳がある。怪奇映画の形をとりながらも、実は醜い生き物達の純粋な心の交流を描いている。とても悲しく美しい物語なのだ。


「こういう映画が流行らないのは惜しいわね」


 小さく呟きながら映画館を後にする。出口のところで手袋とマフラーを身につけようと思い、気付いた。マフラーがない。


「やだ。忘れてきちゃった」


 窓口の係員に声をかけ、慌てて劇場内に戻る。自分が座っていた席を探すが見つからない。


「途中で落としたのかしら」


 電気がついてもまだ薄暗い通路を目を凝らして探しながら出口に向かう。結局ホールまで出てもマフラーは見つからなかった。

 買ったものならまだ諦めもつくが、あのマフラーはマニが手編みで作ってくれたお気に入りのものだ。それにこの寒空にマフラーなしで帰るのも少々辛い。



「困ったわね……」


 途方に暮れていると、後ろから声を掛けられた。


「これ、落としませんでしたか?」


 見れば探していたマフラーだ。思わず掴んでそのまま振り向く。


「ああ、有難う。探していたところ……」


 声の主を見上げると、そこにはオリーブ色の瞳をした青年がにこにこと笑顔を湛えて立っていた。例のホテルで出会った青年だった。


「……あなた? どうしてここに……」


 呆然と見つめるアンビカに、穏やかな微笑みを返して青年は答えた。


「言ったでしょう? 縁があればまた会えるって」


***


 近くのカフェに移動して、アンビカは改めてマフラーの礼を言った。


「ありがとう。これ、大事なマフラーなのよ。助かったわ」


 青年はカフェオレを飲みながらにこにこと笑って首を振った。


「いえいえ。学生の頃映画館でバイトをしてましたからね。落し物には目が利くんですよ」


 一方のアンビカはホットチョコレートを飲んでいた。冷えた体に染み入るようだ。


「それにしても、本当にまた会えるなんて。しかもこんな短期間のうちによ?」


 アンビカは苦笑していた。驚くのを通り越して気味が悪いくらいだ。


「僕は会えると思ってましたよ。あの映画はあなたの好きそうな作品ですからね。僕も好きで、観に行ったのは今日で3回目です」


 アンビカは目を丸くして、一瞬沈黙した後に一言漏らした。


「……随分暇なのね」


 青年は楽しそうに笑って、そうですね、と答えた。一体何者なのだろう、とアンビカはますます気になり、じっと青年を見つめた。


「また会えるかしら」


 青年は優しい眼差しでじっとアンビカを見返して頷いた。


「折角のご縁です。次はちゃんと約束をしましょう。一緒に夕食をいかがですか? 今度はちゃんとしたレストランで。……水曜か木曜は空いてますか?」


「ええ、いいわよ。水曜なら今のところ夜は空いてるわ」



 アンビカはなんとなく胸が高鳴るのを感じていた。この青年に特別な感情はないが、この不思議な人物に翻弄されるのが楽しくなってきたように思えるのだ。こんな些細なことではあるが、何か日常から飛び出した小さな冒険をしている気分になっていた。


「じゃあ、水曜の7時に先程の映画館で待ち合わせましょう」


 映画館の前で待ち合わせというのも気に入った。アンビカは満足そうに微笑み、頷いた。


「それじゃ、また」


 二人は一緒に店を出て、それぞれ逆の方向へと歩き出した。暖かい飲み物のせいか、体がぽかぽかととても暖かかった。ふとマフラーに触れる。アンビカは僅かに微笑んで、青年の歩いていった先を振り返った。

 青年の姿は人ごみに紛れてもう見えなくなっていた。


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