第7話 沈黙の食卓
普段使っているダイニングはそれ程広くないが、それでも10名は座れる長いテーブルが据えられている。そのテーブルの奥に燭台とフルーツが飾られ、部屋の中には心地よい音楽が流れている。
アンビカが一人で食卓に着くことも多いこの部屋が、寂しく感じられないためにと執事のルーティスが常に心を砕いている。
アンビカは先に席に着いて父を待つことになった。暖かい部屋と優しい音楽にほっとして、肩の力が抜ける。と、その時。ダイニングのドアが静かに開いた。
くっきりとした目鼻立ちと鋭い眼光は鷹のそれと例えられることが多い。馬術や剣術で鍛えられた体躯は年齢を感じさせることがなく、全身から異様な威圧感を放っている。
アンビカは席を立って父を迎える。父は目線を合わせることなく、その後ろを通って奥の席に着いた。父の着席を待って、アンビカも腰を下ろす。
「お帰りなさいませお父様。お疲れ様でした」
アンビカの挨拶にも父は黙って頷くだけだった。アンビカも父と目を合わせることができずに、目の前に用意されたナイフやフォークの輝きをじっと見つめるしかなかった。
無言のまま夕食は始まった。とはいっても、普段から会話の多い親子ではない。仲が悪い訳ではないが、寡黙な父とは時折交わすのも仕事の話がほとんどだった。
そういう訳なので、今日のような静かな夕食も特別ではない。だがアンビカにはこの沈黙が耐えがたく感じられた。叱るなら早く叱ってくれればいいのに、とスープの味も感じられないまま、父の動きを探るように目の端で捉えていた。
そんな空気の中で夕食がほとんど済み、最後にデザートが運ばれてきた。アンビカの大好きな木苺のムースだ。料理長が気を利かせてくれたのだろう。しかしアンビカの心は相変わらず重かった。
じっとデザートの皿を見つめたままスプーンに手を伸ばさずにいると、ふいに侯爵が口を開いた。
「例の食事会で体調を崩したそうだな」
はっとしてアンビカは顔を上げた。まさかそちらが話題になるとは思っていなかった。上手く誤魔化したつもりだったが、それさえも父は察していたのだろうか。アンビカは体を堅くし、背に汗が流れるのを感じていた。
「え、ええ。お父様の代わりをしっかりと努められず申し訳ありませんでした」
俯くように頭を下げる。
こうなれば全て叱られてすっきりしてしまえばいいと、半ばやけになった時だ。
「すまないな。最近お前には無理ばかりさせたようだ」
意外な父の言葉にアンビカは驚いたように顔を上げた。その父の顔には厳しさはなく、労わるような優しい眼差しが彼女に向けられていた。
「お父様……」
アンビカは意外な父の姿に言葉を失い、ただ見返すことしかできなかった。その父も穏やかな深緑色の瞳で娘を見つめていた。
「明日の昼食会は欠席の知らせを出しておいた。一日のんびりと羽根を伸ばすなり休むなりするといい」
そう言うと、手をつけていない自分のデザートの皿をアンビカの前に運ばせた。
「お前の好物だろう。食べなさい。私は明日の会議の資料を纏めねばならないから先に失礼するよ」
そう言い置いて、来た時のように静かに部屋を後にした。
一人残されたアンビカはじっと2つ並んだデザートの皿を見つめ、スプーンを取り上げるとムースを口に運んだ。同時にぽろりと涙が落ちる。
父に嘘をついたまま、逆にあのように気遣われてしまったことで、罪悪感が募った。また、素直に父の優しさが嬉しかった。同時に、自分に失望したような気分にもなった。
色々な感情が交じり合う頭の中と同じように、涙の味の混じったデザートは辛いような苦いような気がして、アンビカはひとり唇を噛んだ。
***
翌朝から昼過ぎまで、アンビカは浮かない気分のまま過ごした。父が折角くれた休日ではあるが、これまでの経緯を考えると素直に羽根を伸ばしに、という気にはなれないのだった。
薄暗いリビングでソファにもたれながら音楽を聴いていると、マニがお茶を持って入ってきた。
「お嬢様。折角なんですからお出掛けになったらいかがですか。今日は良いお天気ですよ」
うーん、とアンビカは唸るように答えてカップを口につけたまま、ぼんやりと視線を宙に彷徨わせた。マニは苦笑して大げさにため息をついて見せる。
「お嬢様。旦那様のお気持ちを察してあげてくださいまし。お言葉には出されませんが、最近のお嬢様の様子をとても心配なさっているのですよ。ここはお言葉に甘えてお買い物にでも出られてくださいな」
黒く大きな瞳は優しくアンビカを見つめている。マニにそうやって見つめられると、心がひどく落ち着いてくるのだ。アンビカはようやく僅かに笑みを漏らした。
「そうね。……わかったわ。出かけるから支度して」
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