第6話 目撃されたのは
明るくなって、人通りの多くなったマンションの前を通るのは、アンビカにとって初めてのことだった。新都心の家族達の姿が、車の窓の外を流れていく。見慣れた旧市街の家族と服装は違えども、その仲睦まじい様子は同じものに見えた。
「何でこうなっちゃったのかしらね」
誰にともなくそう呟く。しかしリシュアの耳には届かなかったようだ。
川と橋、そしてフェンスと検問所で分断された新旧の街。新都心には23年前の内乱以来他民族が多数流入してきたとはいえ、大多数は旧市街と同じ古来からの民族だ。
それなのに、元々の文化を頑なに守り続けることで、そのプライドを守ろうとするかのような旧市街。そして北の大陸からの文明を進んで取り入れ、進化し続ける新都心。二つはまるで別の国になってしまったかのようだ。
そして今、再び内乱が起きている。この危機を好機と捉える貴族院は、昔の帝国の強さを再び取り戻すためにルナス正教を利用しようとしているとも聞く。そんな貴族達の会議でアンビカも日々忙殺されていた。
「本当に、くだらない」
そう吐き出したのを、今度はリシュアも聞いていたようだ。
「だろ? 最近のTVは無難なことしかやってないよな。まぁ、仕方ないんじゃないか? 今軍も内乱でピリピリしてるし、情報もあまり公表されないようだからな」
噛み合わない会話にアンビカが沈黙していると、街角で芸能人らしき女性を取り巻く報道陣とすれ違った。アンビカがこのことを言ったとリシュアは思ったらしい。アンビカは苦笑した。
ふと、アンビカはリシュアにたずねた。
「まさか、また戦地に戻ろうなんて思ってないわよね」
ゲリラ戦の続く現地がかなり悲惨な状態だということは、アンビカの耳にも届いている。
「昔だったら行ってただろうな。デスクワークよりは銃弾の方が数倍マシだからなぁ」
呑気な答えにアンビカもあからさまに呆れた顔をする。しかしそれはリシュアの本心だった。
「大人しく書類と睨めっこしてなさいよ。いい加減寺院とも手を切って。でないと後悔するわよ」
アンビカが何度忠告しても、リシュアは寺院での仕事を辞めようとはしない。それがアンビカを苛立たせていた。
「寺院は出世コースなんだぜ。それにしばらく居るけど何も危ないことはなかったしな」
寺院が貴族の切り札にもなっている手前、詳しい事情は話せない。どう説得しようかと思っているところで、目の前に検問所が見えてきた。アンビカは諦めて口をつぐんで顔を伏せた。
リシュアが軍人としてすんなり検問所を抜けられるとしても、万が一のことを考えると、顔を覚えられては困るのだ。
検問所を過ぎて少し走ると、いつも待ち合わせをする三叉路だ。ここはドリアスタ家の私有地なので、こんな時間でも人通りが少ないのだけは幸いだ。
「……ありがと」
短くそう言って車を降りると、後ろ手にドアを閉めた。リシュアもいつも通り車を降りて、軽く手を振りアンビカの背を見送っている。時計を見ると、まだ会議には充分間に合う時間だった。
ほっとして彼女が微笑んだ瞬間、その傍らをゆっくりと黒塗りの大きな車が走り去った。
その目に映ったものにアンビカは凍りつき、全身から汗が噴き出した。
「お父様……」
車の後部座席に座っていたのはアンビカの父、ドリアスタ侯爵だった。一瞬だったが、父の鋭い深緑色の瞳はアンビカの姿を捉えていた。そしてその後ろに立っていた軍服姿の元許婚の姿も。
しかしリシュアはそれとは気付かなかったようで、車に乗り込むとあっという間に走り去っていった。
ひとり残されたアンビカは、ただ呆然として道の片隅に立ち尽くすだけだった。
***
その日の夕食は、父のドリアスタ侯爵も早くに帰宅し、一緒に食卓を囲むことになった。いつもは夕食会や会議でお互いにすれ違うことが多いため、親子揃っての食事は随分と久しぶりのことだ。
一人での夕食は味気なく、寂しいものだ。アンビカはたった一人の家族である父を愛してもいた。だからこうして父と二人でとる食事は、本来嬉しいもののはずなのだ。
しかしアンビカの心は重かった。原因はもちろん今朝の出来事にある。朝帰りを見られただけでも気まずいというのに、相手がリシュアでしかも彼が軍人になっていることも同時に知られてしまったのだ。
これが父の逆鱗に触れるであろうことは
はぁ、とため息を吐き夕食を断る言い訳を頭の中で考えていると、ドアの外からマニの声がした。
「もうすぐお時間ですよ。旦那様も間もなくおいでになります。遅れないようになさって下さいね」
少しの間を置いてから、アンビカは小さくマニに返した。
「……今行くわ」
どうせ誤魔化しがきかないなら、早めに事を済ませてしまった方が気が楽だ。叱られるならばそれも仕方のないことだろう。それだけの事をしてしまった報いなのだから。
アンビカは重い足をダイニングに向けた。
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