第12話 昼下がりのお茶会

 通勤時間でもない下りの道路は空いていた。気持ちとは裏腹にみるみる寺院との距離は縮まり、程なくリシュアは寺院の入り口に立っていた。庭の隅でロタが屈んでいる。どうやら芝生の間から伸びた雑草を無心に抜いているようだ。何気なく近づいて声をかけてみた。


「よう。精が出るな」

「あっ。お前、何度言ったら分かるんだ! 芝生を踏むなって言っただろう!」


 労わりの言葉に罵声が返ってくる。慣れたこととはいえうんざりした気分になり思わず眉間に皺を寄せた。


「はいはい、分かったよ。悪かったよ。じゃーな」


 すんなりと引き下がられて拍子抜けしたようなロタに見送られて警備室へ向かった。


 警備室のドアを開けると、アルジュ、ユニー、ムファ、ビュッカの4名全員が揃っていた。通常交代制で警備をするので非常呼集以外で全員集まることは少ない。今日はビュッカが長期の旅行に出るのを送るために皆で集まることにしたのだ。

 リシュアが気乗りしない己を叱咤して寺院に来たのはこのためである。


「いいなあ。恋人と甘ーい婚前旅行かぁ。お土産弾まないと承知しないですからね!」


 ムファが心底羨ましそうにビュッカを突っついた。


「ストラウゾ地方のなまず料理は最近人気らしいですよ。美味しいところは場所が分かり難いらしいから、地元のタクシーの運転手さんに聞くといいそうです。あ、あと僕、お土産はファッテ町名産の岩塩チョコがいいです」


 まるで自分が行くかのように、旅行雑誌を片手にはしゃぐユニー。それを冷ややかに見ていたアルジュは、ビュッカに文庫本を手渡しながら僅かに微笑んだ。


「移動の時お暇でしょうから。お勧めの詩集です。お気をつけて」


 皆に囲まれて、嬉しそうにビュッカは頷いた。そうしてリシュアに向き直り敬礼をした。

 

「長期の休暇を頂き有難うございます。留守中何かとご迷惑をお掛けしますが宜しくお願い致します」


 リシュアはにっこりと笑ってビュッカの肩に手を置いた。


「まあ、気にすんな。お前の人生にとっては大事な旅行になるだろうから、ここの事は気にせずのんびりして来い」


 そうしてジュースで乾杯をして旅立つ友を送り出し、休暇だったものはそれぞれ帰宅した。残ったのはリシュアとユニーだった。

 2人の交代制での任務になるので、ビュッカの留守中はリシュアもシフトに組み込まれることになる。ここしばらく本部オフィスでの事務仕事に縛りつけられてうんざりしていたところだったので、いい気晴らしにはなるだろう。リシュアはあまり深く考えるのはよしてこの状況を楽しむことにした。


***


「これから午後のお茶だけど、どう?」


 巡回をしている途中でイアラが声をかけてきた。リシュアは暫く考えた後、ぎこちない笑みを浮かべて頷いた。


「ああ、お邪魔するよ」


 何も気にすることはない。やましいことなどないのだから。そう思うことにした。適当に巡回を切り上げて裏庭へ向かう。白く房になった花が辺りに甘い香りを漂わせ

ていた。イアラがテーブルにティーセットを運ぶのを手伝いながら大きく息を吸い込む。


「いい香りだな」

「でしょ? サキアラっていう花よ。司祭様は白い花がお好きなの」


 白い花は清楚な司祭に良く似合う。そんな事を考えていると後ろから司祭とロタの声が近づいてきた。


「お疲れ様でしたロタ。喉が渇いたでしょう」

「有難うございます司祭様。このくらい訳ないですよ。このところ雨も夜露も少ないから雑草もあまり伸びないんです」


 どきりとして一瞬身構え、何事もないように振り向きお辞儀をする。


「お邪魔しております」


 司祭は微笑んでリシュアに椅子を勧めた。


「いいえ、いつでも歓迎致しますよ。その後身内の方のご病気は如何ですか?」

「有難うございます。もう落ち着いたようでした」


 やや強張った笑顔を病人への心配ととったのか、司祭は労わるような視線を向けて頷いた。


「先日も申しましたが、良かったらいつでもお庭の花をお持ちくださいね」

「はい。有難うございます」

 

 折角ここまで来たのだから、帰りにまた寄ってみようか。そんなことを考えてみる。

 

「お言葉に甘えて今回は頂いて参ろうと思います」


 その言葉に司祭はにっこりと嬉しそうに微笑み、お茶を配っているイアラに声をかける。


「中尉さんがお帰りの時に、何かいいお花を見繕って差し上げてくださいね」


 イアラはリシュアと司祭の顔を見比べて笑顔で頷いた。ここは本当に平和だ。驚くほどに。貴族と軍の対立やイリーシャという怪しい集団と異能者を狙った殺人事件。狙われた宝剣。全てこの寺院を中心に起きていることだというのに、当のこの場所はこんなにも穏やかだ。いつまでもこの平穏が続いてくれることを、リシュアは信仰のない神に祈るばかりだった。


 午後の日差しを避けるように古い煉瓦の壁の手前にテーブルを移動して、4人は午後のお茶を楽しんでいた。切り分けられたマーマレード入りのパウンドケーキが配られていく。


 司祭が慣れた手つきで紅茶を煎れる姿をリシュアはぼんやりと見つめていた。白く細長い指、日の光に紫色に透けた髪。淡い菫色の瞳と長く濃い睫毛。写真の少女が大人になったらこういう美しい女性になるのだろう。しかしその面持ちは優しさの中に凛々しさを持ちそれが男性的な印象を与え、結果として中性的なイメージをもたらしている。


「中尉さんはどう思われますか?」


 司祭の呼びかけにはっと我に返る。


「……え……?」


 頬杖をついていた顔を僅かに浮かせて皆に向けた。3人の視線が自分に集まっている。


「……あ、す、すみません。ちょっと……考え事をしていました」


 言ってから自分の顔が少しにやけ気味に緩んでいた事に気付き、慌てて表情を戻す。ロタは小ばかにしたような顔でフンと鼻を鳴らし、イアラは少し顔を伏せて笑いをかみ殺した。司祭は不思議そうにリシュアを見つめて小首を傾げた。


「大丈夫ですか? お疲れなのでしょうか?」

 

 心配そうに顔を覗き込まれ、リシュアは僅かに顔が紅潮するのを感じて更に挙動不審になる。


「あ、いえ、ご心配なく。何でもありません。……ええと、すみません。何のお話でしたか?」


 なんとか表情を取り繕い、ぎこちない笑顔でたずねると、司祭は柔らかく微笑んだ。


「はい。来月はブドウの花が咲くのを祝う降星祭という祝日があるのです。ささやかですがこの寺院で作ったワインでお祝いをしますので、日頃警備でお世話になっている皆様もお誘いしても宜しいものかと……」

「ああ、そうなのですか。いえ、司祭様さえ宜しければ是非。皆も喜ぶでしょう。お気遣い有難うございます」

 

 本心からそう言った。あれほど頑なに軍の人間を嫌っていた司祭が、自分や部下達を身内の祝日の宴に招待してくれるとは。そこまで心を開いてくれたことがリシュアは何よりも嬉しかった。

 

「良かった。中尉さんの許可があれば安心です」

 

 司祭は嬉しそうに口元を綻ばせてイアラと視線を合わせて頷いた。

 

「たくさん人がいるとお料理も作り甲斐があるわ」

 

 イアラもにこにこと上機嫌だ。ロタは話もそっちのけでパウンドケーキを頬張って一人幸せに浸っている。リシュアは笑顔のまま満足げに紅茶を口に運んだ。


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