第11話 困惑

 約束どおり、遅くならない時間にメイアの家から退散してきたリシュアは、自宅のカウチに寝転がりながら先刻のメモを読み返していた。


 リシュアの質問にメイアが答えるという形で、多くの疑問が短時間で消えたのはとても効率的で非常に助かったと言える。しかしメイアという第三者に頼るだけではなかなか核心に触れる話までは手が届き難い。


 例えばインファルナスのことにしても、それが狙われており少なくとも2つの事件に関わっているという事を明かすこともできない以上は、あまり深く突っ込んだ話はできない。


「さて、後はオクトの情報と聞き込みが頼り、か」


 ばさりと手帳をテーブルに放ると、リシュアは目を閉じた。聞きたかったのは他にもあった。カトラシャ寺院のことや司祭のこと。しかしその質問は何故か口にすることができなかった。理由には僅かに心当たりがある。


「ああ、全く……」


 苛立たしそうにリシュアは呟いた。



 同時に何人もの女性と交際をする自由なスタイルの恋愛の中にも、リシュアは彼なりのルールを設けている。まず、そういう複数の関係を理解できない相手とは男女の付き合いをしないこと。必ずお互いが納得した上で歩み寄ること。そして許容以上に人数を増やさないこと。


 手に負えなくなっては自滅するだけだ。楽しく付き合うためには、きちんとした線引きも必要なのだ。そして会っている間は必ずその相手だけに集中すること。浮ついた気持ちで相対しては失礼というものだ。他の女性の事を話題に出すのはもちろん、考えることもしないように決めている。気持ちが揺らいでいてはそれは必ず相手に伝わるからだ。


「だから何だっていうんだ……」


 リシュアは、自嘲するようにまた呟く。それが今この状況に何の関係があるというのか。何故メイアの前で自分は司祭の話が出来ないというのか。

 その自問にはもう答えは出ていた。明らかに自分は司祭を恋愛の対象として感じ始めている。そうでなければメイアといる時に寺院の事を考えただけで、これほどに罪悪感を覚えるはずがない。


 馬鹿げている。そうも思う。相手は司祭だ。数ある恋人の1人などではないのに。頭ではそう思ってみても妙に気持ちが晴れないことが一層リシュアを苛立たせた。こんなに不安定な気分になるのは一体何故なんだろう。今は事件に関わる謎よりもそちらの方が彼にとって重大な問題になりつつあった。


 リシュアは戸棚の中からウィスキーの瓶を取り出しグラスに注ぐと、気分を晴らそうとするかのように一気にグラスを空けた。何か気を紛らわせるものが必要だ。ぱちりとテレビのスイッチを入れると、丁度夜のニュースを流していた。そのままグラスとボトルを手にカウチに戻り、ぼんやりと画面を見つめる。


 遠くの町で起きた交通事故や市街地の窃盗事件、未遂で終わった強盗事件などが無表情のアナウンサーに読み上げられていく。

 無機質な音楽を聴くような気分で眺めていると少し気分が落ち着いてくるような気がした。まだ世の中は何も変わっていない。今は少し奇妙なことに関わってはいるがその気になれば平凡な日常にいつでも引き返せるのだ。リシュアは短く息を吐き出すと再びグラスを口に運んだ。


***


 気が付けば朝になっていた。結局あのまま一睡も出来ずにぼんやりと砂の嵐になった画面を見つめながら夜を明かした。外では鳥が鳴いている。目の前のボトルは空になっていた。それでもリシュアはまったく酔うこともできず眠くなることもなかった。ただ、苛立ちはどこかに消えていた。


 立ち上がってカーテンを開ける。遠くの空がうっすらと明るく白み始めていた。今日は寺院に行く日だ。しかし全く気が乗らない。しばらく考えた後、リシュアはごろりとベッドに横になった。白い天井を見つめてぼんやりとしているうちにようやく睡魔が降りてきて、リシュアは吸い込まれるように目を閉じた。


 目覚めるとやはり白い天井がそこにあった。部屋は薄暗い。手元の時計を見ると時間は11時半あたりを指していた。まだ眠気の残る頭でそれが昼なのか夜なのかを考えてみた。

 しばらくするとようやく頭が冴えてきて、リシュアはベッドの上に体を起こした。カーテンの隙間からは僅かに日差しがこぼれている。大きく伸びをしてベッドから立ち上がるとそのままシャワーを浴びて身支度を整え始めた。


「仕方ない。出かけるか」


 そう自分に言い聞かせるように鏡に向かって呟いた。すると少し気分が吹っ切れたような気がした。テーブルの上に投げ出されていた車のキーを手に取ると誰もいない部屋のドアを後ろ手に閉めた。

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