第13話 父と子

 少しの間留守をユニーに預け、リシュアは実家に出かけることにした。裏庭に置かれたブリキのバケツの中には色とりどりの花が用意されていた。


「有難う。頂いていくよ」


 新聞紙で包まれた花の束を抱えて行こうとするリシュアにイアラが白い箱を差し出した。


「はい、これ今朝のパウンドケーキ。まだ食べられないかもしれないけど、良かったらお見舞いに。お大事にってお伝えして」


 このために多めに作っていてくれたらしい。リシュアはイアラの心遣いが嬉しくなって思わず顔が綻んだ。


「有難う。容態が落ち着いてたら是非勧めてみるよ。これを食べれば元気になるだろう」


 イアラも微笑んで頷いた。




 2度目の訪問は実にすんなりと足が向いた。むしろ心が躍っていたかもしれない。


「ああリシュア様。お帰りなさいませ」


 ファサハは遠くからリシュアの車を認めて駆け寄ってきた。花束と車の鍵を預け、ファサハの肩に手を置いてにっこりと微笑んだ。


「……ただいま」


 家の者たちは、主に接するようにリシュアを迎え入れた。そこに彼がいることが当たり前のような空気は、リシュアの足取りを更に軽いものにした。

 古いながらも良く磨かれて、しっとりとした色に落ち着いた廊下を静かに歩いて、父の部屋へ向かう。階段に敷かれたカーペットは上品な赤で、やはり時代を感じさせるが味わいがあった。

 柔らかい感触を踏みしめて2階へと足を運ぶ。父の寝室は廊下の突き当たり、両開きの大きなドアのついた部屋だ。部屋の前には若いメイドが立っていた。


「入ってもいいかな」


 リシュアの問いに柔らかい笑みで答えて、メイドは片側のドアをそっと開けた。ドアは音もなく開く。

 父は少し体を起こしたような状態でベッドに寝ていた。やはり細い腕に点滴の管をつけたままだったが、心なし顔色は良くなっているようだった。人の気配を感じたのだろう。静かに目を開けると、リシュアを見上げた。


「……おかえりカスロッサ」


 幼い頃の呼び名でそう呼ばれるとひどくくすぐったい気がした。リシュアは優しく微笑みを返す。


「ただいま父さん。また来たよ」


 父──ルーディニア・アム・テリアスは静かに頷き、じっと息子を見つめた後に開け放たれた窓の外に目をやった。


「風が気持ちいいな」

「ああ、そうだね」


 先ほどの若いメイドが陶器の花瓶に活けられた花を手に部屋へ入ってきた。リシュアが寺院から貰ってきたものだ。


「リシュア様からのお見舞いの花です」


 枕元まで持って見せるとテリアスは顔を近づけて香りを楽しんだ。


「有難うカスロッサ。綺麗な花だ」

「仕事先の人が丹精を込めて育てた花を頂いてきたんだ。父さんにお大事にと言っていたよ。それと菓子も頂いたので体調のいいときにでも食べて」


 テリアスは微笑んだまま頷いた。


「疲れてしまうといけないからもう行くよ。また時々来るから」


 嬉しそうに息子を見つめる父にリシュアは語りかけ、枕元に菓子の箱を置くと静かに部屋を後にした。

 お茶を勧めるファサハに新都心で買った菓子を渡し「留守を預けてきたから」とまたの約束をして車の鍵を受け取った。


 リシュアの母が、生前大層好んでいたという赤いバラのアーチ。それを横目で見ながら車へと向かうと、正面の門から黒塗りの大きな車が、ゆっくりと進入してきた。

 車から降りてきた人物を見て、リシュアは思わず硬直した。

 ドリアスタ侯爵だ。

 ステッキを手に、真っ直ぐ玄関へと向かって歩いていく。ファサハが丁寧に迎え入れる。

 すれ違いざまに、一瞬ちらとリシュアを見たようだったが、眉ひとつ動かさずに悠然と館の中へ消えていった。当のリシュアは蛇に睨まれた蛙のように固まったままだった。

 続けて車の中から降りてきたのはアンビカだ。 


「やだ。あなた来てたのね」


 父とリシュアが遭遇したことを察して、気まずそうに笑う。リシュアは浮かない顔で軽く頷いた。アンビカはちらりと屋敷の方を見やってから、リシュアに向き直った。


「お父上にはもう会った?」

「ああ、思ったよりも顔色が良かったよ。改めて有難う。来て良かった」


 いやに真面目に礼を述べるリシュアに少し照れたようにアンビカは目を泳がせた。少しの沈黙の後、アンビカが覗き込むようにしてリシュアにたずねた。


「ねえ、やっぱり続けてるのね、寺院の警備。辞める気はないの?」


 リシュアは少し困ったような笑顔を浮かべて頭を掻いた。


「居心地が良くてね」

「ふうん。あなたらしくもないわね」


 アンビカは腑に落ちない顔だ。リシュアはふと思い立ってアンビカに質問を投げかけた。


「なあ。司祭様は前皇帝の忘れ形見だったよな」

「そうよ。何を今更」


 アンビカの顔がますます渋くなる。リシュアはどう話を切り出そうかと逡巡した後、思い切ってストレートに聞いてみることにした。


「司祭様ってもしかして女か?」


 アンビカの顔色が明らかに変わった。


「……そんなこと聞いてどうするつもりよ。まさか軍はそんなことまで調べてるの?」

「あ、違う違う。単に個人的な興味さ。ほら、男には見えないくらい綺麗だろ。だからなんとなく気になってな」


 さりげなく言ったつもりだったが、アンビカは全てを把握したらしい。更に険しい顔になり、リシュアの腕をぎゅっとつねった。


「あのね。あなたが大馬鹿なのは分かるけど大概にしなさいよ。……全く呆れたわ。司祭様はあなたの俗な遊びなんかの対象にしていいお方じゃないのよ! 恥を知りなさい恥を!」

「いてててて。違う、違うって。ちょっと気になっただけだって」


 容赦ない仕打ちに思わず情けない声を上げる。


「……それならいいけど。いい? 絶対に不埒な考えを起こすんじゃないわよ!」


 鋭い眼差しに見上げられて、リシュアは無言のままうんうんと頷いて見せた。暫く睨みつけた後、アンビカはぷいと踵を返して父の後を追うように屋敷の中に姿を消した。

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