風が吹く前に 第二章
第1話 新都心
「もう少しいかが?」
小ぶりのスコーンが並べられた皿が差し出された。焼きたての菓子からは芳ばしい香りが漂っている。
「頂こう」
そろそろお腹は満ちていたが、イアラが作ったスコーンは絶品だ。リシュアは遠慮なくコケモモ入りのものに手を伸ばした。
あの事件からもう早いもので2ヶ月が過ぎようとしていた。
あれ以来、こうして週に1,2度午後のお茶の席に呼ばれるのがリシュアの習慣となっていた。初めは言葉少なだった司祭とも、徐々に会話が増えていった。
「このコケモモもこの庭で採れたものなのです」
静かに言って司祭は葡萄畑の奥に広がっている青々とした灌木を指した。僅かに微笑んでいるようにも見える。そんな表情の変化がリシュアにはとても嬉しかった。
司祭が指した先には他にも葉を落とした木々が高さもまちまちに、しかし整然と植えられている。
「ここの全てを司祭様がお世話されているんですか?」
「ロタが本当に良く頑張ってくれていますから。私はほんの少しだけ……」
誇らしげにそう話しながら目を輝かせ、陶器のような白い肌を少し赤く染める。子供達の話をする時の司祭はとても嬉しそうだ。そんな司祭の姿を微笑ましく見つめて、リシュアは何杯目かの紅茶を口に運んだ。
褒められたロタも顔を赤らめて、照れ隠しにチーズとハムのサンドイッチを勢い良く頬張った。和やかな午後のひとときを祝福するかのように、もう寒さを感じない風が優しく庭を吹き抜けていく。
そろそろ冬も終わりを迎えようとしていた。
***
翌日は休暇をとって、司書のメイアとの博物館デート。行き先が少々硬いが、相手が相手だけに仕方がない。リシュア自身も興味があったので、歴史資料室などは楽しく閲覧することができた。
天井の高いモダンな造りの館内には学生達の集団に混じって、若い男女の姿も割と多く見られる。近頃はどうやら歴史を感じさせる物事が流行りになっているようだ。
メイアはまるで遊園地に来た子供のようなはしゃぎ振りで、古代文明の出土品についてひとつひとつ熱っぽく語り続けた。リシュアはそんな彼女を愛らしいと感じ楽しげな同伴者の言葉に耳を傾け、会話を楽しんだ。
しばらく館内を歩いた後、美術品が並べられたガラスケースの前に着いた。宝石をちりばめた金の酒盃や宝剣などがまばゆい輝きを放っている。
ふとリシュアは例の宝剣のことを思い出した。
「ゲリュー皇家の宝剣なんて、聞いたことはあるかな」
熱心にケースの中を覗き込んでいたメイアの動きが止まった。ゆっくりとリシュアに向き直り、しげしげと顔を覗き込む。
「あら、意外ね。あなたはそういう事にはあまり詳しくないと思っていたけれど……」
「寺院でちょっと小耳に挟んだものでね」
リシュアは肩を竦めて見せた。メイアは少しゆっくり息を吸い込むと、一気に話しはじめた。
「ゲリュー皇家の宝剣は「インファルナス」って名前なの。言い伝えでは古代の王族からその時々の権力者に綿々と受け継がれているそうよ。神から授かった剣だという伝承もあるわ。まさに権力の象徴で、宝剣を持つものに王位が移ると言われているの」
そこで話を切り、ちょっと小首を傾げて再び口を開いた。
「その剣はちょっと曰く付きでね……。ううん、なんていうか、これも言い伝えなんだけど」
歯切れ悪く言いよどむが、リシュアが真面目な顔で聞き入っているのを見て更に続けた。
「ルナス正教で言うところの「天女」を傷つけられる唯一の武器という意味で「天女殺しの剣」とも呼ばれているのよ」
メイアはちょっと苦笑していた。オカルトめいた言い伝えを話して笑われるのを確信していたのだろう。
しかしリシュアは内心穏やかではなく、笑うどころではなかった。王家の権力そのものとしての剣。それを軍は証拠品と称して手中に収めてしまっている。一方司祭達はあの事故で剣が焼失したと思っているのだ。
司祭に伝えるべきだったのだろうか。しかし事実上今の司祭に皇族としての権力はないに等しい。今更宝剣を失ったところでその地位に大きな影響はないだろう。それより下手に話しては余計な心配事を増やすだけではないか。軍に対する不信感を煽っては今の良好な関係が壊れるのでは、という個人的な憂慮もあった。
「ねえ、大丈夫?」
難しい顔で黙りこんだリシュアにメイアが声をかける。その声にはっとしてリシュアは顔を上げた。
「あ、ああすまない。ちょっと歩き疲れたかな。カフェで一息入れようか」
メイアの背に軽く手を副えてリシュアはいつもどおりの顔に戻って歩き出した。
***
夜景の綺麗なレストランでディナーを楽しんだ後、リシュアはメイアを家まで送り届けた。
「楽しかったわ。あなたといると時間が経つのが早いわね」
メイアは柔らかい髪をかき上げて、リシュアの胸にそっと手を当てた。
「君との会話も時間を忘れさせるよ」
リシュアは微笑んだまま少し屈んでメイアの目を見つめている。メイアがリシュアの首に手を回し、ゆっくりと口付けた。そのまま長いキスを交わす。
お互いの顔が離れた後、少し大きく息を吸ってからメイアはにっこりと微笑んだ。
「今日は有難う。明日早いからもう寝るわ。おやすみなさい」
そうして固まった笑顔のままのリシュアを残して、無情にもバタンとドアを閉めた。
「……またか」
リシュアはがっくりと肩を落とす。
メイアとはいつもいい雰囲気にはなるものの、どういうわけかいつもこうして肩透かしを食らわされている。
身の守りが堅いのか、はたまた遊ばれているのか。
ぽりぽりと頭を掻いて堅く閉ざされたドアを見つめた後、リシュアは車に乗り込みアクセルをふかした。腹を立てているわけではない。しかしもう何ヶ月も気を持
たせたままどこか気を許さないメイアの態度は腑に落ちなかった。
やりきれない思いを吹き飛ばすかのようにスピードを上げて、細い路地へ入ったその時だった。
白い人影がいきなり飛び出してきた。
慌ててブレーキを踏み込む。キーッというブレーキ音と共に、間一髪車は急停止した。暗い路地に赤いブレーキランプが鮮やかに浮かび上がる。
「何やってんだ!」
「ちょっと! 危ないじゃない!」
同時に叫んでから、お互いをしげしげと見やる。
「……リシュア?」
「アンビカ……か?」
飛び出してきた白い影の正体はアンビカだった。オフホワイトのワンピースにパンプス、肩に淡いオレンジのショールを巻いている。新都心では良く見かける格好だが、侯爵のご令嬢にはおおよそ似つかわしくない姿だった。
「何やってるんだお前、こんな時間にこんなとこで」
責めるような口調に、アンビカは噛み付くように抗議する。
「あなたに関係ないじゃない。それよりこんな狭い道であんなスピード出して……どういう了見よ!」
一瞬の沈黙。リシュアはため息をついて両手を挙げて見せた。
「分かった分かった。悪かったよ」
あっさりと降参した相手にアンビカも勢いを失って口ごもる。
「……分かればいいのよ」
そのままお互い黙ったまま視線を逸らしていたが、遠くで大きなエンジン音が行き過ぎるのが聞こえてきた。するとアンビカがハッとしたように顔を上げた。
「あ……! バス、最終だったのに!」
その声が先程までの勢いに比べあまりに情けないものだったので、リシュアは思わずくすりと小さく笑った。それに気付いたアンビカが恨めしそうにじろり、と睨む。
「すまんすまん、そう怒るなって。お詫びに送るよ」
人懐こい笑みで素直に謝るリシュアに、ついアンビカの表情も緩む。仕方ないわね、と小さく呟いて助手席のドアを開けて優雅に乗り込むと、ふう、と息を吐いた。
車の中は暖かく、耳に心地よい音楽が静かに流れていた。メイアが残したコロンの残り香があったが、アンビカはそれとは気付いていないようだった。
「そういえば、パーティーでは失礼をしたな。急に仕事で呼び出されてね」
静かに車は走り出した。今度はゆっくりと慎重に細い路地を進んで行く。
「いきなり姿を消されるのにはもう慣れたわ」
悪気はないのだが、言葉に棘があるのは彼女の生来の性格らしい。言われたリシュアも慣れっこのようで、気にもせず愉快そうに笑っている。
そしてふと何か思いついたように車を止め、ハンドルに片手をかけたままアンビカに向き直った。
「良かったら寄って行かないか。この前は結局飲み物にありつけなかったからな」
寺院で姿は見かけるものの、声をかけることもできずにいたことがずっと気になっていたのだ。パーティーでレディに待ちぼうけを食わせた謝罪をしたいとリシュアは常々思っていた。
アンビカはしばらく膝の上のバッグを見つめて考えた後、小さく頷いた。
「そうね。ちょっと飲みたい気分だわ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます