第13話 輝く庭


 定時でオフィスを後にしてリシュアは駐車場へと向かった。車のキーを捜してあちこちのポケットを探る。すると手に何かの紙が触れた。取り出すとそれはクリーニングの預け札だった。


「しまった……すっかり忘れてたな」


 あの庭で、イアラが手渡してくれた毛布をずっと預けたままにしていたのだ。紙を手にしばらく悩んだ後、リシュアは車を街に向かってスタートさせた。


 寺院に着いた頃にはすっかり日が傾いていた。門の手前で立ち止まったまま思い悩んでいるリシュアの髪を、先程まで吹いていた風の名残りが弄ぶ。意を決して門をくぐる。ひと気のない庭を通り礼拝堂に入ると、イアラが祭壇の前に立っていた。彼女はバケツと布を手に祭壇の掃除を始めようとしているようだった。


「こんにちは」

「やあ」


 簡単に挨拶を交わすと、後は二人とも黙ったままお互いを見つめていた。


「ロタのこと……有難う」


 はじめにイアラが切り出した。


「いや、こちらこそ、これ」


 リシュアが手にした毛布を少女に差し出した。彼女はそれを黙って受け取った。


「「あの」」


 二人同時に何かを言いかけた時、礼拝堂の入り口に聞き慣れない足音が近づいてきた。リシュアが音の方を見やると、ステッキを手にした紳士がゆっくりと礼拝堂に近づいてきていた。


「うおっ」


 思わず呻いて、リシュアは咄嗟に祭壇の陰に身を隠した。逆光で顔はよく見えなかったが、その姿をリシュアは見紛うはずもなかった。

 紳士の名はドリアスタ・ルジュ・ギルダール侯爵。貴族院の長であり、アンビカの父……つまり本来ならリシュアの舅となっていたかもしれない男だ。


 侯爵は長い黒髪を胸元できっちりと切り揃え、正装に身を包んでこちらへ向かって悠然と近づいてきた。切れ長の鋭い目には全くと言っていい程に隙がない。


「いらっしゃいませ、侯爵様。司祭様は控え室でお待ちです」


 イアラが丁寧に挨拶をすると、侯爵は黙って頷き、奥の部屋へと姿を消した。


「行っちゃったわよ」


 その声を聞いて、リシュアはようやく亀の子のように祭壇から首を出した。イアラはそんなリシュアを不思議そうに見下ろしている。


「いやなに。俺はどうも貴族が苦手でね」


 良く分からない言い訳を呟きながら這い出すと、ふう、と大きく息をする。


「何しに来たんだあのオヤジ……」

「明日のミサで話す経典の打ち合わせよ」


 イアラの顔が少し曇ったのをリシュアは見逃さなかった。問う代わりに、その目を静かに覗き込んだ。


「司祭様はルナスの経典があまりお好きではないの。でもダメ。話すことは全て貴族院の偉い人達が決めているのよ」

「……へえ」


 意外な答えにリシュアは軽い衝撃を感じていた。あの嫌悪感を誘う説教が、実際は強要されてのものだったとは。


「軍人にここに閉じ込められて……貴族に経典を押し付けられてる。私達は、何もして差し上げられない」


 イアラはそれきり何も言わずに祭壇の掃除に戻った。リシュアはかける言葉もなくその姿を見つめていた。


「もうここに用はないんでしょ」


 俯いたままイアラがぽそりと吐き出した。リシュアは何故か冷水をかけられたような気分になった。これは後悔だろうか。このままここを離れてしまうのはまだ早い。そんな気がした。


「明日のミサの警備は俺がいないと人手が足りないかもしれないな」


 イアラは手を掃除の手を止めると、リシュアの灰色の瞳をじっと見上げた。その目は心無し微笑んでいるようだった。


***


 翌日は今までにない快晴となった。人々は脱いだコートを手に寺院の門をくぐり、次々に席に付く。リシュアは例の場所に腰を据えてミサの開始を待った。


「事件が片付いたからといって気を抜くなよ」


 リシュアが無線で檄を飛ばすと、美しい姉妹を目で追っていたムファが姿勢を正す。

 例の事件は表沙汰にはならず、橋の上での交通事故として処理されていた。人々は何も知らずに平穏そのものの様子で笑いさざめき合っている。

 いつものようにベルの音が鳴り、ミサが始まった。リシュアは光り輝く司祭の入場を見つめた。歌が終わり、説教が始まる。すべてがいつもの通りの穏やかな週末。

 厳かな口調で司祭が語るのは、異教徒を虐殺した英雄の物語。司祭の顔に感情の揺らぎは見られない。


「司祭様はルナスの経典があまりお好きではないの」


 イアラの声が蘇る。


「軍人にここに閉じ込められて……貴族に経典を押し付けられてる」


 リシュアはふいに昔聞いた噂話を思い出した。20年前のクーデターの時、離宮に軟禁される予定だった皇帝と皇后は、移動中の事故で亡くなった。その事故が陰謀だったのでは、と当時ゴシップ誌は書きたてたそうだ。真相は今もって分からないが、両親を突然失い寺院に幽閉され続けた司祭が軍人を警戒するのはあまりにも当然ではないか。


 司祭は祭壇の上で気高く美しく輝いている。しかし本当に気を許せるのはたった2人の年端も行かない少年と少女だけなのだ。いつしか司祭の言葉も耳に入らなくなり、その気丈な姿をリシュアはただ見守っていた。


 何事もなくミサは終わり、また静かな午後が訪れた。リシュアは日の当たる庭の石畳に立って寺院を眺め続けた。どのくらいそうしていただろう。小さな足音がためらいがちに近づいて来るのに気付いてリシュアは振り向いた。愛用の箒を手にしたロタが驚いたように足を止める。


「よ、よう」


 少年はそれだけ言うと、黙り込んでじっとリシュアを睨みつけている。


「何だ」


 言いがかりをつけられる覚えのないリシュアは強気で答えた。ロタはぐっと答えにつまり、しばらくもぐもぐと言いよどんだ後に大きく息を吸った。


「こ、この前は悪かったよ!」


 そう怒鳴るように叫ぶ。


「後でイアラに聞いたけど……司祭様が剣よりおいらを助けるように言ったって……」


 その顔は赤く、尖らせた口はまるで怒っているかのようだ。それでもそれがこの少年なりの精一杯の謝罪なのだと察してリシュアは自分の口元が緩みそうになるのを必死で堪えた。


「全くだ。それをあんな言われようじゃ俺だって立つ瀬がないさ」


 つんと言い返されて、ロタの顔はますます赤くなり、うーっと唸って箒を握り締めた。


「ほんとごめん! それと……有難うな!」


 勢い良く頭を下げたまま動かない少年の頭をしばらく眺めた後に、リシュアはその髪をくしゃりと撫でた。


「冗談だよボウズ。気にすんな」


 驚いたように上げた目線の先には優しく笑うリシュアの顔があった。ロタの顔に一瞬安堵の色が浮かぶ。が──


「ボウズって言うな! おいらはロタ・ロタだ!」


 今度は屈辱で真っ赤になるロタの抗議の声を笑ってかわして、リシュアはその場を去ろうと少年に背を向けた。


「あ、おい、待てよ」


 慌てたようにロタが呼び止める。


「司祭様がお呼びなんだ。ちょっとこっちに来い」


 相変わらず命令口調のロタが寺院の中を指し示し、そのまま中へ姿を消した。リシュアは怪訝そうな顔で後を追う。


 庭師小屋へと続くドアの前でロタは立ち止まり、リシュアを待っていた。


「庭仕事には興味がないが……」


「いいから入れよ」


 いぶかしむリシュアの言葉を遮ってロタがドアを開けながら再び命令した。小屋は薄暗くそれほど大きくはなかったが、良く整頓されていて広々として見えた。


「おいらもイアラもおんなじ気持ちだけど、なにより司祭様がお前に感謝してるって」


ロタはまっすぐに小屋を横切り、庭へと続くドアに手をかけた。


「お礼にお茶に招待したいって、司祭様が」


 ドアが開いた。

 外からの明かりで一瞬視界が真っ白になる。リシュアは薄めた目を開けた。日当たりの良い裏庭に丸いテーブルが据えられ、彩りの良いティーセットが並べられていた。

 正面に司祭が座っている。その表情は穏やかだ。隣で少女が微笑んで手招きをしている。


「ほら、来いよ」


 隣の少年が駆け出した。

 誘われるままリシュアは輝ける庭へと足を踏み入れた。


                         第一章 完

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