第11話 縮まぬ距離


 寺院に向かう信号待ちの車の中で、リシュアは封筒から報告書を取り出して眺めていた。途中科学班に寄って受け取って来たものだ。昨晩ムファが届けた例の血液の分析結果が事細かに記されている。


「人間……なのか」


 他の細かい記載事項は良く分からなかったが、とりあえずあの侵入者は人間に間違いはないようだ。アルジュの言う通り、何か特殊な技術を用いているのだろうか。

 信号が青に変わった。

 できれば中将に報告などせずに済ませたいリシュアは苦い顔で車をスタートさせた。


 浮かない顔で入って来た上司を見て、警備室の面々は談笑をやめ、ボードゲームの手を止めた。


「とりあえずヤツは人間らしい。詳しい結果はまた後で入るが、魔物やお化けではないようだな」


 前置きなしでリシュアは部下達にそう伝えた。


「それは朗報ではないのですか」


 ビュッカがいぶかしげに尋ねた。


「だといいがな」


 リシュアはコートをソファに投げ出し、隅の方に腰掛けた。ムファは慌てて席を譲って立ち上がった。


「もしもアルジュの言うように特殊装置を使っているなら、後ろにはかなり面倒な相手がいるってことだ。我々だけでは手に負えないとなると……本部の奴らが干渉してくるかもしれん」

「それは……貴族院も黙ってはいないでしょうね」


 厳しい面持ちでビュッカは上司の言葉を継いだ。


「厄介な事にならにゃあいいが……」


 溜息まじりに呟かれたその言葉に答えるものは誰もいなかった。



***



 ビュッカとユニーは通常よりも念入りな見回りに出かけていった。残ったアルジュとムファに血痕が消えた台所近くからの捜索を命じ、リシュアは司祭の姿を探した。

 すぐにリシュアは礼拝堂で司祭の姿を見つけた。

 司祭は祭壇の上に佇んでいた。

 昨日イアラが飾ったルニスの花をじっと見つめているようだった。

 表情を窺い知ることはできなかったが、その背中はやけに小さく見えた。リシュアは違和感を感じた。

 その後ろ姿には威厳も威圧感も感じることはできなかった。線の細いその体は支えねば倒れそうにさえ見えた。

 昨日の堂々とした姿とはまるで別人ではないか。声を掛けるタイミングを見出せず、リシュアはじっとその背を見つめ続けた。


 その時だった。


「中尉、ちょっと来て頂けますか。キッチンの地下に何かあります」


 無線からムファの声が響き渡った。はっとして司祭が振り向いた。

 目と目が合った。

 司祭のただ驚いたような表情が、一瞬で氷の仮面に覆われた。


 何をやっても無駄。どう頑張っても司祭の態度が変わることがないということを改めて思い知らされる。この貴人と距離を縮めようとすればするほど隔てられた壁が厚くなるのだ。


「分かった。今行く」


 視線を逸らせぬまま無線に向かってそう答えると、司祭に向かって軽く一礼した。


「お邪魔かと思いまして声を掛けそびれました。失礼致しました」


 空しい気持ちで受け入れられることのない謝罪の言葉を述べる。


「何か分かったのですか」


 リシュアを見下ろしながら、司祭は抑揚のない声で短く尋ねた。


「はい。例の侵入者は人間に間違いないということでした。そしてこれは私の想像なのですが……」


 リシュアは司祭に歩み寄った。


「司祭様、ここには何か狙われるような宝物がありますね」


 短く、強く尋ねると、司祭の表情が強張った。


「信用しろとはもう申しません。あなたが我々を敵視するならそれでも構いません。ですが、我々にもあなたやこの寺院を護るという任務があります。後で宝物庫をあらためさせて頂きます」


 いつになく強い語調で一気に言い切った。司祭は黙ったままだった。

 答えは必要ない。リシュアは更に続けた。


「部下が何か見つけたようですので一旦失礼致します。後ほど改めてお伺いしますのでお部屋で待機していてください」


 そう言って再び軽く一礼すると、きびすを返して足早に立ち去った。

 後に残されたのは、思い詰めたように顔を強張らせた司祭と静寂だけだった。




 キッチンの前には二人の姿はなかった。


「着いたぞ。どこにいる? 何を見つけた」


 リシュアは無線に向かって問いかけた。


「今そちらへ行きます」


 ムファの声が答えて間もなくキッチンの地下倉庫からその姿を現した。


「ちょっと狭いですよ」


 そう言うと大きな体を縮めて再び潜った。リシュアはその後を追った。地下倉庫は幾度となくチェックしたはずだった。


「こっちに隠し扉があったんですよ」


 そう言って古い板を打ち付けた壁の一箇所を押すと、壁と思われていた部分が奥へとスライドした。


「ほう」


 リシュアは興味深げにその隠し扉をしげしげと見つめた。


「最近何度か使った跡がある……。しかしよく見つけたな」


 ムファは得意げに胸を張って見せた。


「地道な作業が結果を生むんです」

「うっかり転びかけて手をついただけじゃない」


 扉の奥から響くアルジュの冷めた声が真相を明かした。


「うるさい。運も実力のうちだ」


 ムファは振り向いて抗議すると、気まずそうに笑って見せた。


「まあいい、よくやった」


 リシュアはライトを点けて扉をくぐると、ムファを手招きした。扉の奥は意外と広い通路が続いており、屈むことなく奥へと進むことができた。通路は岩をくり抜いたもののようで、壁には細かいノミの痕が刻み込まれている。


「かなり古そうな通路ですね」


 ムファが壁を撫でて手に付いた埃を払いながら呟いた。


「昔ここは砦だったこともあるからな。その時の隠し通路の名残だろう」


 先頭を歩くリシュアはゆっくりと周りを見回しながら奥へと進んでいった。通路は緩やかに下方へと伸びて、何度か硬い岩盤を避けるようにカーブを描いていた。


「そこです」


 ムファが指した前方に照らし出されたのは、無数のゴミと古い毛布が敷かれた寝床らしきものだった。


「まるで巣穴だな」


 リシュアが漏らした通り、それは穴熊か何かの棲家のようだった。空き瓶や菓子の空き箱、野菜の切れ端などを避けて奥へ行くと、寝床の毛布の中に血で汚れた古布が散乱していた。


「庭師の小僧もこれでつまみ食いの汚名を晴らせるな」

「警備室も荒らしていたようですね。油断がならないやつだ」


 ムファは舌打ちしてユニーの名前の書かれた菓子箱をつまみ上げた。アルジュは寝床や床に手を当てた。


「かなり冷えていますね。もうどこかへ移動したのかもしれない」

「痕跡が消えないうちに追わないと厄介ですね」


 3人は来た道を引き返し始めた。地下からキッチンに這い出した時、リシュア達はただならぬ叫び声を耳にした。


「お願い……誰か! 助けて!!」 



 声の主はイアラだ。弾かれたように走り出す。アルジュとムファも慌てて後を追った。

 断続的に叫び声が続いている。声は宝物庫の方から聞こえていた。


「ロタ!」

「ちっくしょー! 放せ!」


 角を曲がったリシュアの目に、異様な光景が飛び込んできた。

 空中に、ロタが浮いている。

 じたばたと手足をばたつかせて体を浮かび上がらせたまま、何かを激しく拳で叩いていた。目の前のその何かは完全な透明ではなく、陽炎のようにうっすらと人の形をした影になっていた。

 その影はロタを小脇に抱えるように抱き上げているのだ。


「司祭様! おいらはいいからこれを……!」


 よく見ると、ロタは影が持っている刀のようなものに必死でしがみついていた。


「いけません! 放しなさいロタ!」


 司祭は青ざめた顔でロタに近づこうとしているが、イアラがそれを全力で押しとどめている。


「軍人さん! お願い、助けて!!」


 リシュア達の到着を知り、イアラは懇願した。その叫びに反応したように、影は大きく動いた。リシュアが銃を出して構えた時、影はロタを抱えたまま既に走り出していた。


「追いかけろ! 逃すな!」


 二人にそう指示して、リシュアは後に続こうとする司祭の手を掴んで止めた。


「後は任せて! 何があったんですか?!」


 血の気のない顔の司祭は動揺のためか視点が定まらない様子で、ロタと影が去った後を目で追っていた。


「すみません……私が勝手にここを開けたせいで……ロタが」

「何か盗られたんですね?!」

「王家の宝剣よ。軍に奪われる前に隠さなきゃって……」


 イアラが代わりに続けた。司祭は今にも崩れ落ちそうになっていた。抱きかかえるように支えると、リシュアはそのまま司祭をイアラに預ける。


「大丈夫。逃げられはしませんよ。宝剣は必ず取り戻しますから!」


 そう告げて走り出そうとしたリシュアの腕を、司祭の細長い指が捉えた。


「剣よりも……ロタを! あの子を……無事に取り戻して下さい! お願いです!!」


 すがるような表情で訴えた。リシュアは無言で頷くと、影と、部下達の後を追った。


「今、勝手口です中尉! 奴は裏から出るつもりです!」


 無線からムファの声が途切れ途切れに聞こえてくる。廊下の向こうから、連絡を受けた残りの2人も駆けつけてきた。


「お前達は橋に回りこめ! 絶対に逃すなよ!」


 リシュアは全力で駆けた。足には自信がある。すぐにムファ達に追いついた。影はロタを抱えたまま勝手口を飛び出す。

 ごお、と風が鳴った。

 夕刻、風がまた強くなる時間になっていた。寺院の敷地内は外壁に護られているが、門をくぐれば外は嵐のような風が吹きすさんでいるはずだ。

 食料庫の角を曲がった所で、一瞬影を見失った。


「そっちに行ったぞ!」

「こっちにはいません!」


 挟み撃ちにしたはずだったが、そこに影とロタの姿はなかった。


 その時、下方から車のエンジンをかける音がした。一瞬顔を見合わせ、リシュアとムファは再び駆け出した。

 ガスをタンクに補充をするための車が作業の途中で停めてあったのだ。

 通常は使わない作業車用の細い道路をゆっくりとバックしていく赤い小さなトラック。助手席にいるロタは運転している影に掴みかかっている。リシュアはトラックに駆け寄り、助手席のドアに飛びついた。


「もうよせ! 後は任せて降りるんだ!」


 開いた窓から制止するが、ロタは耳を貸さない。


「邪魔すんな! 司祭さまの大事なもんだ! 絶対取り返して……」


 がたん、と花壇に乗り上げたトラックはそのまま切り返すと、猛然とスピードを上げて木戸に突っ込んだ。車のドアに取り付いたままのリシュアの背に、粉砕された木戸が激しくぶつかった。一瞬息が止まる。


「……っ! いい加減にしろ!」


 リシュアはドアを開けて車に乗り込んだ。ロタは影にしがみついたまま体を伸ばして宝剣を掴もうと躍起になっている。


 木戸の外は強風が吹き荒れていた。

 トラックは風に煽られて蛇行をはじめる。影は宝剣を持った手をハンドルに副えた。すかさずその見えない手を掴んだロタは、そのまま思い切り歯を立てた。


「うああっ」


 驚いたような叫び声と共に、宝剣がその手から落ち、運転席の床に転がった。トラックは蛇行しながらもスピードを上げていく。もうロタを下ろす余裕はなかった。リシュアは足を伸ばしてブレーキを踏もうとするが、ロタの体が邪魔になって届かない。

 見えない手がリシュアの鼻柱をしたたか殴りつけてきた。激痛で一瞬視界が真っ白になる。そうしている間にも風は狂ったようにトラックを弄び、もはや抑制の効かなくなった車体は橋の欄干に何度も車体を擦りながらただ坂を落ちていく。

 もう持たない。

 咄嗟に判断したリシュアはロタの体を引き寄せた。そして床に落ちている宝剣に手を伸ばす……が、揺れる床の上で踊る宝剣に僅かに手が届かない。


「くそっ」


 リシュアは凹んで開かなくなったドアを蹴り落とし、ロタの体を抱きかかえるように車から飛び降りた。何度か強く体を打ちつけた後、ごろごろと転がってリシュア達の体は止まった。

 ロタを起こしてやる。ざっと見たところ怪我はないようだ。

 リシュアが視線を移した時、トラックはまさに回転したまま橋の側壁に激突するところだった。

 鉄がひしゃげる音。そして一瞬の後、どん、という音と共に衝撃が全身に響いた。トラックはタンクの部分から火が出たかと思うと火柱を上げ、見る間に炎に包まれていく。炎は強風に煽られて生き物のようにうねり、黒煙を吐いて勢いを増していった。


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