第10話 探索


 その夜はイアラとの約束通り、寺院内を探索するために全員が居残りとなった。当直の予定のなかったユニーは母親に、ビュッカは恋人にその旨を告げる電話を入れた。ムファはそれをニヤニヤと眺めては冷やかし、受話器を置いたビュッカに額を小突かれていた。


「さて諸君」


 にわかに探索隊の隊長となったリシュアは皆をぐるりと見回した。


「蝙蝠でもイタチでもコソ泥でも構わん。怪しいものは全てとっ捕まえて来い。2人1組になって行動し、なにかあったら逐一無線で知らせるように」

「はい、隊長!」


 こうして物々しく探索が始まった。ユニーとビュッカ、そしてアルジュとムファがそれぞれ二手に別れ闇に消えていった。リシュアも昼にロタから受け取った鍵束を手に警備室を後にする。キッチンや食料庫、書庫や応接室を見回った後に辿りついたのは例の大広間だった。


「夜分に失礼致します。宝物庫を点検したいと思いますので、恐れ入りますがご案内頂けますか」


 電話で司祭に告げると、暫くしてあの時のようにドアが開いた。


「どうぞ」


 ランタンを持った司祭がやはりあの時と同じように現れ、しかし今度は中へとリシュアを招いた。高い天井の長い廊下には、ぽつんぽつんと小さな灯りがあるだけで、ランタンが放つ光は闇に飲まれそうに見える。リシュアは手にしたライトで隅々を照らしながら、異常がないことを確かめ、耳を澄ませた。

 

 司祭は終始黙ったままで、そのサンダルは音も立てずに歩を進め、ローブがたてる衣擦れの音だけが廊下に響く。後を追うリシュアはなにか会話の糸口を見つけようと必死になったが、頭に浮かぶのはミサでの司祭の言葉だけだった。この居心地の悪い沈黙をなんとかしたいとは思うが、あの教えに迎合する気には到底なれない。そんな思いがぐるぐると頭を巡って、結局かける言葉は見つからなかった。


 長い沈黙にリシュアが耐え切れなくなる頃、ようやく二人は宝物庫の前に着いた。

 それは部屋というよりは金庫に近かった。頑丈なアーチ型の鉄製の扉にはやはり鉄製の太いかんぬきが掛けられている。閂には大きく堅固な錠前。


「ここは普段は滅多に使いません」


 司祭の声は少し不機嫌そうだった。そしてその言葉通り、閂と錠前は少し錆付いている。見守るリシュアはやはり司祭に返す言葉が見つからずにいた。居心地の悪い沈黙が続く。司祭は諦めたように鍵束の中から一際大きな鍵を取り出すと錠前に差し込んだ。


 その時だった。


「待って」


 リシュアは鋭く制した。

  司祭の手が止まる。

 リシュアは司祭を守るような体勢で身構えたまま、宝物庫の前の廊下や天井をライトで照らした。


「何か……居ます」


 どこからか鋭く見つめる視線と、消しきれない気配を、リシュアは確かに感じていた。

 リシュアは目を凝らして辺りを見回した。広い廊下はただがらんとして、視界を遮るものは何もなかった。暗いとはいえ、何かがそこに居ればすぐに分かる程度の灯りはあった。それでもリシュアの目はそこに人影を見出すことはできなかった。


 この気配は小動物のような類のものではない。それだけははっきりと分かった。リシュアは銃を構えながら慎重に廊下を進んだ。何かとてもいやな感じがした。息を殺して進んでいく。

 数歩進んだところで、彼は自分のすぐそばで何かの息遣いをはっきりと感じ取った。

 ほぼ同時にリシュアは銃の引き金を引いていた。

 激しい銃声。くぐもった叫び声。続けて何かが走り去る足音。

 それっきり、廊下は静まりかえった。

 リシュアは後を追おうとも思ったが、すぐにその考えは捨てた。気配を感じてから発砲するまで、そして叫び声を聞いた時ですら、彼は「何も見なかった」のだ。その気配はすぐそばで感じられたというのに、「それ」の姿はどこにもなかった。


「何か見ましたか?」


 リシュアは司祭を振り返って尋ねた。司祭は青ざめた顔で黙ったまま、ただ首を横に振る。


 無線で呼び寄せられた部下たちが、それぞれ宝物庫の前に集まるまで5分とかからなかった。司祭はビュッカに付き添われて部屋へと戻っていった。


「 中尉、血痕です」


 廊下を調べていたアルジュが静かに告げた。その言葉通り、廊下には点々と小さな血痕がライトに照らし出されていた。


「これを辿っていけば透明人間の隠れ家がすぐに見つかるって訳か」


 しげしげと血痕を見つめてユニーは唸った。


「本気で透明人間なんて言ってるのかい」


 アルジュはフンと鼻で笑って腰に手を当てた。


「きっと光の屈折を調整して姿を消すスーツのようなものを着ていたのさ。北の大国ならそのくらいの最新技術はあってもおかしくないね」


 さらりと言い切るアルジュの言葉にユニーは素直にふうん、と頷いて首を傾げた。

 事実、北の大陸にはこのルナス帝国よりも遥かに文明が進んだ大国がいくつか存在する。所謂先進国であり、医療、科学、軍事面でもルナス帝国は大きく後れをとっていた。

 アルジュが言うような技術を持つ者の仕業だという事は、誰も否定することはできなかった。


「ほらほら、推理ごっこは後回しだ。とにかく追いかけろ」


 リシュアはぽんぽんと手を叩いて部下達を促した。そしてムファに向き直ると、血痕をふき取った布を手渡した。


「お前はこれを本部に届けてこい。人間の血かどうかくらいは分かるだろう」


 ムファは嬉しそうにそれを受け取ると、親指を立ててみせた。ご機嫌で出かけて行くムファとすれ違ったビュッカは不思議そうにその背中を見送った。


「退屈そうだからお使いに出してやったのさ」


 そんなリシュアの言葉でようやく納得したビュッカは少し微笑んだ。


「本部の応援を要請しますか?」

「いや、却って邪魔になるだけだ。鬼ごっこは若手2人に任せておけばいいさ」


 そう答えてリシュアは壁にもたれたまま宝物庫の扉をじっと見つめた。


「何か?」

「……待っていたんじゃないかと思ってな。ここを開けるのを」


 姿なき侵入者は恐らくここで司祭が鍵を開けるのを待っていたのだろう。


「お宝……か」

 

 顎に手をかけて何か思案にふけるリシュアの無線からアルジュの声が響いた。

 

「……中尉、だめです。途中で跡が消えています」


 リシュアは左程落胆の色も見せずに部下に答えた。

 

「まあいいだろう。とりあえず守衛室に戻っていろ」


 そうして大きく伸びをしながらビュッカに向き直った。


「さ、戻るぞ。今日のところはお開きだ。さすがに今夜はもう出てこないさ」


 ビュッカは硬い表情のまま辺りを見回したが、しんとした廊下には何も見出せず素直に上司の後を追った。


***


 翌日、リシュアは久々に自分のオフィスの椅子に座っていた。正確には待ち構えていた秘書に無理矢理座らされ、溜まった事務仕事を処理していたのだが。


「ミレイ君、今日はこの辺にしておこうじゃないか」

「ダメです中尉。またいつ戻って来て下さるのか分からないんですから」


 間髪入れずに返したところを見ると、おそらく上司の言葉を予想していたに違いない。リシュアは頭を掻いて、浮かせた腰を再び椅子に沈めた。

 と、その時、軽いノックの音がした。


「どうぞ」


 ミレイが素っ気無く答えると、ドアが静かに開いてオクトが顔を覗かせた。


「あ……ラフルズ少佐! おはようございます!」


 途端に笑顔を輝かせるミレイ。現金なこった、とリシュアは小さく呟いた。


「珍しくこっちに居ると聞いてね」


 オクトはいつもの屈託のない笑みを浮かべてドアの所に立っていた。ミレイはうっとりとした顔を隠そうともせずにオクトの横顔を見つめている。


「ちょっと出れるか?」


 オクトの誘い。リシュアは勝ち誇ったような顔をミレイに向け、にんまりと笑って答えた。


「勿論だとも」


 後に取り残されたミレイは一人ふくれっ面で閉まるドアを恨めしそうに睨んでいた。


***


 ビルの中にあるテナントを避けて、2人は少し離れた小さなカフェに入った。


「最近は真面目に通ってるみたいじゃないか。司祭とはうまくやってるみたいだな」


 にっこりと笑うオクトに、リシュアはうーん、と唸るだけだった。頭をよぎるのは司祭の説教をする姿。あれ以来、僅かに残っていた浮かれ気分もすっかり吹き飛んでしまった。できることなら担当を外れたいものだが、今はあの不思議な侵入者のことが純粋に気になっていた。

 この事件が落ち着いたら異動願いを出そう。リシュアはそう固く心に決めていた。

 そんなリシュアの心中を知る由もなくオクトはにこにこと親友を見つめている。


「ところでな」


 急にオクトは表情を硬くして、声のトーンを落とした。


「差し出がましいと怒られるのを承知で言わせて貰うぞ」

「なんだよ勿体ぶって。差し出がましいのはいつものことだろうが」


 軽くいなすリシュアの言葉が終わる前にオクトは切り出した。


「ドリアスタ侯爵家とはまだ関わりがあるのか?」


 突然意外な名前を出されて流石にリシュアも一瞬言葉に詰まった。


「お前……」

「俺も驚いたさ。お前の言葉を伝えに行ったら、あのご令嬢じゃないか」


 オクトは言葉を選んでいるように見えた。


「さあなぁ、たまたま会っただけで名前も聞かなかったよ」


 はぐらかすリシュアをオクトは厳しい顔でじっと見続けた。


「リシュア。隠すならもっと上手にやらないと……もしかするともう中将は知っているかもしれないぞ。お前が……ルーディニア子爵家の長男だとな」


 リシュアは一瞬笑みを浮かべてはぐらかそうとしたが、オクトの厳しい顔を見て、やめた。


「まあ、いつかはバレるかとは思ったがな。俺にとってはどうでもいいことだ」


 リシュアは目を逸らしてコーヒーを口に運んだ。


「お前にとってはどうでも良くてもこちらはそうは行かないんだ。もうあの手紙のように隠してやれないぞ」


 リシュアは目を丸くした。


「手紙……ってまさか」

「あのなぁリシュア。局留めにしたって宛名でばれるんだよ」


 オクトは頭に手をやって溜息をついた。


「別に軍に隠すつもりだったわけじゃない」


 リシュアはむくれた顔をオクトに向けた。


「自覚がなかったなら尚悪い。今よりずっと貴族とは険悪だったあの頃に、戦地から貴族院関係者宛に手紙なんか出しやがって。検閲の前に俺が抜き取らなかったらどうなってたか……」


 リシュアは気まずそうにコーヒーを飲み下した。


「中将がもしもお前の出生を知ってこの人事にしたのなら気をつけたほうが良い。少なくとも昔の知り合いに会うような真似は避けるんだな」

「まあ、忠告は有難く聞いておくさ」


 同じような事を最近言ったような気がするな、とリシュアは思いつつ素直に答えた。


「それと……今頃だが手紙の件も世話になったな」


 少し言いにくそうに謝意を伝えるリシュア。


「じゃあ、ここはお前の奢りだな」


 オクトはカップを掲げてにこりと笑った。




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