第9話 ロタ・ロタ
満足げな表情で礼拝堂を後にする人々を見送り、リシュアは部下に撤収を命じた。そして先程まで異様な空気に包まれていた礼拝堂に降り立った。祭壇ではイアラが飾りに使われていた布を綺麗に畳んでいた。
「良く見えたでしょ」
イアラはにっこりと笑った。
「ああ、良く見えた。……ところで司祭に伺いたいことがあるんだが」
「いいわよ。まだこっちの控え室にいらっしゃるはずだから」
畳んだ布を束ねて抱えたイアラが先を歩き出した。それを片手でひょいと持ち上げてやると、リシュアもその後を追った。
「ありがと」
「お安い御用だ。こういう仕事も全部一人でやってるのか?」
「ここは私とロタしかいないわ。庭や建物の管理はロタが、屋内のことは私がやるのよ」
意外な答えにリシュアは驚いた。
「子供2人だけで管理してるのか!」
その言葉にイアラは足を止めてリシュアをちょっと睨んだ。
「……っと失礼。少なくともお前さんは一人前以上だな。しかしこの広さで2人じゃ大変だろう」
素直に謝ったリシュアに彼女はすぐに機嫌を直したようだった。
「司祭様も色々手伝って下さるし。ここだって実際に使う部屋は限られているから」
イアラは立ち止まった。二人は控え室の前に着いていた。少女はドアをノックした。
「司祭様。軍人さんがお会いしたいそうです」
奥から「はい」と小さく声がした。イアラは振り返って頷くと、リシュアから布の束を受け取り廊下の向こうへと立ち去った。
ドアの前にはリシュアが一人残された。そこで改めて礼拝堂での姿とその教えが脳裏に蘇り、リシュアは心が重くなった。
ドアが開いた。
先程と同じ姿の司祭がそこに立っていた。そしてそれを見つめるリシュアの表情は硬かった。相変わらず司祭は美しい。しかしいくら美しくとも、彼が忌み嫌う偏った教えを説いたその口、人々の心を操るその瞳。リシュアはそれらに嫌悪と恐れを抱かずにはいられなかった。
一方司祭はいつもと変わらぬ様子でリシュアを冷たく見据えていた。礼拝堂で感じた程の威圧感はなかったものの、やはりどこか近付き難い印象があった。穏やかながらも、その表情は厳しかった。
「どうぞお入りください」
招かれるままに部屋の中へと足を踏み入れた。大きな棚が正面にあり、経典や燭台、香炉などのミサの道具が並べられている。あとは特に目立ったものはなく、実に簡素な控え室になっていた。グリーンのビロードのソファを勧められたリシュアは、一礼して腰掛けた。司祭は少し離れた椅子に座り、警戒を隠さない表情でリシュアを見つめていた。
「お話とは何でしょう?」
許しを得て、リシュアは手短に昨日のパーティ会場で起きた事件について司祭に語った。
「彼らはこの寺院の「お宝」が目当てだと言っていました。心当たりはありますか」
司祭の表情は硬くなっていた。
「いえ……」
「始めは私も転売目的で金目のものを狙ったのだろうと思ったのですが、本当にそれだけでわざわざここを狙う意味があったのか……」
司祭は答えずにじっと何かを考えていた。リシュアは司祭の言葉を待ったが、沈黙だけが部屋に流れ続けた。
「司祭様。我々にこの敷地内全てに立ち入る許可を頂けませんか」
そう言って司祭の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「我々の事を信用できないのは分かります。ですが、安全を守るためにはお互いの協力が不可欠です」
やはり答えはなかった。リシュアは苛立ちを抑えて説得を続けた。
「もしも今後ああいう輩に狙われるとすると、かなりの危険が予想されます。あなたもあの子供達も……」
そこまで言った時、司祭の表情が急に揺らいだ。
「あの子達に危険が及ぶのは避けなければ……」
そしてしばらく考え込んだ後、意を決したようにリシュアに告げた。
「分かりました。今を非常事態と見なし一時的にこの寺院全てに立ち入ることを許します」
その言葉にようやくリシュアは安堵した。
「ただし」
司祭は続けた。
「私的な敷地内での警備は全てロタの指示で行なって下さい」
リシュアの脳裏にあの箒小僧の姿が鮮やかに蘇った。
「……わ、分かりました。寛容なご判断感謝致します」
にわかに頭痛を感じながらリシュアは引きつった笑みで司祭に礼を述べた。
***
「このドアは加減が難しいから、こう、こうするんだぞ」
ロタは立て付けの悪い勝手口を斜めに押し上げながら開けて見せた。
「……直せばいいのに」
ぼそりとリシュアが呟くとロタがじろりと睨んだ。
「ここは壁が歪んでるから何度直しても駄目なんだ。分かった口を聞くな」
癇に障る口ぶりに反論しようとしたリシュアを尻目に、ロタはさっさと先へ進んでいく。
「ここは食料庫で向こうがガスのタンク置き場だ。火気厳禁だからな!」
振り向きざまにリシュアを指さした。
「指をさすな指を」
抗議の言葉もロタは無視してぶつぶつ呟いている。
「最近イタチか何かがジャガイモを荒らして困るんだ。イアラはおいらのせいにするけど……」
「イタチなんか見かけたことないわよ。どうせ葡萄パンもミルクもイタチのせいなんでしょ」
洗い終わった洗濯物を籠に積んだイアラがドアの陰から顔を出した。
「だからおいらじゃないって……」
「はいはい。食いしん坊のイタチには困ったものよね」
澄ました顔で少女は物干し台の方へ歩いていった。
「……ったくイアラの奴ぅ」
むくれ顔のロタとリシュアの目が合った。
「何だよ! 何見てんだよ! こっちだこっち」
胸を張って、大股でリシュアの先を歩いていくロタ。後ろからはイアラがくすくすと笑う声。リシュアは溜息をついた。
一通り回ったところで、最初の廊下への入り口に戻ってきた。
「……大体こんなとこだ。一応合鍵は渡しておくけど失くすんじゃないぞ!」
「はいはい……っておい、肝心の宝物庫はどうした」
「あそこと司祭様のお部屋は司祭様しか鍵を持ってないぞ。司祭様にお願いするんだな」
ロタはリシュアに鍵束を渡すと、しっしっと追い出すようにドアを閉めた。廊下にぽつんと取り残されたリシュアは苦々しい顔で言い捨てた。
「ったく馬鹿にしやがって……チビスケが」
「それ、本人には絶対言わない方がいいわよ。気にしてるから」
背後でイアラの声がして、リシュアは驚いて振り返った。
「……聞いてたか」
「ねえ、さっきの話だけど」
イアラは少し深刻そうな顔をしている。
「ロタも言ってたけど、最近夜中に食料が荒らされてるの」
リシュアの眉がぴくりと上がった。
「この前あの軍人さんが見たっていうものが何だか分からないけど……なんだか気味が悪い」
「……だな。もしかすると本当に何か潜んでいるのかもしれん。今夜良く探してみるさ」
真面目な顔でそう答えると、彼女は安心したように頷いて空になった籠を抱えて立ち去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます