第7話 襲撃


 宴はまだまだ終わりそうも無く、むしろ盛り上がりを見せていた。演奏は軽やかな音楽に変わり、客人たちは誰からともなくダンスを始めた。アンビカの好みそうなカクテルとワインに手を伸ばした時、一人のボーイがリシュアに声を掛けた。


「カスロサ中尉。お電話が入っております。こちらへどうぞ」


 リシュアは頭の中で心当たりを探ったが、ここに電話を掛けてくる人物には心当たりがなかった。唯一可能性のある中将は今この会場にいるのだから。


「急ぎでなければ後でと伝えてくれ」


 そう言って向けた背に、何かが当たった。ゆっくりと振り向くと、サイレンサーが取り付けられた小型の銃がリシュアに押し当てられていた。


「こちらへ」


 ボーイはやや緊張した声で繰り返した。


「……ああ、分かったよ。電話を待たせるのは良くないな」


 ここで抵抗するのは良策ではない。リシュアはそう読んだ。今この距離、一対一でやりあえば、男を押し伏せる事も可能だろう。だが、仲間が潜んでいるかもしれない。そうでなくともこの男が自暴自棄になり、あたり構わず発砲しかねない。各所に警備員を配してはいるが、万が一巻添えの被害者を出しては大事だ、と。


リシュアは覚悟を決めグラスから手を離し、ボーイの制服に身を包んだ男に促されるまま、大人しく廊下へと出た。廊下に人通りは少なく、会場の音楽が広い廊下に僅かに漏れ響いている。

 そのまま、スタッフ用のドアからバックヤードへ。ここまでくると宴の喧騒はびたりと聞こえなくなる。非常階段を降り、辿りついたのは地下にある薄暗いランドリー室だった。

 

先程の宴の会場の倍ほど広さだが、業務用の機械がところ狭しと並んでいる。大きなドラムの乾燥機が唸り、部屋全体に轟音と熱気を振り撒いている。


「さて、中尉」


 ボーイ姿の男は正面を向いて少し距離を置き、改めて銃を構えた。


「ここであんたにはちょっとした選択をしてもらう」


 その声に呼応するかのように、奥からもう一人の男が現れた。こちらは警備員の制服を着ていた。


「このまま我々2人を安全にカトラシャ寺院まで連れて行くか、ここで死ぬかだ」


 目の前の鈍く光る銃口を眺めて、リシュアは苦笑した。


「参ったな。……俺は優柔不断が売りでね」

「迷っている間に命も尽きるぞ」


 警備員姿の男が不機嫌そうに告げながら、銃を取り出した。こちらもサイレンサー付きだ。


「あの男のようにな」


 銃で指し示された方にリシュアが目をやると、男が倒れこんでいるのが見えた。こちらは恐らく本物の警備員だろう。大量の血が広がる床の上で、目を開けたまま動かない。


「一緒に行っても構わんが、ボーイと軍人と警備員が一緒に出たら怪しまれると思うがね。どうやって安全に案内しろと?」

「ここは裏口がある。我々が用意した車もな」


 言われて奥を見ると緑色の古い鉄扉。荷物の搬出入に使う扉だ。ボーイ姿の男がその前に立ち外の様子を伺っていた。


「随分用意がいいな。しかし寺院なんかにわざわざ何の用だ? お祈りに行くには少し大袈裟じゃないか」

「余計なおしゃべりはいい。さあ、どうするんだ」


 苛立った男は、銃口をリシュアの胸にごつりと押し付けた。


「条件にもよるさ。寺院に何をしに行く? 今助かっても後で捕まって死刑になるような仕事じゃ割に合わない」


 男はリシュアの目をじっと見つめた。真意を測りかね戸惑っているようだ。


「……いいだろう」


 リシュアに手錠をはめながら男は話し始めた。


「司祭や寺院の人間には用はない。騒ぎ立てなければ傷付けもしない。俺たちは寺院のお宝が欲しいだけだ。それさえ手に入ればお前も無事に解放してやるさ」

「お宝ねえ。あんな古寺にお宝があるようには見えなかったが……」


 男はそれには答えず、腕時計を指し示して返事を催促した。


「まあ、命には代えられん。分かったよ」


 そう言ってリシュアは、自由を奪われた両手を軽く挙げ降参のポーズをとった。

彼等は本気だ。お宝が何かは知らないが、今は言う通りにすべきだろう。反撃するならば、車に乗り込む時か、その後がいい。彼はそう判断した。

 警備員姿の男は表情を和らげ、裏口で待機していた相棒に向かって頷いた。合図を受けたボーイ姿の男は鉄扉をそっと開ける。


 金属の擦れる音を立てて扉が開いた。ひんやりとした夜風が舞い込んでくる。警備員姿の男はリシュアの背中に銃を押し当てたまま扉の方へと進む。リシュアは扉の外の様子に五感を張り巡らせた。上手く反撃するチャンスを見出さねば。寺院に入れてやる訳にはいかないが、彼もむざむざここで殺されてやるつもりはない。


「いいか、怪しい真似はするな。静かに車に乗るんだ」


 まず最初にボーイ姿の男が地下室を出る。次いでリシュアが出て、そのまま車に押し込められる……はずだった。

 だがボーイ姿の男はぴたりと立ち止まり、固まった。男のこめかみには銃口があてがわれている。銃を構えているのはオクト。扉の外で待ち構えていたのだった。車

に乗っていた共犯の男たちも警官によって取り押さえられていた。


「騒ぐなよ……。仲間は何人だ?」


 男の手から銃を奪いとりながらオクトは小声で尋ねた。銃を向けられたまま男は素直に両手を胸の前まで挙げた。オクトがその手を後ろ手にして手錠をはめようとする。が、男はその手を振り払ってオクトの銃を奪おうと手を伸ばした。そのまま揉み合いになる。


「見つかった! 逃げろ!」


 ボーイ姿の男がそう叫ぶ。警備員姿の男の動きは速かった。リシュアを連れたまま通路の奥へ飛び込み、物陰に身を隠して扉の方を窺う。


「逃げ切れんと思うがね。自首すれば今なら刑も軽いぞ」

「うるさい、黙れ」


 リシュアは呑気な口調で男にささやき、男は苛立つような声で返す。そのままリシュアを突き飛ばすように、シーツが積み重ねられた棚の陰に押し込んだ。


「これで勝ったつもりか。向こうは1人、こちらは2人だ」


 頭に血が上った男は苛つき、リシュアに銃を向けた。


「それはどうかな」


 言うと同時にリシュアは動いた。手錠の鎖で銃を絡め、そのまま跳ね飛ばす。

 バランスを崩した男の顔にリシュアの一撃。両手を組んで振り下ろした一発は重かった。男は声も上げずに倒れる。飛ばされた銃は床を滑り大型の洗濯機の下に消えた。


「これで2対2だな」


 リシュアはにやりと笑う。男はよろりと立ち上がり、血の吹き出した鼻を押さえながらリシュアに殴りかかる。彼は軽くそれをかわし、今度は男の顔面を横から力任せに殴りつけ、足払いを食らわせた。男は一瞬宙に浮いた後、頭から地面に叩きつけられ、短く呻いた。


 一方のオクトは、自分の銃を奪って逃げたボーイ姿の男を目で追った。彼が落としていった小型の銃を見つけ拾い上げると、ランドリー室へ足を踏み入れた。

 耳を澄ますと、機械の音だけがやけに大きく響いて感じられた。オクトは近くにあった籠の中から丸められたシーツを取り出し、隣のボイラーの方に向けて放り投げる。左前方から2度の銃声。投げたシーツが銃弾で弾かれ宙を舞う。

 オクトは息をひそめて音がした方へ移動する。一瞬見えた人影に向かって発砲した。

 鋭い金属音。

 男が身を隠している大型の洗濯機に、弾が当たった音だ。オクトは気配を殺して通路の奥へと進む。


 リネン収納用の大きな棚の向こうから、微かに人の気配を感じる。そちらへと距離を縮めると、乾燥機の横に人影が。オクトは銃を構えて走り寄る。ボーイ姿の男を追い詰めた、と思いきやそこに居たのは警備員姿の男だった。男は金属のパイプに手錠で両手を繋がれていた。


 状況が掴めず、オクトは構えた銃を下ろした。その時、彼の首筋に冷たいものがあてがわれた。それが銃口であると、感触で分かった。一瞬の隙を突いたボーイ姿の男がオクトの背後を取ったのだ。

 咄嗟に体が動いた。オクトは振り向きざま、横っ飛びで銃を構えトリガーを引く。

 2発の銃声が響き、オクトは床に倒れこんだ。銃弾に倒れたかに見えたが、着地に失敗しただけで、幸い男の弾は外れていた。

 一方オクトが放った弾もまるで方向違いに飛び、鉄のパイプを撃ち抜いただけだった。パイプに空いた穴から蒸気が吹き出して、薄暗い部屋の視界を更に悪くする。


 オクトは咄嗟に受け身をとることが出来ず、地面に叩きつけられた。銃を構えた男が目の前に立っている。完全に体勢を崩して座り込んだオクトの顔に、驚きと絶望が入り混じった表情が浮かぶ。目の前の獲物にぴたりと狙いを定め、男はにやりと笑った。


 しかし一瞬の後、今度は男の顔に驚きの色が浮かんだ。

 男の首筋をナイフの刃がなぞり一筋赤い傷をつけた後、そこから真紅の血が大量に噴き出した。男の背後に立っていたのはリシュアだった。手には先程会場を出るときに失敬してきた小型の肉切りナイフが握られている。

 男はゆっくりと膝から崩れ落ちていき、何度か痙攣した後ぴくりとも動かなくなった。


***


 オクトとリシュアの横を警備員姿の男が連行されていった。リシュアは作業台の上に座って近くの適当な布で両手に付いていた血を拭っていた。


「しかし、まさかお前がいたとはな、リシュア」


 苦笑いするオクト。


「それは俺の台詞だ。いつからパーティの護衛までやるようになったんだ」


 からかうように言ってリシュアも苦笑を返した。


「こいつらは別件で追ってた奴らでね。潜入させていた部下から連絡を受けて来たらこの通りさ。まさかお前を狙っていたとはな」


 彼らの横を布を被せた担架が通り過ぎた。犯人達に殺された警備員だった。


「……彼だ。無理はするなと言ったんだが……」


 オクトは唇を噛んだ。


「お前のせいじゃないさ」


 友の心中を察してリシュアは肩を叩いた。


「ああ。ともかく助かったよ。いつもすまない」

「なあに、構わんさ。その代わり一つ頼まれてくれるか」


 リシュアはオクトの部下から受け取ったコートを肩にかけた。ホテルのクロークに預けておいたものだ。


「会場の暖炉のそばに座ってるレディに、俺は急な仕事で帰ったと伝えてくれ」

「わかった。……それでいいのか?」

「この格好だしな」


 リシュアは返り血で赤く染まった軍服の袖をつまんで見せた。


「それにもうそんな気分じゃあない。頼んだぞ」


 そう言って作業台から降り、裏口へと向かった。


「リシュア」


 その背を呼び止めるオクト。


「今日のことはあまり大袈裟にしたくないんだ」


 物言いたげに見詰めた。


「俺もさ」


 リシュアは少し笑ってみせる。オクトは頷いた。彼の顔にも、やっと安堵の笑みが見えた。


 数歩進んで、ふとリシュアの足が止まった。


「……なあ、こいつら何者なんだ?俺には寺院のお宝がどうのと言っていたが」


 オクトは怪訝そうに首をかしげた。


「お宝というのは良く分からないな。奴らは反政府のカルト集団の一派だよ。危険な奴らだ」

「なるほどね。最近その手の輩が多いからな。目的は運動資金てとこか」

「多分な。しかし狙った相手が悪すぎたな。相変わらず見事だったよ」


 オクトは素直に賞賛した。


「お前は相変わらず射撃が下手だ」


 リシュアがにやりと笑うと、オクトはリシュアを指差して笑顔でウインクした。

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