第6話 再会


その日の夜、リシュアは新都市郊外にある、ホテルのパーティ会場に居た。新都心では月に1度、貴族と軍関係者の親睦を目的とした夜会が開かれている。今日リシュアが呼ばれたのは、ゲストとして特別のことだった。カトラシャ寺院の新しい警備主任のお披露目だ。


 軍服の胸に重そうな勲章をずらりと並べた中将が、胸まである見事な髭を蓄えた子爵と、上機嫌で談笑している。その傍らでやや退屈気味なリシュアは、ボーイを呼び止めてトレイのグラスを手に取った。

 彼も今日は珍しく軍服姿だ。髪もきつめに結んでしっかり撫で付けられており、いつもとは別人のようだった。グラスに口を付けようとしたその目線の先に、ある人物の姿を認めてリシュアは思わず手を止めた。


 ドレープが美しいシルクのドレスを纏った、赤毛の女性だ。かなり遅れての到着だというのに、慌てる様子もなく悠然と歩くその様子は、実に優雅だった。リシュアはグラスを傍らのテーブルに置くと、その女性に歩み寄った。彼女は入り口付近で知人とおぼしき男性と挨拶を交わしていて、近付いて来るリシュアには気付いていない。


「……アンビカ?」


 呼ばれて初めて、彼女は自分の背後に立つ長身の青年に目をやった。その声には聞き覚えがあったからだ。


「リシュア……? あなた……生きてたの?!」


 幽霊でも見たかのような顔を向けられて、リシュアは苦笑いした。


「おいおい、ご挨拶だな」


 さらに大げさに両手を広げて、肩を竦めて見せると言葉を続けた。


「久しぶりに会ったってのにそりゃあないだろ。こう、『会いたかった!』とか言って抱きつくとかさー…」


 言葉が終わるか終わらないかのところで、リシュアの顔に彼女のバッグが飛んできた。


「馬鹿! いきなり居なくなって……12年も何してたのよ!」


 彼女は思わず声を荒げた後、ふと我に返って声を潜めた。


「ちょっと移動しましょ」


 白い手袋をしたリシュアの人差し指を軽く掴んで、人ごみの間を器用にすり抜けていく。人影のないポーチに出た女性は、ひとつ大きな息をした。


 彼女の名は、ドリアスタ・アビィ・アンビカ。貴族院議長である、ドリアスタ侯爵の一人娘だ。多忙な父の代理で、今日はこの場に出席することになったのだ。


 ルーディニア子爵家長男のリシュアとは幼馴染であり、親が決めたこととはいえ、かつては許婚でもあった。しかし12年前、当時16歳のリシュアは、誰にも何も告げずに突然家を出た。傭兵になったのだとか、戦死したらしいとかいう噂が流れ、婚約の話もいつしか立ち消えとなっていた。


 アンビカの大きな緑の瞳が鋭く睨み付けていた。


「一体何してるのよ、こんな所で」

「つれない言葉だな。折角の感動の再会だろ?」


 頬に触れようとする手を素早く払い除けられても、リシュアは一向に意に介さないようだ。


「軍人になったって……本当だったのね」


 アンビカは、軍服に身を包んだリシュアをまじまじと見つめた。


「何言ってるんだ。手紙書いただろ……何度も」


 意外な言葉に、アンビカはきょとんとして彼を見返した。


「貰ってないわよ。そんなの」


 今度はリシュアが目を丸くした。


「そんなはず…写真まで入れて送ったんだぞ!」


 そう言ってリシュアはふむ、と考え込んだ。


「くっそ、もしかしてあのクソジジイ、俺に嫌がらせで手紙捨てやがったのか…?」

「……良く分からないけど、余程嫌われてるのね……どうせ相変わらず好き勝手やってるんでしょ」


 呆れた様に、アンビカは言い捨てた。肯定するでも否定するでもなく、にやけ笑いを浮かべているリシュアの顔をしばらく見つめていたアンビカは、ふと顔を曇らせた。


「ねえ、新しい寺院警備の主任ってまさか……」

「ん? ああ、なりゆきでな」


 寒そうな様子のアンビカを気遣いその肩に手を掛け、ポーチから部屋へと促した。二人は再び弦楽器の美しい音色が流れる、暖かい部屋の中へと戻る。


「それにしても宗教嫌いのあなたがどういう風の吹き回し? ミサにもほとんど行ったことなかったじゃない」

「男には色々あるんだよ」


 はぐらかすリシュアの横顔を見つめて、アンビカは黙り込む。少し考え込んだ後、周りに人がいないのを確かめた後に声を潜めて鋭く言った。


「止めたほうがいいわ、この話」


 演奏をしている楽士達に向けられていたリシュアの視線が、アンビカに移る。


「カトラシャ寺院は曰く付きの場所よ。貴族の出のあなたが配置されるなんて……何かあると思う」

「嬉しいね、心配してくれるのか?」


 深刻なアンビカの顔を笑顔で覗き込むと、鼻が触れそうな位に顔が近付く。


「ふざけないでよ、馬鹿」


 少し顔を赤らめてアンビカは体を背けた。くすくすと愉快そうに笑う元許婚を睨みつけ、バッグを持つ手をぎゅっと握り締める。


「あなたの前の担当者……死んでるのよ」


 そう告げられた言葉にもまるで上の空で、通り過ぎる美女を目で追うリシュア。


「もう、知らないから!」


 今度は怒りに赤くなったアンビカが、バッグでリシュアの尻を叩いた。


「分かった分かった。気をつけるさ。忠告感謝するよ」


 今度は本当に感謝を込めて、アンビカの肩を抱いた。先程夜風に晒されていた彼女の肌は、ひんやりと冷え切っている。


「これじゃあ風邪をひいてしまうな。暖炉に当たるといい」


 そう言って部屋の隅にある暖炉のそばへと移動し、ソファに腰掛けた。しばらく二人は黙ったままで炎を眺める。


「しかし綺麗だ……随分と見違えたな。あのお転婆のアビィが」

「あなたは相変わらずね」


 アンビカは、胸の高鳴りを隠して素っ気無く返す。

 それでも互いの近況や子供の頃の懐かしい思い出を話すうち、二人の会話は盛り上がっていった。


「俺達を無理に追いかけて川に落ちたこともあったっけな」

「やめてよ。忘れてたわ、そんなこと」


 肩で小突きながらも、アンビカの顔は嬉しそうだった。そのまま軽くもたれかかるように体を寄せる。リシュアはアップにした美しい髪に軽く触れた。

 アンビカが顔を上げた。

 目と目が合い、そのまま自然に唇が触れた。軽く触れるだけの、しかし長いキスは彼らに鮮やかに昔の記憶を蘇らせた。アンビカは誰かに見咎められはしていないかと見回した後、頬を染めてうつむいた。


「飲み物を取って来よう」

「そうね。お願い」


 リシュアは立ち上がり、ホールの人ごみの方へと歩いていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る