VS.チート能力:『スローライフ』

「リサ!」


 アヤネが湯船に浸かるリサの肩を叩き、カナが声を上げる。だが、リサは、どんよりとした暗雲のような眼をして、身体を投げ出すみたいに風呂に浸かっている。


「意識はあるようですけど、無気力です……!」

「と、とりあえず、お風呂から出してあげよう」


 声をかけても身体を揺すっても反応しないリサは、自室のベッドの上に居た時の姿と変わりない様子だ。

 三人で協力して、リサを風呂から抱きかかえて、ベッドに横たえるが、それでもリサは無反応だった。まるで、人形みたいな姿は普段のリサを知っている三人からすると、見ていられないものだった。


「くっ、リサをこんな風にしてッ」

 カナが怒りに滲んだ瞳をして、歯軋りをする。

「……敵の気配は……ありませんね」

「リサちゃんの中に、シェイドの気配はあるよ」


 ハルカがリサを気遣うように濡れた体を布団で拭きながら言った。タオルがあればいいのだが、タオルだけはどこにも見つからず、布団を使うしかなかった。


「リサの中から追い出す」

「できるんですか?」

「ああ――。リサには少し痛い思いをさせちゃうけど」


 カナが、リサの上体を起き上がらせ、背中側に回ると、首の根本に両手を添えるようにした。

 まるでエクソシストの悪霊退散の儀式の様だが、まさにそのままだろう。カナが、気合を発し、リサに活を入れようとした――が。


「その子に手を出さないで貰える?」


 どこからか、不気味な女の声が響いた。

 三人は、すぐに警戒し、周囲を見回す。リサの中に潜むシェイドとは別に、大きな気配が感じられた。


「お前がリサを襲ったのか」

「襲った? 違うわ。心安らかに、休ませてあげているの」

「……休ませている、ですって?」


 声の出所を探りながら、アヤネは静かに問い詰めた。リサは休んでいるのだと言う相手の言葉が、どこか気に入らなかった。こんなのは、休憩ではない。堕落だと、アヤネは感じた。

 リサの快活な表情が微塵も感じられない濁った眼を見ればわかる。『心安らか』ではない。何も考えていない、だけだと。


「さっさと姿を現わせ姑息な転生者」

 カナがリサの背中を支えながら、明らかな怒りの感情をさらけ出す。

 その時だ、ハルカの耳が何か奇妙な音を捉えた。


 ボココっ、ブクブクッ。と、何かが泡立つような音だと思った。そしてハルカはその音が、つい今しがた居た風呂場から聞こえていると気が付いた。


「アヤネちゃん、お風呂!」

 ハルカの声で、アヤネは直ぐに動いた。そしてお風呂場を見て、愕然とした。

 風呂場のありとあらゆる水場から、水があふれ出しているのだ。浴槽に張られた湯はあふれ出し、手洗い場の蛇口とトイレからも水があふれ出ていた。


「み、水がっ」

 あっという間に、水が床を濡らし、排水など物ともせずに溜まっていく光景が広がっていた。まるで水そのものが意思を持ち、増幅しているようだった。

 アヤネは、このままだとお風呂場からすらあふれ出てくると思い、戸を閉めた。すると、シャワーからも激しく湯が噴き出して、バシャバシャと激しく戸を叩きだす。


「わたしに任せて!」


 ハルカが大地を司るチカラを顕現させ、今にも壊れそうなドアを砂と土で覆った。ハルカの能力は、水分を奪うチカラもある。これで水をせき止めることができると思えたのだ。


「なるほど、大した能力……。こんな異能者が三人も集まっていたら、異世界転生者が敗退するのもしかたないか」


 不気味な女の声はまだ余裕に満ちていた。その言葉が臭わすように、異能者が三人も居るというのは、シェイドにとって十分な脅威であるはずなのだが、それでも相手はまるで勝利を確信しているように笑い声を交えていたのだ。


「ハルカさん、大丈夫ですかっ」

「うん、大丈夫……だ、よ……? あ、……れ」


 アヤネがドアを支えていたハルカを気遣ったその直後だった。

 ハルカが、急に力が抜けたようにカクンと膝をついた。


「え……、なに、これ。チカラ……抜けてく……」


 ハルカは急な脱力感に、チカラの顕現を歪ませてしまった。そしてそのままぺたんとお尻を床に付けて、立ち上がれなくなったのだ。


「ハ、ハルカ!?」

「な、なんか……おかしいよ、カナ、ちゃん……に、逃げて……」


 気だるさ、眠気、怠さ。そういう物がどっと押し寄せてくる感覚だ。まるで麻酔でもされたみたいに、急に意識がぼんやりと溶けていくようで、ハルカはそのままがくりと倒れ込んだ。

 そしてその正面にあった水に圧されるドアが、嫌な音を立て始めている。ジャバジャバと激しい水の音。ギリギリと何かが限界を超えて壊れようとしている音、だ。


「マズイ! アヤネ、外に逃げろっ!」

「カナさんたちはっ!」

「いいから、行けーっ!」


 ガゴンッ!

 ドアが水圧に破壊され、隙間から洪水のように水があふれ出てきた。アヤネは逃げ道を確保しなくては、と通路側の入口に向かった。ここはカナが破壊したおかげで密閉もされておらず、脱出できそうだ。


「カナさん、こっちから逃げられますっ!」


 ザバアアッ!


「っ――!」


 あっという間だった。バスルームの扉が完全に壊され開かれると、勢いよく水が部屋を水浸しにしていく。倒れるハルカはそのまま水に沈むように濁流にのみ込まれる。

 そして部屋のほうにまで、不気味な洪水は迫り、カナとリサも飲み込んだ。

 カナは火炎で抵抗しようとしたが、その途端、ハルカ同様に急激な虚脱感に襲われた。掌の火炎はかき消え、がくりと糸の切れたマリオネットのように身体を投げ出すことになった。


「みんなっ!」


 凄まじい轟音と共に迫ってくる水の流れから身を引いて、アヤネは声を上げた。助けようと思っても、迫ってくる水は力強く、アヤネを廊下に追いだしたのだ。

 廊下にも水はあふれ出てきた。アヤネはどこからこんな量の水が出てくるんだと驚愕しながら、通路を埋め尽くす洪水から走って逃げだした。


 風の剣で波を切り裂いても、無駄だった。

 水の能力の凄まじさは変幻自在で強烈だ。速さも信じられないほどに速い!

 狭い宿泊旅館の通路はアッと今に水に飲みこまれた。アヤネもついにその濁流にのみ込まれ、流された。呼吸ができなくなる恐怖と、ショックで、いつしかその意識がかき消えた。

 そして、飛んでもない心地よいまどろみに襲われた。全身の力が抜けていく。抵抗しなくては、という意思そのものが削り取られていくようだった。


「ふふっ……これでおしまい」


 シェイドの不気味な声が後に響いた。

 四人の少女は水に飲まれ、気を失い倒れている。その様子を見たシェイドはほくそ笑んでいた。


「若くて、綺麗な身体……。なんて羨ましいの」


 暗黒の煙に似た靄が、水たまりから浮かび上がった。そして、身動きの取れない少女たちの身体に纏わりついて行く。

 リサ同様に、身体の中に子種を送り込み、快楽だけの空間に閉じ込めるつもりなのだ。


 その空間は、争いなどない、ゆったりとした温泉旅館で繰り広げられる、心温まる、ハァトフル・ストーリィ。誰も傷つかず、競わず、のんびりとした気ままな生活を送ることのできる異世界転生。


「私のチート能力『スローライフ』の中で、たっぷりと幸せな時を過ごしなさい……」


 少女たちの身体から、汗が滴るように、水滴があふれ出てきた。

 それは、周到に張り巡らせていた罠であった。

 なぜ、アヤネたちが急激な虚脱感に襲われたのか――。


 そのカラクリは、リサの家で取った行動にあった。

 三人は、雨に濡れた体を温めるため、リサの母親が入れてくれた湯船に浸かったのだ。

 それこそが、異世界転生者の罠であるとも気が付かず、三人はゆっくりと湯船でぬくもりの中で、身を安らげていた。


 その湯船に張られたお湯は、チート能力『スローライフ』の効能のある温泉だったのだ。

 湯船に浸かってしまった少女たちは、その肉体と精神を、容易く支配できる。リサ、同様に。


 まんまと計画通りにいったシェイド――異世界転生者はその正体を現して勝利を確信していた。

 その姿は、リサの母親であった――。

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