ドキっ、ポロリしかない『湯煙の旅』

 温泉旅館。まさにそういった空間で間違いない。

 三人の少女は、今、露天風呂に浸かっている状態で、全裸を晒していた。

 これが単純に普通の温泉なら何も問題なく、ゆっくりと温泉を楽しんでいたことだろう。

 が、違う。ここは異世界転生者が作り上げた、結界の中――並行世界。もっと言うと、『異世界転移』している状態なのだ。

 そんな状態で、花も恥じらう十六歳の少女たちが、生まれたままの姿で、平気な顔をしていられるはずもない。


「あっ、あそこが脱衣所みたい」


 ハルカが、露天風呂の周囲をぐるりと見回して、脱衣所に続く扉らしきものを発見した。

 アヤネとカナは、早く着るもの……身体を隠せればタオルでもいいから、欲しくて、ハルカの指さした扉に向かうことにした。


「……ど、どうして温泉なんでしょう? なんで裸なんでしょう?」

 アヤネの疑問は尤もだ。だがしかし、その質問に対してきちんと答えを出せる者は今はこの場に居なかった。

「分からない。私たちを攻撃したいなら、直接的な攻撃を仕掛けてきた方が的確だと思うし」

 カナも、アヤネの抱いた疑問には、同調した。結界の中は、無意味に構築したりしない。大抵は、転生者の理想の状態が組み立てられることが多い。

 なにせ、異世界転生者というのは、己の人生を投げ捨て心地よい世界を求めてやってくる存在だからだ。だから、自分の理想とする空間を結界に生み出す。

 疑問は解消されないまま、脱衣所までやってきた。

 ハルカは、すぐに脱衣所の棚に並ぶ、カゴを見て回ったが、自分たちの服が収められている様子はないし、他の着替えもなかった。

 アヤネは、バスタオルでもないものかと探し回ったが、こちらもまるでない。まるで自分たちに、全裸でいることを強いているようだ。

 考えてみれば、こんな状態で襲われれば、満足に戦えるはずもない。羞恥心が邪魔をして、武器だってまともに振るえないだろう。相手がそこまで考えているのだとしたら、大した策略だと、アヤネは恨めしく思った。


「くそ、なんにもないな」

「か、カゴで体を隠す?」

「なに、その芸人の一発芸みたいなの……嫌よ」


 お盆で股間を隠す芸人を想起して、カナはハルカの案を握りつぶした。


「いいじゃん、もう。どうせ私たちしかいないし。女同士なら問題ないでしょ」

「……女の子同士でも、恥ずかしいですって」

「それにここから先に進むとなると、脱衣所の先は旅館の廊下だよ? いくら、ここが結界のなかで本当の旅館じゃなくても、全裸で歩き回るの、恥ずかしい……」

 カナがせっかく吹っ切って考えようとしたのに、アヤネたちは、初心な反応で身をよじった。意識したら余計に恥ずかしくなるじゃないかと、カナも流石に頬を染めた。


「リサさんは、どこにいるんでしょうね」

「敵がリサの中にいるんだとしたら、どこかで私たちに攻撃する機会を狙っているんじゃない?」

「……すっごいヤな感じ」


 どうあれ、行動しなくては何も解決できない。目的としては、この結界を作り出しているシェイドを見付け、倒し、リサを救うことだ。

 この旅館のどこかにリサに憑りついている異世界転生者がいるはずなので、三人は仕方なく、裸のままに旅館の廊下に出てきた。

 さっと見回しても人気はない。とりあえずは、ほっと胸をなでおろした。


 カナはちらりとアヤネの裸体を見ていた。なんだか、妙にドキドキと胸が跳ねる。

 ハルカの豊満でグラマラスな身体を見ても、「コンチクショウ」としか思わないが、アヤネの華奢な白い肌はいつまでも見ていたくなるような感覚だった。


「か、カナさん? どうしたんですか?」


 視線に気が付いたアヤネが恥ずかしそうに、カナを覗きこんだ。同性だろうと、自分の身体をチラチラと見られていたら、気になるのは当然だろう。


「いや、なんでもない……」

 そう言って視線を逸らして、先頭に立って歩き出すカナの背中をアヤネが、逆に見つめることになった。

 そして、アヤネはふと思った。


(そう言えば……学校の七不思議の事件の時、カナちゃんは、私を庇って、背中に傷を負ってた……。でも……)


 大きなナタで背中を斬りつけられ、出血していたのを思い出す。かなりの痛手だったはずだが、こうしてカナの背中を見ても、怪我の跡は遺っていない。

 人の治癒能力とはそんなに高いものなのだろうか――。それとも、思ったよりも傷は浅かったのか。

 アヤネは、不思議そうにカナの背筋を見つめ続ていた。


「当てもなく動き回るには、この旅館は広すぎる」

 カナは腕を組んで考え込んだ。確かに、和風の旅館の造りをしているこの空間は、かなり広い。

「シェイドがどこにいるのか、ヒントになるものはないかなあ?」

「学校の七不思議みたいに、話題の種になるもの、でしょうか」

「日本の温泉旅館の話題……噂……。何かある?」


 三人は暫し考え込んだ。旅館に関する話題、噂、都市伝説などだ。


「定番だけど、幽霊が出るいわくつきの部屋があったり、とかするよね」

「……なるほど。部屋の中にお札を貼ってたりするなんて噂を聞くな」

「どの部屋が、おばけの部屋なのかを、調べるんですか?」

 ハルカの思い付きに、カナが興味を示したが、アヤネはどうにも心霊系の話題が苦手だ。思わず、悪寒を走らせて、先に進む脚がすくみだす。


「旅館の見取り図があるぞ」


 カナは通路の壁に備え付けられていた見取り図を覗き込んで二人を促した。

 全部で六階建ての建物で、客室も二階から六階まで並んでいる。かなりの数だとハルカは少しうんざりした表情を浮かべた。


「たくさんあるよ。全部の部屋を見て回る?」

「……最終手段はそうなるかもしれないけど……」

 カナはフロアの案内図を見つめながら、客室を指で押さえて確認していく。

 二階だと、二〇一、二〇二……。二〇六まで部屋がある。同様に、三階は三〇一から、三〇六。


「ん……っ?」


 四階の部屋割りを確認した時だ。違和感を覚えたカナはその指を止めた。

 その反応が気になったアヤネも、四階の見取り図を見て、「あっ」と声を上げた。


「四階には、客室が……欠けてます。四〇二が、ないみたいですよ」


 他の階にはある『〇二』号室にあたる箇所が、物置になっていた。四階には、『四〇一』の次が『物置』そして、『四〇三』と続き、『四〇二』がどこにもない。


「ここが怪しいな」

「い……、行くんですよね?」

「行かなきゃ、終わんないよ?」

 ハルカは面白そうな笑顔を浮かべてアヤネの背を押す。アヤネは心底、心霊系が苦手なのに対し、どうもハルカはそうじゃない様子だ。

 学校の七不思議の時にも思ったが、ハルカはもしかすると、お化け屋敷系が大好きなタイプなのかもしれない。


「アヤネちゃん、怖いの?」

「こ、こわく、ないですよ? ゆ、油断をしないように、警戒しているんです」


 アヤネは露骨に強がって見せたものの、その表情は青ざめヒクついたものになっていたので、傍から見てもバレバレであった。

 カナが、そんなアヤネを見て、何を思ったか、キメ顔をして怯えるアヤネを護るように抱きしめた。

「アヤネ、大丈夫、私が付いてるよ。ほら」

「えっ、あっ、はい……、だ、だいじょうぶですっ」


 カナが妙に芝居がかった声で、アヤネに抱き着いてくるので、アヤネは怖さも吹き飛ばすほどの恥じらいと驚きで、カナから離れた。

 なにせ、今はお互い服を身に纏っていないからダイレクトに肌の感触と体温が伝わってくるのだ。それがものすごく、恥ずかしかった。


「キマシ」

 ぼそり、とハルカが呟いたが、その呟きが拾われることはなかった。

 アヤネが身を引いてからも、カナはどこか赤らんだ顔をして、アヤネを熱い瞳で見つめていた。

 ハルカは、カナのアヤネに対するその様子に、呆れ気味に笑いながら、これで鼻血でも垂らしたら、マンガだなあと密かに思っていた。


 ――三人は階段を使って四階までやってくると、真っ直ぐに『物置』にやってきた。

 扉のプレートには『スタッフオンリー』と書いてある。果たして扉が開くだろうかと、カナがノブを回したが、カギが掛かっていて開かない。


「カギ掛かってるね。こういう時は、ゲームだとどこかにカギが……」

 ハルカが知識を手繰りながらそんなことを言うのだが、次の瞬間――。


 ドグァァアアッ――!


 凄まじい爆音がした。カナがノブに添えた右手からそのまま爆炎を発動させて、ドアを粉砕したのだ。

 思わず、ぽかんとした表情をするアヤネとハルカに、カナが「入ろう」と何事もなく言ったのが印象的だった。


 物置の中は暗かった。

 だが、その部屋に入った瞬間、部屋の造りが明らかに『物置』ではなく、客室と同じだと気がついて、カナはやはり、と鋭く視線を、粉砕したドアに走らせた。

 通路側のプレートには『スタッフオンリー』と掛けられていたが、爆炎で焦げて崩れ落ち、ひしゃげたドアの残骸を見れば、そこには『四〇二』というプレートが隠されていたと分かる。


「電気つく?」

 入口のところにスイッチらしきものがあったので、アヤネがそれを押すと、パチンと音がして部屋は明るくなった。

 部屋は、やはり客室だった。テーブル、テレビ、座椅子。和風の客室だ。広さから見て二人部屋だろうか。


「気を付けろ、どこかにシェイド……異世界転生者がいるかもしれない」

 カナは右手に小さな炎を作り出し、いつでも攻撃できるように体勢を整えた。アヤネとハルカも、それぞれ、『自分らしさ』を抜き放ち、アヤネは風の剣、ハルカは大地の弓を装備する。


「なんか、わたしたちの属性ってRPGみたいだよね」

 ハルカがわざと、余裕を見せてそんな発言をした。

 たしかに、カナは火、アヤネは風、ハルカが地という属性を宿らせて具現化させている。

「リサちゃんが覚醒したら、何の属性かな?」

「……水、とかでしょうか?」


 アヤネも、場の緊張を適度にほぐそうと、ハルカの言葉に乗っかった。

 もし、リサが水なら、四人の属性がまるで王道RPGのように揃うだろう。


「水……だから温泉だった、とか?」


 カナは、発想を膨らませてそんなことを言ってみたが、正直なところ、リサが覚醒することはあまり望んでいない。

 なぜなら、危険な世界に、引き込んでしまう可能性が高まるからだ。ハルカも、アヤネも、仲間として頼もしいし、覚醒してくれたのは嬉しく思うが、リサまでこんな危ない世界に連れ込まないとならないと考えると、心苦しく思うからだ。


「部屋の中を調べよう」


 カナは和室の中を調べだした。テレビの裏側、備え付け冷蔵庫の裏、などだ。そういうところに、お札を隠して張ってあるような噂を聞いたことがある。

 ハルカは、押し入れを開いてみた。そこには布団と枕が押し込められていた。その奥の壁にお札なんかないだろうかと覗き込んでいた。


 そして、アヤネだが――客室にあるトイレ、バスルームに入った。

 『水』属性の話が頭に残ったためだ。もしかしたら、水に関係する、浴室に何かあるかもしれないと考えた。


「ッ!?」


 果たして、それは正解だった。

 浴室の扉を開き、まず目に入って来たのは、便座と流し台。それは何の変哲もない状態だった。

 だが、その奥に控える、ユニットバス……。そこには薄いカーテンがかけられていた。


 ちゃぷ、ちゃぷり……。

 誰かが、お風呂に入っている。

 シルエットで分かった。アヤネは、そのカーテンにゆっくりと近づいた。そして、カーテンを素早く開いた。


 シャッという音が短くして、むわりと蒸気がアヤネの肌に纏わりつく。


「……カ、カナさん! ハルカさん!」


 慌てて二人を呼んだ。二人はその声にすぐに反応して、狭いバスルームになだれ込む様にして入って来た。

 そこで湯に浸かっていたのは、見間違うはずもない、友人の姿――。


「リサ!」


 軽音部部長、リサだった。

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