『まだ生えてないんだ』のパワーワード

 リサの家で、お風呂を沸かしてもらったアヤネたちは交代でお風呂を使わせてもらって、雨に濡れた体を温めた。リサの家族には、リサに何かあったのかと問われたが、曖昧に返事をするしかなかったので、アヤネは申し訳ない気持ちになっていた。


「アヤネ。お帰り」

 カナがお風呂から上がって来たアヤネに手を挙げ、挨拶をした。ハルカは、破棄のないリサを心配そうな顔をしてみているばかりだ。


「何をしているんですか?」

 カナが何やらリサのパソコンを触っているのを確認して、アヤネはその画面をのぞき込んだ。


「うん。リサのPCの中に、例のアイオリアのCDデータが入ってるかなと思って……。今丁度パスワード解除できたとこ」

「パスワード分かったんですか?」

「自分の誕生日だった。リサらしい安直さ」

 言いながら、PCのデータを見て回っているカナはカチカチとマウスをクリックした。やがて、『最近使ったファイル』の中に、アイオリアの曲データを発見し、カナは下唇を舐めた。


「やっぱり、リサ再生してる」

「あの噂の曲?」

「うん……噂の二曲目――。『女の声が聞こえる部分』だ」


 カナはクリックして、その部分を再生させた。

 アイオリアの宣材CD二曲目、サビに入る直前の箇所で、女の声が聞こえる、という噂が流れているというのだ。

 三人は、その話を『Ryo』から確認した。再生される音楽に耳をそばだててみると、ほんの僅かなタイミング、小さな声で、確かに「サムイヨネ」と聞こえてくるではないか。

 思わず、アヤネはゾッとした。


「こ、これ……ほんとに聞こえます!」

「……でも、これってそう聞こえるって前知識がないと、気が付かないよ。実際にわたしたち、気が付かなったもん」

「ああ――。この噂は意図的に流されたんだ」


 Ryoからの話で、その声の正体がわかっていた。これは実際に録音スタジオで紛れ込んでしまった女性の声だ。スタジオが寒いと言っていた時の雑音が思いがけずに入ったのだ。

 それに、アイオリアの面々は最初から気が付いていた。

 だが、その録音を、そのまま録音に入れて宣材CDにしたと言うのだ。アイオリアは話題性を求めていた。音楽だけではどうしても人の気を引き込めない。だから、このCDにひとつ、『いわく』を付けてみようとSinが提案したという。

 アイオリアのCDの二曲目には、謎の声が入っているぞ、と自分たちで噂を流してみたのだ。

 その結果、アイオリアのCDは普段よりも多く広まったと言う。これがアイオリアの最後のチャンスにするつもりだった彼らは、そのCDの仕掛けに賭けてみたのだ。

 だが、そうして売れたところで、メンバー間には、何か虚しいものが響いたという。

 確かに、今、ライブハウスで一番人気のバンドまで上り詰めたが、それは結局、変化球を用いた姑息な手だったと、自分たちの音楽家としての活動に限界を感じる切っ掛けになってしまった。そして、アイオリアは解散を決意した、という話だった。


 そして、リサはその話にショックを受けた。そして弱った心を、シェイドに付け入られてしまったのかもしれない。

 ハルカが、その浄化のチカラを使って、リサの中に、シェイドの気配があることに気が付いた。


「リサちゃんの心に、陰が入り込んでる」

「……くそっ。なんだってリサに!」

「なんとか追い出せませんか?」

「異世界転生した魂が、この世界で何を求めているか分かれば……吊り上げられるかもしれない。アヤネの時みたいに」


 アヤネはカナの話にあの時のことを思い出し、少しだけ身体を震わせた。あの異世界転生者は、女子高生になりたいという欲望を持っている様子だった。

 今回もそうなのだろうかと思ったが、どうも違う。リサの内側に入っている様子だが、そのまま何も動きがない。リサの行動力というか、破棄を奪い取っているようには見えるが――。


「リサちゃん、シェイドなんかに負けないで。シェイドの見せる世界は楽で面白く見えるかもしれないけど、ただのまやかしでしかないんだよ!」

 ハルカはリサの内面に語り掛けるが、リサは無反応だった。暖簾に腕押しといった具合で、アヤネもカナも、沈んだ空気に眉をひそめているしかない。


「リサ、あんたアイオリアが辞めるからって、自分の夢まで一緒に辞めるのか?」

 カナは厳しい口調でリサの肩を掴み、揺すった。


「……誰かの幸せは、誰かの不幸――。アタシの夢の実現は、誰かの失敗に繋がる……。もう、嫌気が差したんだ」


 ぼそりと、リサは暗い声で呟いた。


「だから辞めるっての?」

「競争は、誰かを傷つける……」

「アイオリアのこと言ってんのか?」

「……アイオリアだけじゃない。音楽だけの話でもない。夢を叶えることは……誰かを蹴落とすことになる」


 リサの言葉に、アヤネは引っかかる物を感じた。リサの気持ちに重なるように、他者の言葉が聞こえたように思えたのだ。


「確かに、そうかもしれません。でも、だからって夢を追わないなんて……それは活きていると言えますか?」


 アヤネは、これまでの自分の人生を振り返って、そう思う。他者に対して波風を立てず、植物のように過ごしていければ、誰も傷つけず、自分も傷つかないだろう。だが、それは結局、この世界で生きている意味を見出せなくなることにつながる。

 何も持ちえない自分は、他者を羨み、成功した人間を妬む――。そういう物を抱えている自分がいると知っているから、アヤネは思うのだ。

 リサの言葉は、『らしさ』がない、と。


「私は、リサさんの夢を追う姿に憧れたんです。夢中になれるものに一生懸命になる姿に」

「……もういい」

「リサさん!」


 その時だ。カナは状況の違和感に気が付いた。あれほどうるさかった雨音と、雷鳴が聞こえなくなっていた。

 ハッとした時、窓の外を見て、雨の水滴が、空中に停止しているのを確認して、立ち上がった。


「マズイ! 結界に閉じ込められているッ」

「えっ?」


 ハルカも慌てて周りを確認した。時計が止まり、スマホが圏外になっている。学校に閉じ込められたあの時と同じ状況だと思い出した。


「敵の……テリトリー内に落とされた!」

 カナはリサを睨みつけていた。すなわち、リサの内側に潜む転生者に対して、だ。

 敵はやはり、強大になっている。こんなにあっさりと裏をかかれるなんて思いもしなかったのだ。

 この転生者も『チート』所持者だろう。これほどに強大な結界はカナは初めて経験した。


「ふ、風景が……」


 リサの部屋だったはずなのに、周りの景色が徐々に蕩けていく。まるで絵の具を混ぜ合わせていくように、結界内の世界観が崩れていく様子だった。

 そしていつしか、アヤネとハルカ、そしてカナは、見知らぬ場所にやって来ていた。


「えっ――? これって……」


 驚きの声を上げたのは、アヤネだ。周囲は何やら湯気に包まれていた。そして身体が妙にぽかぽかと温かい。


「あれっ、わたしたち、お風呂に入ってる!」


 ハルカはばしゃりと湯から立ち上がった。そして気が付いた。自分たちが一糸まとわぬ姿でいることに。どういうわけか、三人は、温泉に浸かっていた――。


「お、温泉っ?」


 アヤネは急に裸になっていたので、身体を隠す様にして身体を折り曲げる。服は一体どこに行ってしまったのだろう。


「……これ、シェイドの結界の中、だよねぇ?」

「おそらく、……リサがいないな」

 ついさっきまで傍のベッドで横になっていたはずのリサの姿がない。檜の露天風呂に浸かっているのは、アヤネ、ハルカ、カナの三人だけだった。


「ここ……温泉旅館、なのかな?」

「そんな風に見えるよね」


 なぜ、結界の中がこんな温泉旅館なのかがさっぱり分からない。そしてリサがどこへ消えてしまったのかも。


「結界から出よう」

「ど、どうやって~?」

「おそらく……リサに乗り移っている『異世界転生者』が潜んでるはずだ。そいつを倒せば、おそらく……」

 カナは周囲を警戒して、鋭い視線で気配りをしたが、アヤネは全裸でいることの不安から、身体を丸めて緊張していた。


「あ、あの、服……さがしませんか?」

「バスタオルだけでも巻ければ、安心するよねー」

「……うん」


 三人はそれぞれの裸体を見て、頷きあった。


「アヤネって、まだ生えてないんだ」

「な、何言ってるんですかー!」


 カナは緊張をほぐしてやろうと、ちょっとばかり冗談で言ったのだが、どうやらその発言選択は、間違っていたらしい。アヤネはお湯に潜り込んで、暫く動かなくなった。

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