夢をあきらめるタイミングは『いつ』?

「……駄目だ。全然反応してない」


 リサにメッセージを送っても返事が返ってくるどころか、既読にすらならない状態に、カナが歯噛みをした。

 リサは軽音部の部長だ。このメンバーの中で誰よりも音楽、バンドに対する情熱が大きいと言っても過言ではない。

 なのに、そのリサが学校を休むことを他の三人に何の連絡もいれないなどあり得ないと思えた。


「……何かあったとしか考えられませんね」

 月曜日の昼休み、リサのいない軽音部は、口に運んでも味がしない昼食を取りながら、相談をしていた。

「やっぱり、土曜にカラオケで一人だけ残らせなきゃよかった……」


 ハルカが心配そうな声を出した。眉を寄せ、長いまつ毛を伏せて悲しむ様子は、ハルカの普段の明るさを微塵も感じさせない。

 リサに連絡を入れたのは先日の日曜日だ。大した用事じゃない雑談をグループチャットでやり取りしていたのだが、普段なら真っ先にチャットに参加してくるリサは顔を見せなかった。

 そして月曜日、学校にもやって来ないリサに、三人はいよいよ不安感を大きくしたのだ。


「放課後、リサさんの家に行きませんか?」

「そうだね。リサの家、知ってる?」

「うん、前に住所のやり取りしたよ」


 三人は今日の放課後の行動を決定して、頷きあう。そして、その瞳には共通の意思が見え隠れしていた。


「私たちと別れた後、リサに何かがあったんだと思う」

「うん。アイオリアの人たちと、話したいって言ってたよね、リサちゃん」

「……カナさん、もしかして、アイオリアが原因だと考えているのですか?」


 アヤネは、まさかという表情であったが、カナの鋭い目は、アヤネの言葉に肯定をしていた。

 その時、窓の向こうで雷鳴の唸りが低く響いた。どうやら、午後からは激しい雨が降るようだ。

 嫌な雰囲気が立ち込める教室で、三人は声を少しひそめた。


「……私さ、この街は何か妙なことになっているって話をしたでしょ」

「はい……シェイドが強力な『チート』能力を持ってやってくることが増えた、と」

「そう。この街で発生する事件も最近、どんどん増えているんだよ。だから、リサもひょっとすると、って考えてる」

 深刻な顔をしたアヤネは、その話で一つ思い出していた。


「そう言えば、『噂』の話もありましたよね。CD」

「ハルカ、もうCDは聞いたんだろ。何か気が付いた?」

「確かにCDは聞いたよ。今もスマホに音源入れてるから聞けるけど……別におかしなところ、なかったと思う」

 ハルカがポケットからスマホを取り出して、操作すると、二人の前にアイオリアのCDを録音したデータを再生して見せた。

 イヤホンを左と右で、それぞれアヤネとカナが分け合った。状況が状況でなければ、まるで付き合いたてのカップルみたいな絵面だとハルカは茶化しただろうが、そんな場合ではない。神妙な顔をして音楽に耳を集中する二人を、ハルカは見守った。

 CDは全三曲収録されていた。念のため三曲とも聞いてみたが、アヤネもカナも、何か異常があるようには感じられなかった。

 ゴロロ……と、時折空が鳴くのが煩くて、聴覚を乱したせいかもしれない。


「噂の話をしかけた時、リサは止めたよね。先入観なく聞いてほしい、みたいな」

「はい。つまり、その噂を耳にすることで、何かしらの先入観が植え付けられて、曲本来の良さみたいなのを楽しめない、ということでしょうか」

「リサちゃんらしいよね。音楽を、ちゃんと聴いてほしいってお願い」


 しんみりと零したハルカに、アヤネは表情を沈ませた。カナはスマホを操作し、もう一度リピートする。


「リサが止める前、アイオリアの人、なんて言おうとしてたか、覚えてる?」

「ええと……」

 アヤネとハルカは暫し考え込んだ。あの時の会話を必死に思い出そうと頭の中を、それこそリピート再生させるように。


「たしか……。二曲目のサビの前に……、とおっしゃっていました」


 アヤネは記憶の底から情報を引きずり出して、そう言うと、カナは二曲目にプレーヤーをセットした。

 二曲目の曲は、ライブでは三曲目に演奏したバラードだ。あれだけは作曲が普段のアイオリアとは違うとリサが言っていた。


「二曲目の、サビ……。ここか」


 カナがそこを繰り返し再生させ続けるも、やはり何かをあるかと言われたら首を傾げる。

 アヤネも集中して聞いていたが、首を傾げるばかりだ。


「録音音源だからダメなのかな? CD音源に意味があるとか?」

 ハルカは思いつきでそんなことを言ってみたが、アヤネとカナは「どうだろう」と悩んだ表情を浮かべたまま曖昧にハルカを見つめる。


「リサに逢えば、はっきりするだろ。どっちにしても」

 カナがイヤホンを耳から外してハルカに返しながらそう言った。アヤネもイヤホンを外して頷く。

 結局、その日の授業はまるで集中できず、三人はリサのことばかりを考えていた。普段煩いほどに存在感のあるリーダーのリサが欠けると、こうもメリハリがなくなるものかと思い知らされた。

 どれほど、ソナティティにリサが必要不可欠なのか、理解をさせられた気分だった。


 ――下校時刻になった時、空模様は最悪の状態になっていた。

 どしゃぶりで、傘を差したって無駄だと言わんばかりの豪雨と風が、アスファルトに川を作っていた。

 それでも、三人は、リサの家に行くことをやめることはなかった。念のために、リサに電話をかけてみたが、やはり反応がない。メールを送っても返事は案の定ない。

 三人は駅前からバスに乗って、リサの家まで向かうことにした。どしゃぶりのなか、一応傘を差したが、強風にあおられた雨粒が右に左に飛び掛かり、三人の制服を濡らしていく。ローファーの中はあっという間にジュクジュクになり、ソックスが気持ち悪かった。

 スカートも湿り、脚にぺちゃりと絡みつくようになったのがまた不快だった。


「中まで、ぐっしょり……」


 ハルカの制服がべったりと体のラインに張り付いて、たわわな胸を強調していた。妙に扇情的な雰囲気のハルカに、カナが「逮捕されてしまえ」と小さく毒吐いた。アヤネはたはは、と渇いた声で笑った。

 暫しバスで移動し、リサの家の付近で降車する。するとまた雨に晒され、三人がリサの家に着くころには、全身濡れ濡れの、『水も滴る女子高生』となっていた。

 リサの家はごく普通の一軒家で、ハルカが代表として呼び鈴を鳴らすと、リサの母親だろう、四十台ほどの女性がドアを開いた。


「こんにちは、リサちゃんの友達の桧山です。御見舞いに来ました」


 丁寧なハルカの挨拶に、リサの母親は驚きながらも嬉しそうに、三人を家に招き入れ、そしてすぐにタオルを用意してくれた。

 三人が有難くタオルで濡れた体を拭いている最中、母親はリサに声をかけるために一度引っ込んだが、難しそうな顔をして戻ってくると、三人をそのままリサの部屋まで案内した。


「リサちゃん、風邪ですか?」

「いえ、体調は悪くないみたいなんだけどね、日曜からなんだか妙に大人しくなっちゃって……悩みでもあるのかと思って声をかけるんだけど、上の空って感じでねぇ。悪いけど、あなたたち、リサと話してあげてくれない?」

 恰幅のいいリサの母親は、そう言って、リサの扉を開くと、三人を中に促した。

 そして自身は部屋から出て、お風呂沸かしてあげるから、順番に入って行きなさい、と奥の方に引っ込んでいく。

 三人はリサの母にお辞儀をして礼を述べてから、リサの部屋を見回した。

 明かりがついておらず、しぃんと静まり返っていて、その部屋に誰かがいるかなんて信じられなかった。

 だが、ベッドには人形のような顔をしたリサが横になっていた。眠っているのかと思ったが、目は開いており、虚ろに天井を見つめ続けている。


「リサ?」

「……なに」

 カナが声をかけると、リサは無感情に返事をした。まるで別人のリサは、活力がまるで感じられない。


「何、はこっちの台詞なんだけど。どうしたんだよ、一体」

「別に……」

「何かあったんですか?」

「別に……」


 問いかけても、呟くようにボソリと無感情な返事が返ってくるばかりだ。流石にどう考えてもおかしい。ぎゃあぎゃあ騒ぐのが専売特許ともいうべきリサが、完全に消え失せてしまっているのだから。


「わたしたちと別れた後、何かあったの?」

「…………」


 無言だった。その無言がある意味、何かあったと物語っていた。なぜなら、何もないなら、それこそ『別に』で済ませればいい話だからだ。


「アイオリアの方々と、何かあったんですか?」

「……」

「なぁ、どうしたんだよ。お前らしくない」

「そうだよ、何があったか分かんないけど、元気だして。ほら、バンドの曲も作らないと!」

 ハルカがわざと明るい声でリサを激励するのだが、リサはそのハルカの言葉に、薄ら笑いを浮かべたのだ。


「どうでもよくない?」


 ――リサの擦れた笑いと共に口から漏れ出たその言葉は、耳を疑うものだった。


「どうでも、いいって……。リサさん、バンドの話ですよ?」

「……疲れるし。もっとさ、のんびり、いきたいじゃん」

「は?」


 リサの覇気のない言葉に、カナがカチンとなったか、目を吊り上げた。


「お前が私たちを強引にバンドに入れ込んだんだぞ」

「バンドとか、やっても、無駄じゃん」

「むだ…………?」


 リサが刺々しくリサを見下ろしながら抗議したが、リサは無気力に横になったまま、呟く。その言葉は、アヤネの心に冷たいものを押し付けてくるようだった。

 アヤネは自分が夢中になれるモノがない詰まらない人間だと思い込んでいた。だが、それに火をつけてくれたのは、リサの部活への勧誘と音楽への情熱だ。自分もリサと同じように、夢を持って青春を駆けてみたいと願ったのだ。

 そのリサが『やっても無駄』という姿は、見たくなかった。


「ねえ、リサちゃん。コンクールに出られなきゃ、部活また解散になるよ。バンドできなくなるよ? 音楽、できないんだよ?」

「……コンクールって、他のバンドと競い合うんでしょ。そんなの、したくない……のんびりと、寝てる方がいい」

 ハルカは湿り気を帯びる制服の嫌悪感に似た、リサの情熱を失くした姿に、顔を伏せた。

 ザァザァと大雨の音が激しく耳にこびり付く。


「話にならない」

「……こんなの、おかしいですよ。リサさんがこんな……」

「……アイオリアの人たちに、話を聞けないかな?」


 ハルカの提案に、二人は頷いた。アイオリアとの連絡方法は、先日買ったCDにメールアドレスが書いてあったので、そこに直接問い合わせるのが良いかもしれないとアヤネは考えたが、カナはもっといい手があると、リサの部屋を物色し始めた。

 カナはリサのスマホを見付け、ロックを、寝たきりのリサの指をとっつかみ、解除させる。

 そしてアドレス帳を無遠慮に覗き始めた。


「な、なにしてるの、カナちゃん」

「リサには悪いけど、緊急事態だ。実際、こんなことされても無反応なんて明らかにおかしいだろ」

 リサのスマホの中から『Ryo』と書いてある番号を見付けた。カナはそれを躊躇いなくタップして、アイオリアのRyoへと電話をかけたのだ。

 数回のコールの後、『Ryo』は応答した。


「どうしたの? リサ」

「すいません、先日お逢いしたリサの友人のカナです」

「カナ……? あ、ああ。あの時の……どうしたの?」

「土曜日、私たちがカラオケから出たあと、何があったか教えてもらえますか」


 カナの声は強かった。それはまるでドラマで見た女性刑事が、犯人を尋問しているように、威圧感に満ちたもので、Ryoも思わず、声を震わせた。


「リサに何かあったのかい?」

「完全に、無気力状態で、バンドのやる気もなくなってるんです」

「……そ、そうか。……そんなにショックだったか」


 Ryoの声は悲しく沈んだ。どういうことだとカナは眉を顰め、相手にもう一度問いただした。


「リサと何かあったんですか?」

「リサに直接何かあったわけじゃない。ただ……アイオリアを解散することを教えたんだよ」

「……解散?」


 カナの言葉に、様子を見ていたアヤネとハルカも視線を向けあった。

 アイオリアが解散すると言うのか――。先日まであんなに普通に仲間内で談笑をしていたのに――。


「もう俺たち、やっていくには歳を喰い過ぎたんだ。流石にこれ以上、バンドはやっていけないよ」

「じゃあ……それを聞いて、リサはショックを受けた?」

「ああ、俺たちに食って掛かったよ。辞めるなって、凄い剣幕だった。でも、俺たちももう生活を考えると、いつまでも夢を見てるわけにもいかなくなったんだ」


 まるでメジャーデビューできないバンド。それでもここまでやってきたのは、もう少しで行けるかもしれないという夢がちらつくせいだった。なまじ手が届きそうな範囲に、それがあったから、ここまでアイオリアはやってきたが、平均年齢三十のバンドではもうあとは落ちていくばかりだろうとメンバー感で話がまとまっていたのだとか。

 それを先日リサが聞き、動揺したのだろう。自分に夢を与えてくれたバンドが、夢破れて失墜し消えていく姿は、リサの精神を大きく揺るがした。


「現実はあまくないんだ。ただでさえ厳しい業界なのに、最近じゃ違法アップロードで、大手すら息絶えていく始末だ。バンドなんて難しすぎるんだよ」

「……」


 カナはその言葉に言い返さなかった。Ryoの声は苦渋に塗れていたのだ。悔しいのだろうが、それを飲み込み、これからは自分の人生に折り合いをつけていくと、もう決意しきった男の声だった。


「……先日のことは分かりました。リサは私たちでなんとかします」

「すまない」

「あと、一つ聞きたいこと、あるんですが」

「ん? なんでも応えるよ」

「……アイオリアのCDの噂」


 ――窓の外が光った。稲光だ。

 そのコンマ数秒後、ガァン、と振動するような轟音が響いた。


 落雷は近かった。

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