アイオリア
土曜夕方のハンバーガーショップは込み合っていた。それでも何とか四人席を確保した軽音部の面々は、ライブ観賞で盛り上がった感想を吐き出していた。
チーズバーガーを齧るリサが推しのバンド『アイオリア』に関する知識を熱弁するのを、他三人は聞き役に回っていた。
「なー! 言っただろ、凄いって!」
「うんうん。良かったねー! わたし、一曲目からすぐ良いな~って思った」
ハルカがナゲットにケチャップを付けながら頷く。それはお世辞でも何でもなく、実際のところ控えめに言って最高だったという感想だ。
アイオリアは全部で三曲演奏した。最初の一曲目はロックだったが、メロディーラインがどこか切なさを演出していて、ロックなのにどこかじんわりと涙腺にくる曲作りをしていたのが印象的だった。
「私、二曲目が好きでした」
大人しいアヤネも、明るい声で話題に華を咲かせる。というのも、二曲目の明るいポップミュージックは、男性四人のバンドから生み出されたとは思えないコミカルで可愛らしい曲調だった。ボーカルの男性の歌い方がきちんと分けられているからだとアヤネは気が付いた。
また、観客をノせるボーカルのパフォーマンスは、ライブハウスに初参加して、物怖じしていたアヤネすら手拍子をさせるほどに巻き込んでくれた。リサがアヤネにボーカルをよく見ておけと言った理由が分かった。
「私、三曲目が好み。あれだけなんか、雰囲気違ったよね」
「おっ、分かる? アイオリアって作曲はギターの人がやってるんだけど、三曲目のはドラムの人が作ったんだよ」
「……へえ? 面白いね。やっぱり作る人で全然雰囲気変わるんだ」
カナの好みだった三曲目の妖しい雰囲気を持つバラードは、前に演奏した二曲とは色合いがまるで違ったのが特徴的だった。リサはその理由を説明しては、嬉しそうに情報を説明した。
カナは、しなしなしている塩味の濃いポテトを口に咥えたまま、「ほーん」と返事をする。
三人はライブハウスが初めてではあったが、リサがはまっている理由も理解できたように思えた。アイオリアが出て来てからは、ステージの目の前まで行ってバンドメンバーのすぐ傍で演奏を楽しんだ。
どうもアイオリアはその日参加したバンドの中でも一番人気だったらしく、その時のライブハウスの熱狂ぶりはすさまじいものだった。
小屋が崩れるんじゃないかというほど、その場にいた全員が跳ねまわり、腕を振り、汗を散らした。
その中に、四人も混じり、いつしかみんなが夢中になって演奏を楽しんでいたのだ。大取に歌われたバラードは熱くなった小屋の空気を妖しく誘うように鎮めさせていったのも、バンドとしての実力を窺えた。
最後にトークがあり、ボーカルの男性が宣材のCDを買ってくれとお願いしていた。
「あれだけの実力があっても、メジャーデビューって出来ないの?」
カナがリサに訊ねた。彼らアイオリアは、間違いなく実力のあるバンドだと分かる。それでもまだインディーズなのだ。
メジャーデビューするというのはそんなにも大変なのかと考えるのは当然だろう。
「一応、レーベルには入ってるんだよ。でも、爆発的なヒット曲はまだ出てないんだ」
「……そうなんですか」
「今、音楽の世界って難しいんだよ。ネットでさ、聞いたことあるでしょ。ボカロとか。ああいう売り方が主流になってて、生バンドって難しいんだってさ」
確かに、今音楽業界は多種多様な売り方で新人を発掘している。中にはプロデビューした作曲家がいるが、実はまったく楽器は扱えないという人もいるのだとか。
「でも、リサちゃんは、『バンド』が好きなんだよね?」
「うん」
ハルカがリサに笑顔を向けて言うと、リサは真面目な表情で答えた。そこには並々ならぬ拘りがあるのだと窺える。
「アタシ、あんな風に、生の演奏で客の反応をダイレクトに受けてさ、楽しみたいんだよ」
「それは分かるかも」
確かに、今日あの場ではしゃいだとき、もし自分たちがステージ側ならどんな気分なのかと考えると――ドキドキと胸が高鳴る。自分たちの演奏で観客を沸かせた時のステージからの光景は、堪らないものがあることだろう。
「だから、アタシたちソナティティもさ、やりたいんだ。あんな風に」
「……わ、私、まだちょっと怖いんですけど、でも……やりたいなって気持ち、わかります」
「ほんとか!」
アヤネのおずおずと言った同意に、リサはぱぁっと表情を輝かせて瞳をキンキラにした。
「アヤネがそんな風に言ってくれるなんて、今日ライブに誘ってほんとに良かったよ……!」
リサがアヤネの手を取って、力強く握りしめる。
アヤネはそんなリサの反応に、笑顔を浮かべてみせた。こんなに嬉しそうなリサを見たのは初めてなように思える程、リサは喜んでいた。
「ほんとはさ、ちょっと心配してたんだ。ライブ見せて、ドン引きだったらどうしよう……って。みんながあんまりノれなかったらどうしよう、って」
リサは普段の元気いっぱいな口調を少し崩して、参った様な顔をして告白した。
どうやら、それは要らない心配だったと分かり、ほっとしたのだろう。
「……ヘビメタやるとか言われたら考えるかもよ」
「あはは、それはないから安心してってば」
「ふふふっ」
四人はそれで笑顔を向けあった。どうやら四人の意思はまだ纏まったままだ。軽音部として一歩を踏み出していく儀式のようなものを無事に済ませられたと、四人は安心した表情でジャンクフードを食べて、ジュースで乾杯するのだった。
「じゃあ、明日から本格的にアタシらのバンドのオリジナル曲の構想をみんなで考えない?」
「そうですね。みんなの魅力を発揮できるような一曲を、……作りたいです」
「おっ、アヤネがやる気になってるぞっ」
「私、ボーカルの仕事って歌うだけなんだと思ってました。でも違うんですね。観客を楽しませるために沢山の工夫をしてるんだって分かりました。だから、私も……その……あんな風になりたくて」
恥ずかしげにアヤネは言うが、それはライブで浮かされた気持ちだけで言っているのではなく、ひょっとしたら、内気な自分でも何か夢中になれるものを掴み取れるかもしれないと考えたのだ。
歌ひとつとっても、その歌唱方法が変わってくるように、自分の中身を変化させるような演出が加わる。それはある意味、変身だ。
アヤネは、自分を変えたいと願うから、その姿勢に強く惹かれるものがあったのかもしれない。
「さてっと、そろそろ時間かな。みんなまだ時間大丈夫だよね?」
「何かあるの?」
リサがスマホの時間を確認して、三人の顔に視線を送った。ハルカがきょとんとした顔で首を傾げる。
「アイオリアのメンバーと合流できるんだ、アタシ知り合いでさ」
「あっ、ギターの『Ryo』さんと知り合いなんですよね?」
「うん、そう。別に無理強いはしないけど、良かったらどう? アタシはどっちにしても挨拶に行ってくるけど」
リサが少し赤らんだ顔で提案してきた。好きなバンドのメンバーと直接話ができるリサは、少し興奮気味のようだ。
三人は少しだけ視線を配ってアイコンタクトでどうするのか、確認を行う。
三人とも行ってみようという目をしていたので、カナが頷いた。
「分かった、行く。ギターのこととか、個人的にも聞きたいことがあるし」
「私もボーカルの方に色々と教わりたいことがありますし、行ってみたいです」
「なんだか面白いお話が聞けそうだし、行くよ~」
「おっしゃ、じゃあここを出て、駅前のカラオケに行くぞ」
リサは三人の同意を得て、まさに水を得た魚の様子だった。
「カラオケですか?」
「うん、歌の指導もしてもらえるかもよ!」
「なるほど」
こうして四人は、ジャンクフードを手早く食べ、ハンバーガーショップを後にした。
そのままカラオケまで行くと、リサがカウンターまで行き、店員とやり取りをする。どうやら、アイオリアのメンバーはすでに来ていて、部屋に入っている様子だった。そこに四人は参加するような形になる。
店員から部屋の番号を聞き、リサが三人を連れてエレベータに向かう。四階まで上がり、通路を少しあるくと、四〇三の部屋が、合流場所になっていた。
「こんちはッス!」
扉を開けながらリサが挨拶をすると、中のアイオリアの面々は、ドリンクを飲みながら、食事を摂っていた。歌を歌っている様子はなく、四人のバンドマンが、軽音部の四名に視線を送ってくる。
「よう、今日は来てくれてありがとうな」
そう言って最初に口を開いたのはギターの『Ryo』だ。気さくな性格をしているらしく、手を振って笑顔を見せてくれた。
「おぉ、リサの友達? ほら、Aki奥に詰めろ」
そう言って、ドラムの『Aki』を奥に押し込もうとするのが、ベースの『Sin』だ。四〇三の部屋はそこそこ広く、八人が入ると丁度いいくらいのスペースになっていた。
「すみません、お邪魔します……」
アヤネが礼儀正しく挨拶をすると、ボーカルの『Toma』が無言で顎を引くようにして頭を下げた。
さっきまでステージで派手に歌って客を沸かせていた同一人物とは思えないほど、静かな様子に、アヤネは一瞬戸惑った。
「ああ、こいつ、今タコヤキ口に入ってんの。まるまる一個」
そう言って笑うRyoはリサに手招きをして、四人の少女をソファに座るように促した。長いテーブルが中央にあり、意図せずしてアイオリアメンバーが軽音部の正面に座り、まるで状況は合コンのようになった。
リサの前にRyoが座り、アヤネの前にはドラムのAki、ハルカの対面はSin、そしてカナの正面が口の中のタコヤキをどうにかしようと格闘しているTomaになった。
「リサの友達? なら、みんな女子高生?」
「うん、そうだよ。手出したら通報すっからね?」
Ryoの質問に、リサは気さくに釘をさす。すると、Ryoはカラカラと気持ちよく笑った。どうやら、本当にリサはRyoと気のしれた仲らしい。
「じゃあ、まずは自己紹介かな?」
そう言ってリサが隣に座るアヤネに視線を寄越した。リサはもうアイオリアメンバーが知っているから、アヤネから、と言うことだろう。
しかし、急に自己紹介を振られたアヤネはドギマギして、慌てた。
「え、あ、えっと……」
「うちのボーカルのアヤネでーす!」
アヤネが戸惑っていると、リサがいつの間にかマイクを片手に紹介した。それでアヤネはぺこりとお辞儀をする。
パチパチとアイオリア側から拍手が上がる。
「続きまして、うちの軽音部副部長、ベースのハ~ルカ~!」
「ハルカでーす、よろしくおねがいします~」
ハルカは普段ののんびりした口調で、手をふって笑顔を見せた。
「ハルカちゃん、可愛いな」
と、発言したのは正面に座るSinだった。Sinは同じベースを担当するハルカに、親近感を持ってニンマリと笑顔を見せたが、隣のAkiに肘で小突かれた。
「お前、彼女いるだろが」
「お前もいるだろうが!」
「俺はナンパしてねえよ」
と、笑いあう。どうやらメンバー間の仲は悪くないらしい。雰囲気のいい空間に、緊張気味だった軽音部たちは少しだけ気持ちをやわらげた。
「で、最後にうちのギター兼、作詞担当カナだ」
「私、作詞はまだやるって決めてないぞ」
「おっ、作詞? どんなの書くの?」
カナが恥ずかしそうに抗議の声を上げたが、そこに食いついたのはRyoだ。
「いや……まだ全然書いたことないし」
「こいつ見た目に寄らず、ロマンティックな詩書くよ!」
「リサ!」
カナが勘弁してくれとリサのマイクを奪おうと立ち上がったが、リサはケタケタと笑ってそれを躱した。
「俺、アイオリアの作詞担当。よろしく」
そう言って、やっと口を開いたのはタコヤキを飲み込んだTomaだった。
こうして簡単な自己紹介が終わり、四人は先輩であるバンドマンと和気あいあいとした音楽の語り合いをしていくことになるのだった。
バンドとして、どう動けばいいのか。楽器の演奏のコツ。歌い方の基礎、見せ方――。
それは何を聞いても、駆け出しのソナティティには為になる話ばかりだった。
アイオリアの面々は、バンドマンという人種にしては珍しく、誰も彼もコミュニケーション能力の高い人間ばかりだった。
個室に男女が向き合って座っているのは、少々、性を意識するかと思ったが、アイオリアのメンバーは全員彼女がいるとのことだった。しかも――。
「――え! Tomaさん、結婚されてるんですか?」
「うん、意外だろ? まだ一年目だけどさ」
そう言って薬指の指輪を見せてくれた。
「あの、失礼ですけど、おいくつなんですか~?」
ハルカがマイペースな様子で聞いた。それに苦笑を浮かべるTomaは恥ずかしそうに言う。
「実は今年で三十」
「えぇっ? 全然見えません!」
アヤネは素直に声を大きくして驚いた。外見だけではまだ大学生くらいにしか見えない。バンドマンというのは若く見えるものなのかもしれない。
「つーか、アイオリアの平均年齢が三十路だからな」
そう言ったのはAkiだ。と言うことは、他のメンバーも皆、そのくらいの年齢なのだろう。
「女子高生からすればオジサンだよな」
Ryoが鼻頭をポリポリとこすりながら苦笑した。だがリサが首を横に振る。
「年齢とか関係ないし」
「ハハ」
お世辞ととられたか、乾いた声でアイオリアのメンバーは気まずそうに笑うのが、少し場の空気を冷めさせた。
なんだか地雷に触れたかもしれないと思ったハルカは、話題を変えるために、カバンから先ほど購入したCDを取り出して見せた。
「そうだ、さっきCD買いました。本当によかったです」
「あ、ありがとう。どの曲が気に入った?」
「えっと、今日一曲目にやったロックがわたしは好き~」
「へえ、ハルカちゃん見た目に寄らずロック好きなんだ?」
「元気になるし、ノリがよくてわたし、今日すっごいジャンプしました!」
満面の笑顔を輝かせ、ハルカはライブの時の様子を再現するように、ソファの上で少し上半身を跳ねる時のように揺すった。
「そーいやさ、あの時リサ、なんか言いかけてなかった?」
「ん? 何の話?」
「ほら、このCDの二曲目がどうとかって……」
カナの問いかけに、当の本人のリサは何の話だか忘れてしまっている様子だった。
だが、Sinが今の話に合点がいったように、「あぁ」と声を出した。
「それ、あの噂の話かな?」
――『噂』。
その単語が出た瞬間、カナとアヤネはぴくりと反応した。ハルカももう『シェイド』のことは把握しているが、目立った反応をしなかった。ポーカーフェイスを決め込んでいるのか、素の天然で無反応なのかは分からなかった。
「噂って?」
「実はさ、ウチのこのCD面白い話があるんだ。二曲目のサビ前のとこでさ……」
「ああー! その話か! ちょっとまってSinさん! そのネタはまだ言わないで! 先に何の知識もなくCD聞いてほしいんだから」
と、リサが大声で割って入り、話題を止めてしまった。
カナはなんだ、と訝しんだが現状では直接『シェイド』に繋がる噂かどうかも分からないし、その話はそのまま流すことにした。
どうせ、調べようと思えば、いつでも調べられる――そういう考えだった。
やがて、時間が過ぎていき、解散の気配が濃厚になるころ、軽音部はリサを残してカラオケから出ることになった。
リサは、まだ少しアイオリアと話したいことがあると言って、残ることにしたのだ。
一緒に自分たちも居ようかとハルカとアヤネが気を利かせたが、リサはそれを断った。結局、アヤネ、カナ、ハルカはカラオケから出て、ある意味丁度いいと考え、三人が抱いた共通の話題に移った。
「このCDの噂ってなんだろうな」
「……とりあえず、わたし今日帰ったら聞いてみる。何かあったらすぐ連絡するよ」
「私も聞いてみたいので、今度録音させてください」
そんな会話をして、三人は駅に向かって歩いた。
六月中旬の空気はじめじめと心地悪く、何か、嫌な空気が纏わりつくようで、アヤネは少し気が重かった――。
そして日曜をまたぎ、月曜日。
学校にやってきた三人は、その日リサが登校してこないことに気が付くまでは、まだ油断していたのだ。
シェイドが本格的に、自分たちを狙っていることなど考えもしなかった――。
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