初めてのライブハウス

 土曜日に待ち合わせをした軽音部の四人は、足を遠くまで運び、市内のライブハウスまでやってきていた。

 賑わうストリートの少し横に入ったところにある厳ついドンブリ屋さんの入口の横に備え付けらた地下への階段。

 そこを下ると真っ黒な扉があり、沢山のステッカーが貼ってある。


「な、なんだか雰囲気が……」

 アヤネはこんな場所にやって来たことがないので、少々緊張していた。言っては悪いが、なんというか『アウトロー』な雰囲気が満載だった。


「凄いねえ~、わたしドキドキしてるよー」

「隠れ家みたいね」


 ハルカとカナも初めてやってくるライブハウスのはずなのだが、アヤネよりも余裕がある。

 そんな三人の先頭に立って、リサが黒い扉を押し開く。

 すると狭い通路に本当に小さなカウンターが備え付けてあり、パイプ椅子に腰かけるキャップを被った女性が「いらっしゃい」と笑顔を向けてくれた。


(あ、女の人もいるんだ……)


 アヤネはドキドキとしながら、入り口のカウンターで笑顔を向ける女性にほっとした。こういう場所は怖い不良のお兄さんたちが鋭い目を向けてくるという偏見が少なからずあったようだ。

 しかし、入り口の女性は美しいロングストレートに美人な顔立ち。そして柔和な笑顔を向けてくれている。


「アイオリアです。四人」

「はーい。千五百円。これドリンク券ね」

 リサが慣れた様子でお姉さんとやり取りをして、会計すると、何やら簡素な造りのチケットを貰った。ドリンク券と書いてある。


「なにこれー?」

「ドリンク一杯、頼んでねって券。未成年はタダで一杯貰えるよ」

「え、ジュース付き? いいじゃん」

 カナがひょい、とリサの持っていた券をつまみ上げて確認する。どうやら成人は中で一杯ドリンクを支払って飲むシステムらしい。未成年は無料でソフトドリンクをサービスすると記載があった。


「じゃあ、行こうぜ」

 リサが少年みたいな顔をして、三人を誘導すると、通路の更に奥に重々しい扉が見つかった。途中の通路の壁には沢山ポスターが張っていて、どれも変わったデザインの字体でバンド名が書いてある。中にはとても口に出して言えないような名前のバンド名もあり、アヤネは思わず目を逸らしてしまった。

 ゆっくりと扉に近づくと、徐々に耳に低い振動音が拾えて来た。目の前の扉は防音扉なのだろうが、それでも音漏れしている低く震える音は、足元から耳元まで登ってくるように伝わる。


 リサが扉を開くとともに、「ドウ、ドウ、ドウ、ドウ」と凄まじい音が鼓膜を震わせた。

 想像以上に大きな音に、アヤネだけでなく、ハルカもカナも目を丸くしていた。


「最初にジュースもらおーぜッ!」


 リサが意識的に大きな声を出して、三人を促す。最初に目の前にあるのは、ドリンクカウンターだ。そこには一人、黒シャツを着た男性が立っていて、ドリンクを作ってくれるらしい。

 リサにくっつくみたいにして三人はそこまで行くと、メニュー表を覗き込んだ。ソフトドリンクの数は少ない。サイダー、オレンジ、コーラくらいしかない。


「アタシ、コーラ!」

「じゃあ、私も」

「わたし炭酸嫌だし、オレンジー」

「じゃ、サイダー」


 四人は口々に注文すると、カウンターの男は手早く紙コップにジュースを注ぎ、ドリンク券と交換になった。

 片手にドリンクを持ち、少し奥の方にいくと、そこはホールのようになっていた。

 いくつかのテーブルが後ろ側にあり、中央から前方までは広く空間が取られている。その先にはステージがあり、両脇に巨大なスピーカーが設置されていた。

 ステージ上ではすでにバンドが演奏をしていた。ギター兼ボーカルのTシャツにジーンズといったスタイルの男性が唄うのはメタルだ。

 あとはベースとドラムが荒々しい程に烈しく演奏する姿が印象的で、ステージに齧り付いている前方の客は激しく身体を揺するようにしてリズムを刻み、腕を高く上げていた。


「す、すごい……」

 圧倒される光景に、アヤネはぽかんと口を開いてしまう。

「だろ! 最初は雰囲気にビビっちゃうかもしれないけど、すぐ楽しくなるよっ」

 リサが茫然としている三人を引き連れて隅のテーブルに移動する。

 どの客もリズムを刻み、手を上げ、跳ねている。轟音にも似た音響が体の中まで入り込んで、脳髄から揺さぶってくるようなパワーがあった。


「ど、どうしよう、私……あんな風に楽しめるでしょうか……。曲も良く分からないし……」


 アヤネが困った様子でリサに不安を打ち明けたが、リサはカラカラと笑う。


「そんなにきちんとしなくていいんだよ、こういうとこのライブは!」

 リサがステージ上のバンドマン達を見つめながら、はしゃぐように言ってくれた。

「理解しようとしなくていいんだよ! 音楽って、リズムに乗って、身体を柔らかくして聴くもんだから! アタシもこのバンド知らないけど、たのしーじゃん!」

 そう言い、リサはトントンと体でリズムを刻みだす。

 それにハルカも続いた。うんうん、と頭でリズムを取りながら笑顔をみせる。ハルカのその柔軟さは見習いたいところだとアヤネは思った。どうしても理屈や礼儀などを考えて、アヤネは身体と表情を固めてしまうことが多い。

 一方カナはどうだろうと窺い見たアヤネだったが、カナは相変わらずのマイペースさで、ジュゾゾと早くもジュースを啜り切り、横眼でステージを見つめていた。なんだかその姿は随分と様になっていて、クールでミステリアスな女性という雰囲気を醸し出している。この場に馴染んでいる、と言っていいだろう。


 休日のみんなの私服が、また個性を滲みだしているのかもしれない。カナはその内面が映し出されたような快活なショートパンツスタイルで、身軽そうな脚を魅せている。上はシンプルなシャツだったが、胸元に描かれたデザインは何やらポップなヨダレを垂らす蛍光色のネズミが描かれていて、印象的だ。

 ハルカは七分袖のカーデガンを着込み、ロングスカートを合わせた淡い色合いのふんわりした服装だった。実にハルカらしい女の子の出で立ちをしている。道に迷った時、通りを歩く彼女なら優しく教えてくれるというような安心感が伝わってくるほどだ。

 カナは黒で統一されていた。ラメが煌めくシャツと黒のダメージジーンズ。どこか近寄りがたい雰囲気を持ちながら、それが返って魅惑的にも見えるから不思議だ。

 そして、アヤネは白のブラウスに、青のスカートという地味というか飾り気のないごく普通の姿であった。実に、自分らしいと思うこの服装は、ライブハウスという空間では少々浮いて見えるかもしれない。せめて服装だけでも派手であれば、多少はこの空気に馴染めたかもしれないと、アヤネは要らぬ後悔をしていた。


「ほら、アヤネ、あのボーカル凄いよね」

 リサが指をさすボーカルの男性は、ギターを弾きながらマイクとキスをするような距離で、汗を散らして歌い上げている。確かにリサの言う通り、舞い散る汗がライトに反射して煌めき、唇を尖らせて表情に皴を作るその姿はエネルギッシュだった。生命力がそのまま声に乗り、歌となって爆音に重なる。

 アヤネの知らない詩ではあったが、それでもこのボーカルの放つパワーと熱量には、理屈を吹き飛ばすモノがあると肌で感じられた。


「私……あんな風にできると、思えないです」

「あはは! アタシもアヤネがヘビメタ歌う姿は想像できないよ」

 リサが固い表情をしているアヤネの背中をバン、と叩いた。

「だからさ、アタシらに合う曲を探したいんだってば。今日はそういうのを知って欲しいんだ。感じてくれるだけでいいんだよ。単純に」

 その言葉に、アヤネは少しだけ緊張をほぐした。自分がもし、あのステージに立つとしたら、どんなものになるんだろう。そんな想像をして、これからのバンドのことを思い描いていく。


 やがて、演奏が終わり、バンドが引くと、照明が明るく照らされた。次のバンドへのインターバルタイムだろう。


「次がアタシが推してるバンドだから、ほんとイイからしっかり聞いてて! カナ、特にギターのとこすっごいから!」

「それ何度も聞いたって」

 熱の上がるリサに、カナは素っ気ない返しをするのだが、顔は笑顔で答えていた。カナもリサが本当に楽しんでいるのを理解しているのだろう。その姿は仲間として嬉しいことだ。

 ジュースを飲み干し、暫し談笑していたリサたちは、ホールの隅にあるブースに目を向けた。これから演奏するバンド『アイオリア』の宣材も兼ねたCDが置いてあった。値段も書いていることから購入できるらしい。


「CD売ってるんですね」

「うん。アタシはもう持ってるけどね」

「そうなんだ! リサちゃんがそんなに推すならわたしも買おうかな~」

「いいよー。それにね、このCDちょっと面白い話があるんだ!」

「……面白い話?」


 リサが「ニヒヒ」と悪戯な笑みを浮かべたのに、一番に反応したのはカナだった。


「このCDって全部で三曲入ってるんだけど、二曲目のサビに入るところでね~……」

 そこで、妙に間をとったリサは三人の視線を集めてから「ふんっ」と鼻を鳴らした。


「聞いてみてのお楽しみだな!」

「なんだよ、言えよ」

「ダメダメ。それに今から演奏始まるし、その曲も演奏されるから、要らぬ知識をもって聞いてほしくないしねっ」


 もったいぶって、リサはそれ以上CDの話題をしなくなった。どうやら買ってみてくれと言っている様子だ。


「ハルカ、買うんだろ?」

「え、うん。買うつもり」

「あとで聴かせてね」

「えー。じゃあ三人で出し合おう? それで貸しっこしよー?」


 そんな風にハルカが言って、三人はお金を出し合ってCDを購入することになった。リサはその様子を嬉しそうに見ていた。


「リサが貸してくれたら話は早いのに」

「だって好きなバンドの応援したいんだもん。CD少しでも売れてほしいし!」

「ほんとに、リサちゃん、この『アイオリア』が好きなんだね」

「うん。アタシがバンドしたいって思った切っ掛けだからさ」


 夢の出発点を語るリサはライトに照らされた瞳を眩く煌めかせていた。

 アヤネはそんなリサを羨ましそうに見つめ、ハルカは買ったばかりのCDジャケットをまじまじと見て、ドラムの人がかっこいいと女の子らしい反応をしていた。


 そんな中、カナは一人そのミステリアスな瞳に、静かな光を隠していた。

 リサの言いかけた『話題』。

 なぜかそれが、妙に気になったのだ。もしや、という予感は、当たって欲しくないものであったから、今はそれほどきちんと考えないようにした。


 リサの好きなバンドのCDに、『陰』が種を付けているかもしれないなどと、無粋なことを考えたくはなかった――。

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