遠回りした異世界への扉

 酒池肉林のハーレムは、静けさのなかにあった。

 ハーレムの王であったシェイドは消え失せ、乗っ取られていた速水も、その操り人形になっていた女子生徒たちも、気絶していて、横たわっている。

 結界の中で、すべてが片付いたのだとアヤネとカナ、そしてハルカは乱れていた身なりを整えて、そして寄り添いあった。


「ハルカ、身体は大丈夫なのか?」

 カナがまず最初に心配げな声を投げかけた。以前子供の頃に覚醒した時は、ハルカはその自分の能力に身体がついて行かず体力的に危険だったのだ。

 だが、ハルカはいつもの笑顔を浮かべ、なんでもないように胸を張った。


「大丈夫。カナちゃんとアヤネちゃんは大丈夫?」

 ハルカは二人の身体を蝕んでいた媚毒の影響を心配して様子を窺った。カナもアヤネも、すっかり肉欲の支配からは解放されていて、心は澄み渡っていて、心地よさすらあった。


「さっきまでは本当に身体が変な感じだったんですけど……」

「ハルカのチカラのお陰で浄化されたみたいだ」

「わたしの……チカラ?」


 カナの言う『浄化のチカラ』というものに実感はあった。だが、それが本当に自分のチカラが生み出していると信じられないという驚きもあったのだ。

 過去、病魔に襲われていたハルカの能力は、その身の浄化という形で解放された。そのチカラで、友人を救えたことが、ハルカには何よりもうれしかった。


「そ、そうだ。先生や他の生徒たちはどうなのかな?」

 周囲に横たわっている被害者たちを心配したハルカは、やはりハルカらしいとカナはほころんだ。

 自分のことよりも他人の事を優先する。そんなハルカの優しさは、何よりも尊い能力なのだ。捉えられていたハルカがしていた濁った眼は、もうない。


「大丈夫。……でも記憶の修正はしなくちゃならないな。バケモノに身体を好きにされていたなんて、覚えていたくないだろ」

 確かに、いくら異常な状況であったとはいえ、無遠慮に自分の肉体を弄ばれていたというのは、少女たちにとっても忘れたいものだろう。

 カナはまず速水の下に駆け寄って、気絶している速水の額に手を当てた。


 その様子を見ながら、ハルカはそっとアヤネに声を掛ける。


「……アヤネちゃん、ありがとね」

「えっ……いえ……そんなこちらこそ……」

「わたし……アヤネちゃんが来てから、カナちゃんの様子が変わったなって思って、なんだかすごく寂しい想いになってた」


 カナは、幼馴染のはずなのに、どうしても深い処を見せてくれなかった。安全なボーダーラインから、互いを見守っているような関係が続いていたのだ。

 でも、アヤネがやってきてから、カナの様子はなんだかとても躍動しているように見えた。


「なんだかカナちゃんが、わたしなんかがいなくても、走り出せるんだって言ったみたいに思っちゃったんだ」

「そ、そんなことないです」

「……ううん、こうやって、記憶が戻って分かったの。やっぱり、カナちゃんはずっと探してたんだよ。友達を」


 幼いころ、ハルカが病魔に襲われた時、そのシェイドを察知した小さなカナは病院にやってきた。

 そして、ハルカに憑いているシェイドを払うためカナはハルカに付き添っていた。


「わたしがチカラに目覚めた時、カナちゃん凄く喜んでたんだ。一緒だよって。わたしも嬉しかった。……でも、ずっと病気で寝込んでたわたしの身体じゃ、あのチカラはとてもつらかったの」


 ――だから、あの日。

 チカラに初めて覚醒した日にカナは、記憶を消す事にしたのだ。

 チカラに飲み込まれて、弱っていくハルカを救うために、せっかくできた『友達』を封じ込めなくてはならなかった。


「ごほっごほっ……」

「ハルカっ……」

「か、カナちゃん、わ、わたし、忘れたくない……」

「チカラを隠してしまえば、ハルカはもう病魔に襲われない。大丈夫、元気になるから」

「か、カナちゃん……ごほっごほっ……はぁはぁっ、はぁはぁっ……」


 幼すぎたハルカには、チカラが逆に重荷になって命の灯を消してしまいかねない。


「ハルカ、安心して。げんきに、なる、から……」


 ハルカの額に手を当てるカナは、涙を零していた。


「おねがい。カナちゃんのこと、わすれたくない……」

「……ハルカ……」

「カナちゃん、泣かないで……。カナちゃんが、泣いてたら、わたし助けたいよ……」

「私だって、ハルカを助けたい……」


「忘れないで」

「忘れて……いいから」


 カナの掌に淡い光が生まれていった。その光に包まれていくと、ハルカは眠たくてしょうがなくなっていく。いま、ここで眠ってはいけないのに。

 大事なものはとろとろした膜につつみこまれていく。

 それと共に、呼吸が落ち着いてくるのだ。安らぎは、ハルカを護る様に包み込む。でも、それがどれほど切なかったのか。

 その切なさすらも、消え失せていくのが、本当に哀しくて、ハルカは涙を零すのだった。


「――それで、カナちゃんとわたしは、幼馴染なんだけど、すごくおぼろげなつながり方をした関係になった」

「……カナさんも、言ってました。ハルカさんの記憶を消して、嘘の付き合いをしてるみたいで、寂しがっていたんだと思います」


「ん……。だからね、やっぱりアヤネちゃんが来てくれて良かった。アヤネちゃんなら、絶対にカナちゃんを助けてくれると思ったもん」

 カナは速水から他の女生徒たちへと記憶修正を行っていく為に、一人ひとりを気遣いながら今回の事件に対する記憶を作り替えていく。なかなかの手間らしく、カナは倒れている生徒たちをめぐっていた。


「わたしの代わりにアヤネちゃんがカナちゃんを護っていくんだなって思ったら、なんかすごく寂しくて、変なおまじないまでやっちゃったんだよね。それでこんなことになっちゃった」

「……私じゃ、カナさんを守り切れなかったです」

「そんなことないよ。本当はとても怖かったんでしょ。わたしの言葉なんか聞こえなかったふりをして帰る事もできたのに……アヤネちゃんはここに来たんだもん。やっぱりわたしの見込み通りの、王子様だった」

「お、王子様って……」

「カナちゃんのこと、おねがいね。カナちゃん、ほんと不器用だから」


 きゅっと、アヤネの手を握るハルカは、笑顔を見せていた。アヤネはその手に包まれて、ゆっくりと首を横に振った。


「ううん。やっぱり私だけじゃカナさんを護れそうにないです」

 アヤネは、床に落ちていた小さな手帳を拾い上げた。

 それはカナの『噂』の調査手帳だ。


 そして、そこにはもうひとつ、彼女の詩が記されていた。


「これ、カナさんの本音ですよ」


 そして、二人はにこりと笑いあった。


「遠回り、しちゃったなあ」


 カナが最後の一人、マユミの記憶を書き換えを終え、「ふう」と立ち上がると、なんだかにやにやとしているアヤネとハルカを見て、怪訝な表情になる。


「な、なに? 二人して笑って……」

「ううん。ほら、カナちゃん。手帳だよ」

「あ、うん……」

 照れ臭そうにハルカから手帳を受け取ると、そそくさという様子でポケットにそれを突っ込んだ。


「ハルカ。……もう、全部思い出しちゃったんだよな。シェイドのこととか、チカラのこととか……」

「うん。記憶を書き換えなおそうとしてもダメだよ。ちゃんと貸してるお金のこともハッキリと覚えているから」

「……ケチくさいやつ」

「ふふん♪ これからは、わたしもアヤネちゃんと一緒に、カナちゃんのこと、手伝うよ」


 大きな胸を張って、ハルカは満面の笑みで宣言する。

 カナはそんな笑顔に、うつむいた。

 泣いてしまいそうになったから。


 そんな二人をみていたアヤネは、本当によかったと心から思った。

 恐怖に負けず、自分の中の『らしさ』に突き動かされた少女は、大事なものを護れたのだ。

 そんな自分を誇ってもいいように思えた。


 強大なチカラがあったからやったんじゃない。

 ただ、救いを求める声があったから、助けたいと思ったのだ。


 ただそれだけのことが、世界を変えていく。

 これまで霧のなかでもがいて過ごしていた世界は、変化したようにも見える。

 それはまるで、異世界のように、素敵だった。


 『チート』なんかなくとも、『異世界』は自分の力で行くことが出来る。

 世界は、ずっとそこにある。チカラは誰しも持っている奇跡だ。

 変化しなくちゃならないものは、本当はなんなのか。


 アヤネはそれが小さく心の底のほうで、煌めくのを確かに感じていた。

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