Heaven helps those who help themselves.

 肉欲の匂いが充満する結界に落ちた音楽室はハーレムの王であるシェイドが勝ち誇った笑みで君臨していた。

 速水に憑りついている『異世界転生者』の魂が、チート能力『ハーレム』を使い、少女たちを慰み者にしているのだ。ヘドが出るほどの下賎たる行為にカナは奥歯が砕ける程に食いしばって怒りの目を向けるが、速水は悠々とハルカの身体を弄んでいた。


「ハルカっ!! 目を覚ませッ!!」

 操られている女生徒たちに羽交い絞めにされているカナの叫びを受けたハルカは、ぴくりと反応し、ゆっくりと瞼を開いた。


「カナ……ちゃん……?」

「ハルカっ」

 意識を取り戻したハルカは、ぐったりとした表情で気だるげに顔を持ち上げる。その身体を無遠慮に撫でまわしている速水の手に拒否反応を示さず、妖魔の糸に絡めとられた身体を微動だにしない。


「おはよう、ハルカくん」

「あ……せんせい……。おはよう、ございます……」

「ハルカッ!! しっかりしろ!!」

「ムダだよ、この子はボクの能力にはまっている。ボクを無条件に好きになってしまう『ハーレム』能力に、ね」


 チート能力の効果は、少女の心を虜にするというものであったが、その効果はバカにできないほどに凶悪だった。実際、怒りを滲ませているカナですら、この場の雰囲気に、肉体が火照りだしてしまいそうだった。身体が汗ばみ、気を許すと思考が乱されてしまう。

 ハルカはその元凶たるシェイドに密着されて、洗脳を施されていくように、艶めかしい吐息すら零してしまう。

 操られている他の少女たち同様に、ハルカもその瞳がとろんとしたものになっていた。


「ほら、ハルカくん。君の事を思って友人が助けに来てくれたみたいなんだ。何か言う事はあるかな?」

 速水はにたにたとした笑みを浮かべて、ハルカの髪の毛を指先に絡め、弄ぶようにして言う。

「……カナちゃん……」

「ハルカ……!」

 マスターである速水の言葉に従うように、淀んだ瞳が、少女たちに圧し掛かられているカナへと向いた。カナは、ハルカを救おうと懸命に名前を呼ぶ。


「わたし……いま、幸せだよ……。先生が抱きしめてくれるもん……。たすけなくていいよ……」

「ふざけるなっ……!」

「だって先生は、『運命の人』だもん」

「ハハハ! そら、どうだい。ハルカ君は、救いなんて求めてない。これが幸せなんだ。寂しさもなく、ストレスなんか感じない快楽の世界。これが世界平和につながるんだ」

 シェイドの高笑いと、その男の胸に顔を寄せ、体温を求めようとするハルカに、カナは強引にでも引きはがしてみせると、力任せにマリオネットになっている女生徒たちを振り払おうとした。

 だが、奇妙なシビレが、身体の中から滲みだしていくようで、拳を力強く握りしめることもできなくなってきていた。


「うくっ……」


 自分の身体にも臭気が入り込み、『ハーレム』の効果が発生し始めているのかもしれない。カナの頬は怒りとは別の、紅潮を見せていた。


(くそっ……女を落とす『チート』なんて……)

 自身が女でなければこのシェイドなど敵ではなかっただろうに、その致命的な能力効果にカナは思わず、自分の性別を呪いそうになった。

 だが、そんなことよりもハルカだけはアイツの毒牙にかけたくはない。このまま黙って負けるわけにはいかない。


「おい、ハルカから、手を引け……。私になら何をしてもいいから……」

「ん? いま、何でも言った?」

 カナの言葉に、シェイドはまるで最高の冗談を言ったみたいにゲラゲラと嗤いながら、反応を返した。

 何がオカシイのか理解できないが、カナはハルカを救うためなら、シェイドに身体を明け渡すくらいは犠牲にもならないと思っていた。


「何でもしてやる。だから、ハルカは放せ」

「それがおねだりをする態度か? あ?」

「……っ……。ハルカを、放してください……。なんでも言う事を、聞きます……」


 くっ、と憎しみを飲み込み、カナはへりくだって見せた。ともかく、スキを作る必要がある。シェイドが自分に迫って来た時こそ、火炎を至近距離で叩きこむチャンスが生まれるはずだ。一撃さえあれば、相手を仕留めることができる。その一撃のスキを作り上げることに、カナは全てを擲つつもりだった。

 ――が、シェイドはそんなカナを嘲るように笑い、見下してみせた。


「ハッ……。だったら、そこで黙って、ボクと彼女の愛の営みを見ていろ!」

「ちっ、クソ野郎ッ!!」

「カナちゃん……いいよ、わたしは大丈夫……。これでいいんだよ……」

「いいわけあるかっ! なにが大丈夫なんだ!! バカかお前はっ!!」

 ハルカの無感情な言葉に、カナは何よりも激しく声を張り上げた。これがハルカが望んだものではないことは明白だ。


「おい! ハルカ!! こないだ借りた五百円、返さないぞ!! いいのかッ!?」

「……いいよ……カナちゃん、もう、いい……」

「バンドはどうする!? リサも、アヤネもお前がいないと困るだろッ!!」

「……アヤネちゃんがしてくれるよ。わたしの分も……わたしの、代わりも……アヤネちゃんが……」


 カナの叫びは届かない。届いていないように、見えた。

 だが、ハルカの無機質な声色に微かに感情が滲んだのを、カナは気が付いた。アヤネの事を口にするハルカの声が、震えていた。


「なに、言ってるんだ……?」

「ハハハ、なるほど、これは傑作だ。どうやら、ハルカ君の『心の隙間』を作ったのは君自身らしい」

「どういうことだッ……」

「君のせいで、ハルカ君は寂しさを覚えていたのさ。君、さては友人なんていないんだろう?」

「……うるさい……!」


 友人がいないとか、自分のせいでハルカが襲われることになったとか、シェイドの世迷言を聞くつもりなんてなかった。

 だが、どうしようもなくハルカの震えた声が耳に残った。


 友人がいない――。

 カナはその言葉にイラついた。それが図星だったからというのに、自分自身も気が付けなかった。

 リサ、ハルカ、アヤネ。確かに一緒に過ごしているクラスメート。幼馴染。同じチカラを持つ――仲間――。

 それらは、友人と呼んでいいはずの存在だ。

 だが、カナは深く踏み込んだ事なんてない。彼女たちの内側へ踏み込まぬように、怯えていた。

 斜に構えた態度でリサの誘いを受け流し――、失うのが怖いからとアヤネには嘘を吐いて帰らせた。

 そして、ハルカにも偽りの記憶を植え付けて、それでも自分の孤独感に救いを求めて、半端な幼馴染を演じている――。


 カナは、三人に対して本音で語った事なんて一度もない。そんな相手を友人なんて呼んでいいのだろうか。


「ハルカ……、それでも私は……あんただけは助けたい……」

「本人が望んでいないのに?」

 ニヤリとした速水シェイドは、ハルカの頬を下から上にべろりと舐め上げた。

「このままで、いい……」

 そして、速水の唇が、ハルカの震えている口元へと寄せられていく――。

 いま、まさに二つの唇が重なろうとする時――。


 バキバキバキッ――!

 硬質物が砕け割れるような音が響いた。

 それが結界を砕こうとする攻撃によるものだと気が付いたシェイドはもう手遅れだった。

 慌てて結界の位相を変更させようとしたが、それよりも早く、風の斬撃が淫猥な空間の壁を叩き割ったのだ。


 バキィイインっ――!!


「なにッ――」


 砕かれた結界の壁から、清らかな風が吹き込んでくるようだった。周囲に満ち満ちた媚薬交じりの空気が洗い流されていくと、その砕かれた空間の隙間から、スっと美しい刀身が姿を現した。


「あれは……まさか……」

 カナはその刀身に見覚えがあった。あの鋭く美しい風の刃。『自分らしさ』の具現化された刀。その持ち主が、結界内に静かに入り込んできた。


「アヤネ……!?」

 風の剣を構えたアヤネが、ゆっくりと結界の割れ目から姿を現した。彼女はもう帰路についていたはずだと思っていたカナは驚愕の声をあげた。


「なんだ……!? まだ追手がいたのか!」

 それはシェイドも同様だった。まさかこの結界を破壊して入り込んでくるほどの手練れがいるとは思わなかったのだ。

 ハーレム結界はかなり周到に用意した結界だ。それなりの能力者でも発見できるはずもない高度なチート結界のはずだった。それがこうも容易く発見され、破壊までされるなんてありえないことだ。


 姿を現わしたアヤネの目は怒りに染まっていた。キっと相手を見据え、そして剣を正眼に構えた。


「ハルカさんを放してください」

「ふ、ふん……どいつもこいつも同じことを言う。この小娘は、望んで此処にいるんだよッ!」

「望んでいる?」


 アヤネは磔になっているハルカのうつろな瞳をじっと見た。彼女の表情からは何もうかがい知れない。

 だがアヤネは、シェイドの言葉を真っ向から否定して見せた。


「だったらなぜ私が、この結界を見付けられたと思いますか?」

「な、なに?」

「私は、右も左も分かっていない目覚めたばかりの能力者です。そんな私が、隠された結界を発見でき……ここまでやってきたのは、なぜだと思いますか」

「……」


 アヤネの問いかけはシェイドだけに向けられているように聞こえなかった。カナは、アヤネの言葉を受け、堂々たる姿でシェイドと向き合う彼女を見つめ続けていた。


「助けを求めた声がしたからです」

「っ!」


 アヤネが動く理由。それは誰かが困っているから、自分でもその助けになるのなら――。それなのだ――。


「助けを求めるのにも、手助けするのにも、勇気は必要です。そう言った彼女が、勇気を出して助けを求めたんです」


 アヤネの言葉に、カナははっとした。そして、虚ろな表情の幼馴染を見た。

 その顔は何も読み取れない。言葉だって求めていなかった。


 だが、アヤネには聞こえた。助けたいというカナの声と、助けてと救いを求めるハルカの声が。

 だから、雨の中、借りた折り畳み傘を握りしめ、振り返った。

 怖かった。

 おそらくシェイドと対決することになる。


 もう怖いのはいやだ。戦うなんてできない。

 そう足が動きを止めさせる。


 しかし、学校から響いてくる声は、心の奥の『自分らしさ』を熱くさせるのだ。

 助けを求めているのなら――。

 胸の奥の熱いものが力をくれるようだった。理性では危険なことは避けるべきだと言っているのに、内側の何かが語り掛けてくる。


 動け――。動け、動け――と。


 普段ならば結界を見つけ出すことなどアヤネには出来るはずもない。そんな知識もない。

 用意周到に隠された『チート』結界を破壊できたのは、他でもないちっぽけな勇気の声が導いたからだ。


「カナさん」

「え……」

「ハルカさんが、なんて言って助けを求めていたか分かりますか?」

「……わから、ない……」


 カナはハルカを見つめ続けた。

 アヤネが代わりになるから、と言ったその声が震えていたのは知っている。自分が、彼女を知らずに追い込んでしまっていたともシェイドの口から聞かされた。

 ハルカの本音は、もうカナには分からない。踏み込めなかったから。


「『わたしの代わりに、カナちゃんを助けて』」


 助けを求める声は、『わたしを助けて』という言葉ですらなかった。

 ハルカのSOSは、『カナ』を救って、という声だったのだ。


「『もう、わたしじゃカナちゃんを助けられない。アヤネちゃんならできるから――。ちょっぴり寂しいけど……カナちゃんを代わりに守ってあげて』」


 孤独に震えている時期があったハルカだから、カナの抱える寂しさにはいつも気が付いていた。

 だから、ハルカはカナの横に居続けた。お金も貸したり、横にいる理由を用意してあげていた。カナは何かで引っ張っていないと、どこかに消えてしまいそうになるから。

 喧嘩もした。喧嘩した後も、ハルカは傍にやってきた。無視だけは絶対にしなかった。絶対に、カナを見て、受け止めて、ぶつけた。


「私は怒ってます」

「ククッ、だったらどうする?」

「……あなたは何ですか? 私はあなたなんてどうでもいいんです」

「な、なに?!」


 アヤネの怒りのまなざしは真っすぐに向けられていた。シェイドはカナ同様に、敵意を向けられていると思っていたのに、自分の事を無視するような言葉に目を丸くしてしまった。


「私はカナさんに怒ってます」

「あ……、アヤネ……」

「なので、これは『八つ当たり』です」


 アヤネは正眼の剣から意思を発散させた。ゴウゴウと凄まじい風の唸りが吹きこぼれ、シェイドへとぶつけられる。


「や、八つ当たりだと……、ぼ、ボクのことがどうでもいい、だと……! ボクは王だぞ! このハーレム界の王なんだ!!」

 アヤネの言葉は、歪んだプライドを切り崩すのに効果てきめんだったらしい。シェイドは唾を飛ばしながらアヤネに対して醜い顔を向けた。


「お前だってそうだ! 女である以上、ボクには敵わない! さあ、お前も他の女のように全身の神経を快感に染めてやる!」


 醜悪な空気がシェイド速水から噴き出していく。そしてアヤネの身体には、その悪臭から身を護る様に風の衣が包み込んでいく。

 陰と陽の力のぶつかり合いが始まった――。

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