『詩』と『噂』
昼の食事休憩の時のことだ。
今ではアヤネはすっかり軽音部員として、リサたちのグループに馴染んでいた。
昼は四人で共に取ることが多くなったし、その日もやはり四人は集って弁当を食べることとなった。
「ねえ、今日二人でギリギリに来たよね」
ハルカがカナとアヤネに向けて、今朝の事を訊ねてきた。今朝は旧校舎裏に呼び出され、アヤネはカナと二人、チャイムのなる時までそこで話していたのだ。
話の内容は他言できるものではないため、アヤネはこの問いにどう回答したらいいのかすぐに出てこなかった。思わず、ちらりとカナのほうを見てしまう。
「たまたま一緒になったんだ」
カナがアンパンを齧りながら普段の気だるそうな態度で言った。
アヤネはとりあえず、その回答に頷く。
「ふうん」
ハルカは、それだけ零してまじまじと二人の様子を見ていた。納得がいったのか、いってないのか、表情からは読み取れない。ハルカはそのままサンドイッチを掴んで口に運んだ。
弁当持参のリサが唐揚げをほおばりながら、そんな様子を気にしたのかしてないのか、会話を膨らませてくる。
「カナがギリギリにくるのは分かるけど、アヤネが遅刻気味に来るのって珍しいな。ってか、初めてじゃない?」
「そ、そうでしたっけ。今朝は、忘れ物に気が付いたので、途中で取りに戻ったんです」
何かそれらしい言い訳を言うため、過去にあった遅刻の経験を重ねて嘘をついてしまった。アヤネは少しばかり二人に隠し事をするのに罪悪感が生まれていたが、現状では正直に話せるものではないし、もどかしい気持ちが内側で渦巻いていた。
(カナさんも……日頃、こんな感じだったのかな)
これまでカナは人知れずに事件を解決しては、その記憶を修正し、事実とはことなる話でつじつまを合わせようとしてきただろう。それで吐いた嘘の数はどれほどのものなのだろう。
もしかすると、カナの普段の気だるげな態度はそれを誤魔化すための布石なのかもしれない。
でも……アヤネは思う。
それはやはり、とても寂しいことだと。
カナが仲間を欲していたのは、本当に、素直な気持ちから出ていたのだろう。
「ところでさ、そろそろアタシらもバンドとして活動をきちんとしていきたいと思わない?」
「え? どういうことですか?」
リサが満面の笑みを浮かべ、部長として今後の軽音部の活動内容を打ち出す。
「これまでは、コピーしかしてこなかったけど、……やっぱりオリジナル、やりたいじゃん!」
「オリジナルって……、わたし達で曲を作るの?」
ハルカが「わぁ」と面白そうにリサの意見に顔を煌めかせた。対して、アヤネは緊張の表情で思わず箸を止めてしまう。
「曲を作るって……私たちなんかにできるんですかっ?」
「できるよ。中学生でやってるやつらもいるんだぜ。アタシらもできるって」
「すごいね! わたし達の曲!」
「……でも、作曲も作詞も大変じゃないか? 私どっちもできそうにない」
カナがアンパンをもくもく食べながら、リサに視線を向ける。そんなカナの後ろむきな言葉を聞いたリサだったが、カナが相手をはっきり見て言葉を言う時、それは気持ちが前向きな時だと分かっていた。仲間である部員のクセや性格をリサはこの中で誰よりも理解しているらしい。
「作曲は、アタシがやる……っていうか、もう実は数曲作ったりしてた。昔からこんなのがやりたいなーってのはあったからさ」
「ほ、ほんとですか、曲を作るなんて……リサさんはほんとに音楽が好きなんですね」
「ま、まぁ……ね。でもさ、作詞のほうは違う誰かに任せたいんだ」
「どうして?」
「……前も言ったけど、アタシは違う人たちが作る一つのものが好きなんだ。アタシの曲を受けて、誰かが言葉を乗せる……っての、……いいじゃん?」
リサはちょっとばかり恥ずかしげな様子で言った。自分の夢や、理想を語る時、人はちょっぴり物怖じしたり、気恥ずかしくなる。
それでもリサはそれをきちんと言葉にして、相手に届けようとする少女だった。それで相手を笑うような人がこの中にはいないと信じているからだろう。
「ふぅん……、まぁ同意はするよ。でも……詩……か……やったことがないし、ほんと、どうなるか分からん」
「じゃあ、今度みんなで詩の発表会しようかー♪」
「えっ……詩の発表ですかっ……?」
「うんうん、詩のテーマは自由。自分が興味のある事や誰かに伝えたいことをそのまま詩にしていいよ。短すぎないものにして、歌の歌詞になるって意識で考えてみてよ」
ハルカの提案に、リサも具体的に要求を加えて部員に課題として伝える。カナは参ったような顔をしつつも、その提案に賛成はしているようだったし、ハルカはもう楽しそうに全身でワクワクを伝えていた。
アヤネは『詩』を書いてそれを発表するという事がどうしようもなく恥ずかしい事のように思えて、どうしていいのか分からなくなってしまう。
「詩って、ポエムとかですよね。……で、できるかな……」
できれば自分は発表会から外れたい、という気持ちが少しばかりあった。だが、軽音部部員として、仲間としてこれは向き合わないとならない課題だろう。
どういう訳だかこの世の中には、ポエムを笑ったりする風潮が出来上がっている。
ポエムを書く事は、恥ずかしい事と、周囲が言っているような気がしてしまうのはなぜなのだろう。
アヤネはポエムを書く事に対して変だとか笑ったりだとかは、感じたりはしない。しかし、周りがそういう行為を笑いの種にしようとしているのは知っている。だから、詩を書くことは、してはいけないような気すら湧いてくる。そんなことは変な事だと分かっているのに、だ。
「こういうのは、直観でやるもんだ。考えすぎるとできなくなるから、とりあえず適当にって気持ちで気軽にやってみてよ」
リサがそんな風に言ってくれた。全員、詩なんて書いたことはないだろうし、いきなりハードルを上げたって助走すらできずに終わってしまうと思ったからだ。
「適当に……か。そういうのは得意だぞ」
「カナ、適当とは言ったけど、遊びじゃないんだからな!」
「世界征服するんだもんね~♪」
「そうそう、ハルカはよく分かってる。ウインナーをあげよう」
リサが自分の弁当の中身をつまようじに刺してハルカに咥えさせる。ぱくりと食べたハルカは「おいしい」と喜んでいた。
それを見ていたカナが、ちらりとアヤネの弁当を見たが、アヤネはそれどころじゃなくて、『詩』をどうしようかと考えてしまっていた。
「でも、曲を作ったとしても、それを聞かせる人がいないのは寂しいね」
ウィンナーを飲み込んだハルカがふとそんな事を言った。
その意見に関してはリサも同様だ。現状、自分たちのバンド『ソナティティ』は完全に無名の誰も知らないバンドなのだ。
「顧問さえ決まれば……、学校でライブとかさせてもらえるんだけど……」
「コニちゃん先生、引き受けてくれないかなあ」
「あれから一週間経っているもんな……。そろそろきちんと顧問の話が決まってると思いたいけど……」
一番恐れているのは吹奏楽部の速水先生が顧問に就いてしまう事だ。おそらくその場合、軽音部は吹奏楽部の雑用係くらいの役割しか与えられない。
小西先生の話題が出たことで、アヤネはふと、今朝頭に過った『犯人の可能性』に、『詩』のことが吹き飛んだ。
自分の中のこのもやもやとした不安を明確に晴らしたい。担任の教師を疑ってこれから学校生活をしていくのは嫌だと思ったのだ。
小西先生ともう一度話す機会を得られれば、この疑惑も多少晴れるだろうか――。
そんな気持ちからアヤネはひとつ、提案した。
「食事が済んだら、先生に確認に行きませんか?」
その意見に、否定するものは一人も居なかった。
※※※※※
昼食を終えた軽音部の四名は、揃って職員室にやってきた。
職員室も現在昼休憩のため、教師たちはそれぞれ食事を摂っている様子だった。弁当を食べている先生もいれば、外食に行く先生もいるらしい。
目的の小西ユイがいればいいが、とリサは職員室を捜すと、彼女は自分の机に居た。
「あっ、コニちゃんいる」
四人は小西先生のデスクまで向かうと、一同ぎょっと目を丸くすることになった。
「あら、みんなそろってどうしたの?」
四人に気が付いた小西先生は、振り向きざまに声をかけてくれたが、四人は小西先生と、その机にあるものを見て絶句していた。
小西先生の机には、ズラリと『ラーメン定食』が並んでいたのだ。
美味しそうな香りが職員室中に広がり、今食事を終えたばかりの四人もそのラーメンの香りに生唾が出てきそうだった。
「せ、先生……それ……昼飯?」
リサが確認すると、小西ユイはニコニコと嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「そうよぉ~。北口駅のラーメン屋さん。ここ、すっごく美味しいのよ~」
「で、出前取ったんですか?」
「そうよ~。チャーシューメン、大盛。チャーハン餃子セット。デザートの杏仁豆腐もあるの」
至福の時、という様子である担任教師に対して、四名はいやいや、そういう回答が聞きたいのではなかった、と内心でツッコミしていた。
机に所せましと並ぶ皿に盛られた料理の量がまた多かった。
ラーメンに乗るチャーシューは厚切りのものがずらりスクラムを組むように詰め込まれ、下のスープを覆っている。そのチャーシューのカーテンを潜り抜けると、その奥には大盛ラーメンがたっぷりと控えているのだ。
更にその隣にはこんもりと盛られたドーム状のチャーハンが狐色に存在感をアピールしている。チャーハンセットと言ったが、これではラーメンもチャーハンもメインを張れる量をしている。
そして極めつけが餃子だった。俗にいう羽根つき餃子というやつで、鉄板で豪快に作り上げた餃子は、これまたひとつひとつが大きい。それが計六つ、皿の上で窮屈に身を寄せ合っているのだ。
そして申し訳程度のちょこんとある杏仁豆腐はその三皿の存在感のせいで言われなかったら気付かないレベルだ。
「こ、これ、コニちゃん一人で食べるのか?」
「え、そうだけど?」
当然ですがなにか、という反応をする小西ユイは、机の引き出しを引くとそこに備えていたマイれんげと箸を取り出して「いただきます」と手を合わせる。
そして四人のこともお構いなしに、ずるずるずばずばとラーメンを食し始めていくではないか。
小西ユイの外見からは想像できないその食欲旺盛ぶりに、四名は暫し黙ったまま、ラーメンをかっこむ担任の姿から目を離せなかった。
「こ、コニちゃん先生……。わたし達の顧問のことはどうなったのかなって聞きに来たんだけどー……」
ハルカがどうにかこうにか、ここに来た理由を述べた。
「あっ、顧問ね。うん……ちょっと今、色々とあってね。まだきちんと決まってないの……ごめんなさいね」
「えぇ~? なんでさ、アタシ達の部活、ちゃんと部活になっているよね?」
リサが不満げな声を出したことに、小西先生は「ホントにごめんね」と詫びを入れる。
「ちゃんと部活はできるようにしてるから、安心して。顧問が正式に決まったらきちんと教えるから、もうちょっと待っててほしいの」
「ううん、それならいいんだけど……」
リサがまだ少し腑に落ちないという様子で身を引く。
アヤネは少しだけ話を引き出せないかと、小西先生に踏み込んだ質問をしてみた。
「今、色々あって、というのは何かあったんですか?」
「あ。ああ……ううん、速水先生がね……。ごめんね、話せないの」
「……?」
小西先生の言葉に、アヤネは少し引っかかるものを感じたが、それ以上は追及は出来なかった。
それから小西先生が「ごめんなさいね」ともう一度謝って、一同は退くしかできなくなってしまった。
職員室から一年四組の教室に帰るまでの間、廊下で不満げな様子のリサに続いていたハルカが「なにかあったのかな」と首を傾げた。
「速水先生が……、と零していましたね」
速水先生は吹奏楽部の顧問であり、音楽科の教師だ。二年生のクラスの担任もしていると聞いている。吹奏楽部に入れ込んでいて、音楽はクラシックこそ正義と言うのが彼の口癖でもあった。
そういうわけで速水先生は『軽音部』にいい反応をしていないというのは、リサ達も把握はしていたのだ。
もしかしたら、やはり速水先生が何かしらの邪魔をしているのかもしれない。そんな風に考えられた。
「ねえ、ちょっと速水先生に問いただしてみる?」
「えっ、それはやめたほうが……」
リサが物申しをたてようとするのを、アヤネが窘めた。もし、それで余計に話がこじれたら、部活が終了してしまうこともあり得る。
「ねえねえ、何か速水先生の『噂』とか知らない?」
「うわさ……?」
ハルカの言葉に、アヤネは過敏に反応してしまった。そして、カナへと視線を投げてしまう。
カナは特に言葉は発しなかったが、アヤネに鋭い眼光を向けていた。『学校の噂』には気を付けろ、という意思が込められていた。
「いま、職員室で『色々あって』て、『速水先生』がキーワードなんだよね。速水先生に何かがあったのかもしれないよ」
「うーん、嫌いな先生だから避けてたぶん、あんまり話を聞いてないな~」
リサは速水先生の話題なんて耳にしたくないという様子だった。
アヤネは、もしやとは思ったが、今朝、『噂』や『都市伝説』に気を配る様にという話をしたばかりだったこともあり、『速水先生』という人物が気になって来た。
「速水先生は、吹奏楽部の顧問なんですよね。吹奏楽部の生徒に聞き込みをすれば何か分かるかも……」
「え? 速水先生の問題をアタシたちで解決して、顧問を早く決めてもらおうってこと?」
「あ、いえっ……そこまで考えているわけじゃないですけど……っ」
アヤネの提案をリサが受け止めたことを、アヤネは誤魔化そうとした。軽はずみに『噂調査』をして、もし万が一にもまたシェイド事件に繋がれば、危険なことになるからだ。
が――。行動派のリサは、それで火がついてしまったらしい。
「よし、アタシ今から吹奏楽部の人たちと話してくる!」
「えっ!? り、リサさん!?」
アヤネが止めるよりも早く、リサはもうダッシュで駆け出して行った。
三人はそのままぽつんと残されてしまった。
「ちょっと心配だから、私もリサさんについて行きますっ……」
アヤネがそう言って、カナのほうに向いて言うとすぐにリサの後を追い、駆けて行った。
「アヤネちゃんまで行っちゃったね~」
ハルカがあわてんぼうな二人だなぁと、ゆったりした口調でカナの隣でつぶやいた。
カナはアヤネがリサについていることで、シェイドに関する何かをつかむかもしれないとこのまま、『速水先生の噂』の調査は二人に任せてしまおうと考えた。
カナは、それよりもひとつ、気がかりなことがあったのだ。
「なぁ、ハルカ」
「なぁに、カナちゃん」
「私は、あんまり可愛い服とか、化粧とか……やらないんだけど……ハルカはそういうの得意だよな」
「え、なにいきなり。まぁ……人並み程度にはおしゃれも好きだよ」
友人のいきなりの発言の意図が汲み取れず、ハルカはちょっぴり驚いた声と共に、幼馴染の顔を見つめた。
カナは、そのハルカの言葉には返さず、腕を組んだ。
「……なんか、最近カナちゃん変わったよね」
「……そんなことないだろ。お前ほどじゃない」
ハルカの大きな胸をジト目で見て、どこか卑屈な声を出してしまうカナ。ハルカは中学生になるころから、どんどん発育が良くなっていった。それに対してカナはさっぱりスットントンなのだ。腕組だって、するりとできる。
「そうじゃないよー。なんだか、最近いい事あったみたい」
「え? なんでだよ、別に何もないよ」
ハルカは、カナにフフ、と笑顔を見せた。幼馴染だからこそわかる、小さな変化を、ハルカはきちんと捉えているのかもしれない。
カナは否定してみせたが、最近のカナがどこかソワソワと落ち着きがないような、トクトクと胸を焦がしているような――そんな温かみを感じていたのだ。
「やっぱり、アヤネちゃんが来てからかな?」
ハルカは、ニコニコと笑顔だった。その視線は、アヤネ達が走り去っていた方を向いていた。
「……なんか、ちょっと……ちょっとだよね」
ぽつり、とハルカの唇から零れた言葉は、騒がしい昼休憩の校舎の中ではかき消えてしまうほどのものだった。
その声色に、どこか寂し気な切なさが滲んでいたことに、カナは気が付けなかった。
カナはカナで、まったく別の事に気を取られてしまっていたのだ。
彼女のポケットの中には様々な情報を集めた手帳がある。
そこには学校の七不思議の伝説なんかも書き込んでいた。
「小西先生は――結構綺麗だと思うんだ」
「えっ、うんそうだねえ。さっきのはちょっと驚いたけど、コニちゃん先生、綺麗だし優しいよね」
「あれだけ綺麗だと、きちんと身だしなみとかするんだろうな」
カナが何を言わんとしているのか、ハルカには分からなかった。先ほどから、おしゃれのことだとか気にしているから、もしかしたら、カナもそういうのに目覚めたのかもしれないとも思えたが、それにしたって急な話だ。
ハルカは幼馴染の変わり方が、自分手のひらから零れていく砂の粒みたいに思えて、彼女の手をつかみたくなってしまう。
だが、そのカナの手はしっかりと腕組されて、何かを考えている様子だった。
そこに、ハルカの入り込む余地はまるでなさそうにも見えた――。
「ラーメン、食べたらネギが気になるよな」
「もうっ、さっきから何なのー?」
「……さっき職員室をざっと見た時、思ったんだ。他の先生の机は色々と私物が置いてあってさ。女性教師の机にはかならず、鏡が置いてあるんだ」
「それはまぁ……そうでしょう。コニちゃん先生はごはん中だったから、片付けてたみたいだけどー」
カナは、ここ最近で小西先生の机を見る機会が二度、あった。
前回見た時も彼女の机には、鏡は置いていない。
七不思議のひとつ。
『――鏡に映らないものがいる――』。
カナは、カナで『噂』の調査を開始した――。
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