ハルカ・バイブス

「ハルカ、お風呂沸いてるわよ」

「はーい」


 母親の声に返事をして、ハルカはバスルームへと向かった。脱衣所兼洗面所で衣服を脱ぐハルカは、下着姿になって、ふと鏡に映る自分の姿を見つめた。


「……ふう」

 バストサイズが大きいのは自覚している。中学生になってから、急に発育が良くなって、周囲の友人よりも明らかに胸のサイズが一回り上になった。

 それによって、男子からの視線を妙に感じるようになったし、茶化されることもあった。

 現在、Eカップのブラジャーではあるが、ひょっとするともっと大きくなるかもしれない。正直なところ、これ以上胸が大きくなるのはあまり希望していない。なにせ肩が凝るのだ。それに服も選べる種類が狭まってくる。


「なんで大きくなっちゃうんだろ」


 噂では、胸を揉んでいると大きくなるとか、牛乳を飲むと大きくなるとか、睡眠時間が多いと大きくなるとか、色々あるものの、自分は特別何かやってるわけでもない。

 幼馴染のカナなんかは、逆に人よりも小ぶりでBカップに届かないサイズなのを若干気にしているらしい。たまにこちらの胸を恨めしそうに見ている事があるのを知っている。

 ハルカは、そのままブラとショーツを脱ぐ。大きな鏡には自分の裸体が映し出され、健康的に育った十五歳の肉体がハリツヤもよく保たれていると分かる。胸もそうだが、ヒップラインも、女性らしい形を描き、腰のくびれも相まって正直なところ、自分で自分の身体が大人びているとも思うのだ。


 そんな自分の身体を見つめて、ハルカは思う。

 かつて自分が病弱だった頃があったなんて、今の姿では想像もつかないだろうな、と。

 小学生の低学年まで、ハルカはしょっちゅう病と格闘していた。他の子どもたちと比べても体力がなく、身体もやせ細っていた。ほんの些細なことで病気になっては入院を繰り返すということが多く続いたのだ。

 そんな彼女は、小学一年生になりこれからは友達がたくさん増えていくのだと楽しみにしていた。しかし、ハルカはその病弱な身体のせいで学校を何度も休むことになり、友人はほとんどできなかった。

 祝日、一緒に遊んでいる同学年の子どもたちを病室から見るばかりなのだ。


 自分のこの弱々しい身体が嫌いだった。ハルカはやがて色々なものが嫌になっていった。

 入院中、医者と両親の話題が聞こえてしまったこともある。娘の身体が弱いのは、自分たちのせいだと悲しむ両親の声が胸に突き刺さった。

 それは、怒りにも、悲しみにも、苦しみにもなった。

 ハルカは六歳にして、人生というモノに対して希望がもてなくなってきていた。


 ――一生、こんな病弱のままなのかな。

 ――一生、友達もできないのかな。


 ――一生って、いつまで生きられるのかな。


 そう考えると、ハルカはどんどん衰弱していった。

 まるで木の枝のような自分の細く頼りない腕を見て、ハルカは自分も、親も、病院も、友達も、世界も嫌いになっていく。


「わたしがこんななのは、お父さんたちのせいなんでしょ!!」


 こんな八つ当たりを、両親にしてしまうほどに、精神も弱り切ってしまったのだ。

 その時のことを思い出すと、なんて酷いことを言ったのだろうと今でも後悔する。


 そんな荒んだ心と絶望の瞳を持っていた時だった。

 神谷カナに出逢ったのだ。


 自分の病室で寝ていたハルカは、ふと、視線に気が付いた。

 病室の扉は開かれていて、廊下を過ぎ去る看護師たちの慌ただしい様子が時折見えていたが、その廊下に、ぽつんと小さな少女が立っていて、こちらをじっと見ていた。

 明るい髪の毛をしていて、ちょっぴり釣り目をしている同年代の少女だった。

 着ている服装を見ると、パジャマ姿であることから、この病院に入院している患者なのかもしれない。


 ハルカは、思いがけず病院で出会えた同年代の少女に、思わず声をかけてしまった。


「なにしてるの?」

 ベッドから身を起こし、ベッドのはじに腰かけるようにして、扉の陰から覗き込むようにしている少女へと声をかけた。

「……たんけんしてる」

 相手の少女はそう答えた。

 この病院にきて間もないのかもしれない。子どもにとって、この病院はとても大きく感じる。色々と見て回っているのかもしれない。自由に歩き回れている様子から、相手の少女の病状はそんなに酷くないのかなとハルカは思った。


 少女は声を掛けられたことから、そのままハルカの病室に入ってきて、ベッドの傍に置いてあるパイプ椅子に腰かけた。


「私、カナっていうの」

「わたしハルカ。カナちゃん、なんねんせい?」

「一年生だよ」

「いっしょだ!」

 それだけで十分だと言うように、二人はすぐに仲良くなった。

 カナの探検に、ハルカがついて行き、病院のことを案内して回ったのだ。

 売店にある好きなお菓子はこれだとか紹介したり、花屋さんのところで、好きな色の話をしたり、怖いおじいさんが入院している病室はここだから、気を付けようと教えたりした。

 それは本当に、久しぶりに楽しく笑えた時だった。


 不思議なことに、ハルカはそのカナとの出会いから容態が良くなっていった。

 医者が言うには、同年代の友人ができたことで、気持ちが前向きになって身心が回復しているという話だった。

 やがて、ハルカが退院できるようになるころには、カナと学校でも友達でいようと約束するまでになった。


 思い返せば懐かしい。

 今の自分があるのは、カナのおかげなのだと思っている。

 それから、小学校はずっと一緒に仲良くやって来たし、中学生になる頃には二人喧嘩もするくらい打ち解けあった仲になっていた。喧嘩しても、言い合いになっても、いつしか二人は一緒にいた。

 腐れ縁、というよりは、もう姉妹のような間柄だったと言えるかもしれない。


 湯船につかると、今日一日の疲れが体の内側から流れ出ていくように感じた。

 ハルカはゆったりと身を寛げて、物思いにふける。


(カナちゃん……、なんか様子が変だなー)


 それはあの転校生、緑川アヤネがやってきてからだと分かっていた。

 姉妹のように育ってきた友人の様子なんて、ちょっと見ていれば分かる。最近、なんだかカナは活き活きとしているように見えるのだ。

 本人は普段通りの気だるげな様子を演じて見せているようだけど、その内面から時折零れ落ちている鼓動が、息遣いが、カナを弾ませているように感じ取れていた。


 嬉しそう……、活き活きとしているのなら、いいことではないかと思う。

 だが、それと共に、奇妙な切なさがつむじ風のように心を通過していくのはなんなのだろうか。


 友人を奪われるというアヤネに対する嫉妬なのかと、ハルカは自分を分析したがそれも違うように思える。

 嫉妬なら、アヤネに対してマイナスの感情を抱きそうだが、それはない。


(なんか、変なきもち……。この気持ち、なんなんだろ)


 きゅう、と心の奥のところを冷やされるような、未体験の感覚に、ハルカは自分の心が掴み切れなかった。


(詩……。詩にしてみたら、分かるかな?)


 リサがみんなに宿題を出したのを思い出して、自分の気持ちの整理のためにも、今のこの感情、感覚を詩にしてみるというのは悪くない発想にも思えた。

 お風呂から上がったら、さっそく書いてみようか。

 今頃、カナも詩を書いているのだろうか? それは正直、興味がある。

 あの朴念仁のようなカナがどんな詩を書くのだろう。


(今のカナちゃんだったら……)


 きっと、アヤネの事を書く。

 そう思う。

 そう思うと、胸の内側の知らない感情が、もっともっと、きゅうきゅうしてくる。


 ハルカは自分の胸に手をあてる。大きく育った胸なのに、その奥にある感覚は、本当に小さくて、つまむこともできなそうに感じられるから不思議だった。



 ※※※※※



 あくる日のことだ。

 朝方、軽音部の四名は、カナとアヤネの机の周囲で集まり、『噂』の話をコソコソとしていた。


「ねえ、やっぱ吹奏楽部、何かあったっぽいぜ」

 リサが声を潜めつつ、カナとハルカに報告を始めた。アヤネはリサと一緒に行動していたから、リサの仕入れた情報は共有している。


「何かって……?」

「速水先生の事を調べるつもりで、知り合いの吹奏楽部の人たちにそれとなく訊こうとしたんだけど、どいつもこいつも、速水先生のことになると急に口が閉じるんだよ」

「はい、まるで速水先生の話は、誰かに口止めされているような……そんな感じでした。とても、不自然で……」

 アヤネの言葉も添えられて、カナは「ふぅん」とだけ零した。表面上は、あまり興味を示さないような態度をしているが、カナの瞳の奥がきちんと知性の光を携え、得た情報から何かを考察している。


「やっぱり、速水先生に何かあったのかな?」

「でも、音楽の授業とかで速水先生を見ても、特に変わった感じはしなかったように思うけどなー」

 と言うリサだったが、音楽の授業など、週に一度あるくらいなので、言うほど速水先生を観察できているわけでもない。

 小西先生も、速水先生のことに関しては『言えない』と言った事から、口封じをしているのは、学校側なのかもしれない。

 生徒たちが知らないだけで、吹奏楽部で何らかの事件があり、隠蔽されている可能性があるのだ。


「そちらは、何かわかりましたか?」

 アヤネがカナに訊ねたが、カナは「いや、何も」と短く返した。

 それは事実で、カナは小西ユイから『噂』の話を仕入れようと動いたが、小西ユイのガードは固かった。


「あー、なんにしても何か問題があったらしいってのは、分かったなー。そのせいで、軽音部の顧問どころじゃないんだよきっと……はぁ」

 リサが重い溜息を吐き出して、宙ぶらりんになっている自分の部活が残念そうに肩を落とす。

「まぁまぁ、いまはわたし達にできる事をやっていようよー」

 ハルカがリサを励ます様に明るい声を出した。

「そだな、よし今日も部活練習頑張ろうぜ」

「ごめん、私とアヤネは今日練習行けない」

「えっ……」


 カナの言葉に、驚きの声をあげたのはハルカだった。

 リサも怪訝な顔をして、カナとアヤネを見比べる。


「二人でなんかするの?」

「ちょっと先生から頼まれごとをされちゃってさ。な、アヤネ……」

「あ、は、はい。そう、なんです」

 アヤネはそんな予定は思い至らなかったが、きっとカナがアヤネに伝えたい事……シェイドがらみの事があるのだろうと話を合わせた。

 そんな二人の様子に、リサとハルカは暫しぼんやりという表情で、様子見をしていた。

 何か不自然な様子だと、察したのかもしれない。


「そっか……。じゃあ、しょうがないね」

 そう言ったのはハルカだった。まだ何かを言おうとしたリサが発言するのを遮るように、ハルカは言った。

「実は、わたしも『詩』を考えるのがまだできなくて、時間が欲しいと思ってたんだ~。だから、リサちゃん、今日は部活おやすみしよう?」

「ま、まぁ……そうだな……。じゃ今日は部活なしにしよう」

 いかに部長とは言え、他三人から今日はお休みと言われたら多数決で従うしかない。

 リサはどうにも上手く動かない部活にじれったさを感じながら、仕方なく同意した。


 ハルカは、少しだけ考えた。

 昨日、カナがおしゃれの事を気にしていたのを。それに何やら小西先生のことも気になっていたらしい。

 幼馴染の心境の変化の原因――それを知りたくて、彼女もその日の放課後は、独りで動きたいと思っていた。


 ――放課後。

 アヤネとカナは、人の寄り付かない旧校舎裏のサクラの樹の下で二人、『調査』の報告を開始していた。


「で……アヤネ、リサと調査した内容……何か『アレ』に関して気になることはあった?」

 アレ、というのは説明するまでもなく、シェイドがらみの件に関してだろう。

 教室では話せないこともあっただろうと、カナは改めてアヤネに『噂』の調査結果を促した。


「おおむね、朝リサさんと話したことが全て、なんですが……」

 吹奏楽部と速水先生の謎、という点においては――。そんな風に、アヤネはワンクッション置いて口を開いた。


「実は……吹奏楽部とは無関係なところで耳にした『噂』があるんです」

「どんなの?」

「はい……よくある『おまじない』です。枕の下に好きな人の写真を置いておくと、その人の夢が見れるとか、そういう類のものなんですけど……」

 この『噂』がどれほどシェイドに関係するのか分からないから、アヤネは半信半疑という様子の表情で、自信なく語る。


「噂の名前は――『運命の人』。自分の将来の相手が分かる、というおまじないです」

 アヤネの言葉に、カナは手帳を取り出し、ページをパラパラとめくる。

 そしてそこに書かれた情報をアヤネに見せた。


 そこには、『運命の人』という題目でメモが記されていた。

 内容を簡単にまとめると、スマホのカメラで雨の日に自撮りする。その時、カメラ部分に丁度水滴が当たると、自分ではなく、運命の相手が画像に映るというのだ。

 雨水のせいでぼやけたカメラに映った自分が面白かったから広がったような他愛ない噂だろうとも思えた。


「カナさんも、知ってたんですね、あはは……すみません」

 自分の仕入れた情報がすでにカナも所持していたので、アヤネは自分の不甲斐なさに乾いた笑いを零す。


「この情報、どこから仕入れた?」

 カナがアヤネに強い眼光で訊ねてきた。その対応に、アヤネは笑いをひっこめた。


「え、えと、二年生の教室です。速水先生のクラス……。ちらりと聞こえてきて……」

「誰が話していたか顔は覚えてる?」

「はい、気にしろと言われていたので……名札も見てきました。二年二組の椎名さんと桃井さんです」

「今から当たってみるか」

 カナはそう言うと、すぐに動き出した。その行動力にアヤネが驚きを隠せない。だが、カナが本気で『噂』に巣くうシェイドを危険視しているのだと思うと、疑わしきは調べるという行動に、彼女が本気なのだとも分かる。

 アヤネはカナに続いて、二年生の教室に向かうのだった。

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