清楚なるユリの開花時期は六月

 アヤネが転校してきてから一週間が過ぎた。梅雨時に差し掛かろうという六月のある日のことだ。

 学校にも慣れてきたと思っていたアヤネは、カナから呼び出しを受けていた。早朝、授業のまえに旧校舎の裏に来てほしいと言われた。何事だろうと思いながらも、カナの様子から、おそらく『シェイド』に関する話をしてくれるのだろうと予想はできた。


「おはよ」

「おはようございます」


 旧校舎の裏は寂れていてまったく人気がなかった。どこか暗く、そして肌寒い。なんだか独りでいると、怖くなってきそうな場所だとアヤネは思った。

 不安げな様子で、そこまで行くと、カナが静かにたたずんでいた。カナはアヤネが来ると軽く手を挙げて朝の挨拶をした。


「そろそろ、きちんと話しとこうと思ってさ。シェイドの事とか……異能のこと」

「……はい」

 この一週間、気にならなかったと言えばウソになるが、アヤネはカナが語ってくれるまでは自分からは問いかけないようにしようと思っていた。

 聞いてしまうと、本格的にこの世界の裏側の秘密を知ることになるからだ。その覚悟がアヤネの中でまだ明確にできているとは言えなかった。


「そうだな……どこから話そうか……。シェイドって亡霊退治が私の役目だってのは言ったよね」

「はい……」

「アヤネはこないだ見たのが初めてだったから、驚いただろうけど、あんなに強いシェイドが現れるのは稀なことなんだ」

「そ、そうなんですか?」

「うん、私がこれまで一人でもやってこれたのは、相手にしていた奴らが大したことのない低級ばかりだったからなんだ。……でも、近頃あんな『チート』を使った質の悪いヤツらが増えてきてる。この街を中心にしてね」

「この街……、滝音町でですか?」


 アヤネは問いかけに、カナは「うん」と小さく頷いた。


「どうもおかしいんだよ。まるで何者かが故意にシェイドを呼び寄せ、力を与えているような感じがする」

「そんなこと、できるんですか? シェイドを呼び寄せて強くするなんて……」

「できるさ。やつらのエサは『話題の種』なんだ。噂や都市伝説、そういうのをエサに育つのがシェイドだ。つまり、シェイドの存在を知っている何者かが意図的にそう言った『話題の種』をばらまいて、悪霊を育てているかもしれないって思ってる」

 カナの推測に、アヤネは少し考えて、そして疑問が浮かんだ。


「……でも、シェイドの存在は秘密にされているんでしょう? なのに、誰かが知ってて……しかもそれを育ててるなんて……あり得るんですか?」

 シェイドが増えないようにきちんと記憶の除去までやっていたカナを見ていたからこそ、こんな現代に潜む闇を知っている者がいるなんて信じられなかった。


「……あり得るか、ないかで言うなら『あり得る』よ。シェイドに憑りつかれてしまった人間が、仲間を増やそうと話題の種を広めるために動く可能性はある」

「……じゃあ、この街のどこかに……シェイドに憑りつかれて、噂を広めている人がいる……?」

 もしそうだとしたら、かなり巧妙な仕業だと思った。噂を広めて仲間を増やすというのはかなり厄介なことだ。

 人は話題に事欠かない。ヒマさえあればニュース記事を漁り、何か身近で事件はないかと探る者も多くいる。


「……で、アヤネに憑りつこうとしたあのシェイドのことを考えると、かなりの強さ……つまり話題性を喰ったんだと思う。今回の場合、転入生の話題がそれになる」

「私の……噂?」

「そうだ。アヤネが初めてこの学校に来た時、簡単なテストなんかを受けて入学を決めたんだろ? その事を仕入れて噂にし、校内で吹聴したヤツがいるんじゃないかと思ってさ」

 カナのその言葉に、アヤネは目を丸くしてしまった。カナの言葉の意味するもの――つまりそれは――。


「まさか、この学校内に、その『犯人』がいると?」

「……可能性が大きいって思ってる。アヤネ、初めてこの学校に来た時、誰かに話しかけたりしなかった? 誰かから観察されていた、とか」

 カナの問いは鋭く、まるで刑事の尋問のようにも感じられた。

 鋭い追及に、アヤネは一瞬口をつぐんでしまうが、必死に初めてこの滝音高校にやって来た時のことを思い返す。

 あの日は、確か前の学校の制服を着て、空き部屋でテストを受けることになっていた。

 よその制服を着ていたから、誰が見てもこの学校の生徒ではないと分かるだろうし、そんな人物がテストを一人で受けていたら誰もが転校生だと推測するだろう。

 ちらりとでも姿を見られていたら噂は広がると考えると、アヤネには思い当たるような人物はすぐには浮かばなかった。


「分かりません……」

「……そうか。まぁ……まさかこんなことになるなんて思っていなかっただろうし、細かく覚えているはずもないか」

「……あの日は、本当に簡単なテストと、面接だけですぐに帰宅しました……午前中の話なんです。そんなに長くここにいたわけじゃないから、誰かに見られたとは思えないのですが」

 自分がテストを受けている間は生徒たちも授業中だったはずだ。

 あの日、出会った人物など片手で数えられるくらいしかいない。面接をしてくれたのだって、担任の小西先生――。


(小西先生――?)


 ――危ない事、しちゃだめよ――。


 不意に、担任教師の忠告がリフレインした。


 ――神谷カナさんと、どんな関係――?


 そんな風に聞かれた。


(もし、あれが『サグリ』だったとしたら?)


 アヤネは『犯人』の正体が担任である小西ユイの可能性がちらりと浮かんでしまった。確かに小西先生なら、転校生が来ることを校内で『噂』として流す事が容易い。

 ……しかし、それはあまりにも早計な推理だ。何も証拠がない。

 もしかしたら、校門から出ていく姿を、教室の窓からみていた生徒が、転校生かもしれないと思い、噂してしまった可能性だってある。


 暫し考え込んでいたアヤネだったが、結局カナには何も分からないと言うしかできなかった。


「ねえ、アヤネ。本当に、私の手伝いをしてくれるの? 今ならまだ引き返せるよ」

 アヤネの考え込む表情に、カナが静かに訊ねてきた。考え込むアヤネの顔を、この異常な事件に対する戸惑いだと感じてしまったのかもしれない。

 アヤネは、心配げな表情を浮かべるカナに、躊躇なく答えて見せた。


「はい。カナさんの力になれるなら、協力するつもりです。あの時言った言葉に、後悔も嘘もないです」

 それだけは本当だ。

 あの日カナが救ってくれなければ今の自分はない。

 シェイドから助けてくれたこともそうだが、『自分らしさ』という宝石の原石に気が付かせてくれたのは、他でもないカナなのだ。そんな彼女を独り戦わせたくはないと思っていた。

 不安や恐怖がないわけではないが、それ以上に大切なものがあるとアヤネは、自身の心の奥底にある熱いエネルギーを感じ取って、カナに協力を申し出る。


「そっか。ありがと……」

 ぽつりと消え入るような小声で、カナが恥ずかしそうにお礼を言う姿はなんだかギャップがあって可愛らしく思えた。普段人前で見せているカナは、ぶっきらぼうでめんどくさそうな表情が多い。そんな彼女の体温の上がってしまった表情はレアモノと言えるだろう。


「さっきも言ったけどこの街は、今異様な雰囲気に包まれているから、日ごろの生活の中で奇妙な事件だとか、噂話や都市伝説に気を付けてほしいんだ」

「はい……シェイドの温床になるからですね」

「ああ、それと噂の出所……誰がそう言った話題性を広げようとしているのか、掴めるのなら掴みたい」

「噂の調査……ですか……。なんだか探偵みたいですね」

 秘密の探偵クラブを作ったように、ちょっとだけワクワクとしてしまう。遊び半分の覚悟では危険が伴うだろうが、変に緊張し続けるよりはマシだろう。それだけ気持ちの余裕があるということなのだから。


「でも人って、どうして話題を求めるんでしょうね」

「承認欲求を満たすため、人は会話を求めるから、できるだけ話題の幅を広めようとするのさ。まぁ、ようするに、ヒマなんだよどいつもこいつも。退屈な毎日にちょっとした刺激が欲しくて、変わり種の話題に食いつくんだ」

 そんな事を云うカナに、アヤネは押し黙る。確かにその通りだと思った。そしてそれは自分にも当てはまるふしがある。

 耳の痛い話というのはこの事だ。

 少しばかり話題を変えたくて、アヤネは気になっていることをそのまま口に出していた。

「カナさんって、こんなことをいつから続けているんですか?」

「……えっと、……六歳くらいから、かな」

「ろ、ろくさい!?」


 流石に大きな声を出して驚くアヤネだった。六歳というと、小学校に上がったか上がってないかという年齢じゃないか。そんな幼い頃からこんな危険な事を続けていたというのはどうにも驚愕してしまう。


「チカラに目覚めるのは、子供のほうが多いんだ。言ったろ『自分らしさ』がエネルギーになるんだって。人は成長するにつれて『自分らしさ』をさび付かせていく。だから覚醒するのは大抵小さな子供ばかりなんだよ」

 カナ自身がそうだったのかもしれないが、カナの説明は実に納得のいく話だった。確かに子供の頃ならば、誰もが『自分らしく』生きているからだ。


「まぁそれでも普通はこんな異能には目覚めたりはしない。大抵、きっかけはシェイド事件に巻き込まれた産物さ」

「そ、それで私も……?」

「ああ、シェイドが人の中に憑りつくとき、精神のカギを開いて中に入り込んでくる。そのカギは、『自分らしさ』を拘束する役割もあるんだ。だから、普通は『自分らしさ』がチカラとなって顕現することはないんだけど……」

 シェイドに憑りつかれた場合はそのカギが開錠されるために、チカラを顕現しやすくなってしまうという事らしい。

 という事は、カナも以前、シェイドに襲われてチカラに目覚めたのかもしれない。

 だが、その時の事を問うような事はアヤネにはできなかった。

 なぜなら、自分だって、先日のあのシェイド事件で取り憑かれた時の事を思い出したくないからだ。気持ち悪い男の欲望がどろりと注ぎ込んでくるようなあの感覚は、ぞっとするほどだ。できることなら記憶から抹消したいと考えるものだったから、アヤネはカナにそれ以上は問う事をしなかった。おそらく、六歳のころ、シェイドになんらかの襲撃を受けたのだろう。それだけ分かっていれば詳細など聞く必要はない。


「他に何か聞いておきたいこと、ある? なんでも応えるよ」

 カナがそう言ってくれるが、アヤネは現状この場で訊ねたいことは思い浮かばなかった。もっと色々と聞かなくてはならないようにも思うが、なんというか出てくる質問があまりにもリアリティがなく、どう聞いたらいいのかも分からないのだ。


「今は、特にないです」

「そっか」

「はい……」


 朝の冷たい冷気を含んだ空気が二人の間をかけて行った。ふいに沈黙が発生し、アヤネとカナは二人向き合ったまま暫くぎこちない間を感じていた。


「え、えっと……それじゃ……教室に戻りましょうか」

 アヤネがなんだか会話が急に途絶えてしまった不自然さを誤魔化すように教室へ行こうと促したが、カナはそれに回答せず、じっとアヤネの顔を見つめ続けて押し黙っていた。


「か、カナさん?」

「ね、ねえ」

「えっ、はい……?」


 カナが緊張した様子でアヤネに声をかけた。なんだか表情も硬くそして赤い。見ようによっては怒っているようにも見えてしまうカナの表情に、アヤネはどういう態度でいればいいか分からず、次の言葉を待つしかなかった。

 そのまま、またちょっとの間沈黙が続いた。

 何か言いにくい事を訊ねようとしているらしい、というのは分かる。でも何を訊こうとして硬くなっているのか、アヤネには分からない。


「アヤネさ……、う、歌、上手かったよ……っ」

「え……?」

「うた……、カラオケ、歌……上手で……」

「……え? えっ、あ、ありがとうございますっっ……」

 なぜこのタイミングでいきなり、前に行ったカラオケの話題をふられたのか分からないが、急に自分の歌声を褒められて、今度はアヤネのほうが恥ずかしくなってしまった。


「か、か、か、かわいい、と思う」

「ひゃっ!? か、かわいいですかねっ!? ふふ、ふ、普通だと思いますよっっ」

 なんだ、なんでこんな事をいきなりこのタイミングで告げてくるんだ。

 アヤネはやっぱり、この神谷カナという少女が掴み切れないと困惑しながら、褒められることに不慣れな少女は真っ赤になってしどろもどろに返事をする。


「あ、アヤネなら……ボーカル、できると思う……」

「あ、ありがと、ございます……」

 テレテレと二人の少女が校舎裏で密談するその光景は、まったく知らない者が見ていたら、恋の告白の現場のようにも見えてしまうかもしれない。


 軽音部設立が決定したあの日、カラオケでバンド名が決まった後、アヤネはカラオケのリクエストの嵐に襲われることになったのだ。

 リサが次々とこれを歌ってあれを歌ってと曲を入れてはマイクを手渡して来た。

 それに逐一答えたアヤネではあったが、上手に歌いきれたのかどうかは本人は分からなかった。

 リサもハルカもカラオケで、「いいじゃん!」とは言ってくれたが社交辞令的なものだろうとあんまりきちんと受け止めなかった。

 カラオケではカナは何も言わないまま、ずっとアヤネの歌を聴いていただけだったのに、このタイミングで言われると、無性に恥ずかしくなってしまうので、勘弁してもらいたいところだ。


「ね、ねえ……っ」

「は、はい……っ」

「…………え、えと……」

「は……はい……」


 しゅっしゅっと蒸気機関車のように湯気でもでそうな少女二人、赤い顔でうつむき気味に向かい合っていた。

 どうにも不器用な思春期の一幕と言ったじれったさが、変な空間を作り上げるようだった。


「わ、私……洋菓子より和菓子が好きっ……」

「えっ、わ、私もです……」

「そ、そうなんだっ……はは……」

 今度はいきなり好物の話題だった。アヤネはどういうことなのだとカナの言動に混乱していくが、カナはまるで好物が一緒だったことを喜ぶみたいに、ぱっと瞳を輝かせた。


「い、いいですよね、和菓子……」

「う、うん」


 ……その後、暫く二人の少女は動かなかった。チャイムが鳴るまで二人向き合って立ち尽くし、予鈴が鳴ったことでやっと教室に戻ろうかと一緒にその場を立ち退くことになった。

 どうにも、不器用な――二人の距離感が、もつれた足取りにも現れていた――。

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