敵の名は陰(シェイド)

「なんで……私……なの?」

 不意に出現したもやは、姿をアヤネそっくりに変貌させ、生気の通わぬ瞳で、虚空を見つめているようだった。

 『異世界転生者』と言われたそれは、どういうわけか、アヤネの姿を真似たらしい。


「奴らは、この世界とは違う世界の住人の魂だ。異世界の者が、自分たちの世界で生きる事を放棄して、異世界転生してくる。性根の腐った醜い存在だ」

 この状況に一人だけついていけているらしいカナが、出現した謎のドッペルゲンガーに対し、軽蔑するような視線を突き刺した。


「そ、それがなんで、私の姿になるんですかっ……?」

 訳の分からない状況だ。できることなら理解すらしたくない異常事態だったが、自分と同じ姿に変化したのであれば、そうも言ってられない。アヤネは不気味な『自分自身』と対峙したまま、カナに訊く。


「『転校生』が来る事は、『話題性』があった。奴らは、そう言った『話題』に取りつくんだ。噂や都市伝説、陰口……。今日、この学校では、『転校生が来る』という話題で持ち切りだったんだ。だから奴は、『転校生』になったんだ」

「話題性……? 話のタネ……?」

「噂をすれば……影……って事……?」

 人の話題に、魂が憑りつくなど、考えられない話しだったが、理解不能な状況はすぐ目の前で展開されている。


「ここ数日、ずっとこの学校に渦巻いている『陰』を調査していた。転校生が来るという話題の種が生み出されて、膨らんでいたからだ」

「もしかして、カナちゃんが、遅刻してたのって……」

 アヤネがこの滝音高校に通うため、一週間前に一度この学校に足を運んでいた。簡単なテストや面談を受けたのだが、その時から『転校生』の話題が膨らみ始めていたのだ。『転生者』はそれに憑りついたらしい。


「よ、良く分かんないけど、要するに亡霊みたいなのか? つーか、カナがなんでそんなに詳しいんだよ!!」

 リサが焦った声で早口にまくしたてた。だが、ゆっくりと解説できる状況ではなかった。

 アヤネのドッペルゲンガーが、ゆらりと動いたのだ。


「来るッ、下がれみんな!」

 ぶわぁっと風が巻き起こった。カーテンが暴れ、四人のスカートをはためかせる。室内であるはずなのに、まるで、気圧が違う穴でも空間に空いたかのように、奇妙なドッペルゲンガーに向けて風が吹き込んでいくのだ。

 カナが叫び、前に出るが、三名はどうしていいのか見当がつかず、その場から動けなかった。

 ただ、異常なこの音楽室で、不気味な存在の『陰』と見知った学友のはずの不思議な少女から目が離せなかった。


 『陰のアヤネ』が右手をひゅっと素早く持ち上げた。まるで、鋭い日本刀で逆袈裟に振り上げるようだった。

 すると、吸い寄せられた空気が切り裂かれ、鎌鼬のように、襲い掛かって来た。正面に躍り出たカナは、後ろの三名を守るように立ちふさがり、右手を広げて気合を吐き出す。


「破ァッ!」


 烈しい気合の一喝と共に、なんと右手から火球が出現した。そして、風の刃にぶつかる直前ですさまじい爆発を起こして、鎌鼬をかき消して見せたのである。

 ドガン、と凄まじい轟音がし、肌に感じる熱は、確かにそれが現実なのだと、後方の三名に実感させることもできた。


「さっさと焼却してやる」

「――!」


 無表情のドッペルゲンガーは、そこで驚いたような挙動をしてみせた。表情は変わらなかったが、ピクリと肩が震え、どこを見ているか分からない瞳が、明確に火球を生み出した少女、カナを見ていたのが分かる。

 カナは、構えていた右手をもう一度引き戻し、呼吸を整えると、再度『チカラ』を右手に集めるために念を集中させる。

 ドッペルゲンガーが、カナを敵と見なし、棒立ちに近い体勢だったのを、前傾姿勢にし、身構えた。ぐねり、と人体の骨格でできない歪な身体の折り曲げ方をしたのがおぞましかった。

 そして、そのまま飛び掛かって来た――!


「破ッ」

 ゴウッ――!

 火炎の舌がカナの右手を突き出すとともに伸びあがった。もはやそれは、火炎放射器のようであり、射程にして二メートルの直進を焼き払ったのだ。

「うわっ」

 その火炎の凄まじさに、リサたちは悲鳴を上げた。この教室内でそんな火炎を噴き上げてしまえば火事になると思った。だが、その火炎自体が別の生き物のように、的確に敵対者のみに燃え移っていく。


 ゴァァッ!


 火炎の渦がドッペルゲンガーを取り囲んだように見えた。その炎の熱で苦しむように悶えながら、ドッペルゲンガーがその形を崩していく。

 次第にアヤネの姿が溶けて崩れ、霧のようになって飛び散ったのだ。


「や、やった!」


 まるで、特撮の戦闘場面のようにも見えたその一連の動きは、奇妙な魂を打ち払ったかのように見えた。ハルカは奇妙な亡霊退治が上手くいったと喜びの声を上げた。


「いやッ……、ダメだ、逃げた!」

 ゴウッ、と舞い上がった火炎の渦は、敵の巻き起こした防衛用の竜巻だったらしい。それに紛れて、妖しい霧は、姿を隠しただけのようだった。

 ちっ、と舌打ちして、カナが周囲を警戒したが、もうこの音楽室に『陰』の気配がないことに、まんまと逃げられたと分かり悔し気に眉をしかめる。


「なんなんだよ……これ。説明しろよ、カナ!?」

「……さっき言った通りだよ。あいつ等は、異世界転生者の魂だ。私は『陰』――シェイドって呼んでるけど」

「シェイド……?」

「そうだ。あいつは、『転校生』になるつもりだったから、アヤネが邪魔だったんだ。だから、アヤネを殺そうとしていた」

「そ、そんなっ――」

 訳も分からないままに、邪魔だから殺されるなんて認めたくはない話だ。アヤネは、あまりにも理不尽な状況に怒りよりも困惑のほうが強く、怯えるようにヒステリックな悲鳴を上げそうになる。

「……逃がしたが……まだ、この学校に潜んでいる。私があんたを守るから、こわがんなくていいよ」

 カナは何でもないように言うが、そもそも、カナ自体がまた未知数になってしまった。あの火球を生み出した事と、事情を知っている事といい、説明を求めるのは自然な流れだった。


「ね、ねえ……カナ、ちゃん……だよね?」

 小さいころからずっと一緒だった友人、ハルカが確認するようにカナに問いただす。

 カナは、そんなハルカを少しだけじっと見て、きゅっと口元を引き締めた。


「…………そうだよ、私は神谷カナ」

 そう言ったカナの表情は、冷たく張り付いているような仮面の顔をしていた。ハルカはそんなカナの事をじっと見て、そして言った。


「先週貸した五百円、覚えてる?」

「……え? あ、うん……。覚えてる……」

「あと三日以内に返さないと、五百五十円にしてもらうよ」

「……トイチかよ」

 カナが参ったように呆れた顔で、めんどくさい様子の声を出したことで、ハルカはにっこりと笑った。自分の知っているカナだと確信したのだ。

「じゃあ、カナちゃん。この事をきちんと説明してくれたら、五百円のままでいいよ」

「あ、チャラにしてくれるわけじゃないんだ……」


 ハルカのふんわりとしたいつもの雰囲気に当てられてか、場の空気は少しだけ和らいだ。そして、音楽室内に敵がいない事を確認したカナは、気を落ち着けて、三人に向き合った。


「私は……その……。『陰陽師』みたいな事をやってるんだ」

「あ、知ってます……。安倍晴明、ですよね」

「うん、昔からあった退魔師とかエクソシストと一緒。今風に言うと……霊能探偵とか、かな」

「そ、そういうの、ホントにあるんだ?」

 恥ずかしがるように、隠し事を打ち明けるカナに、三人は目をまん丸にして「ほえー」と言ってしまうくらい目からうろこだった。


「……基本的にはみんな眉唾モノだっていうから、私もあまり人前ではそう言う事を言わない。でも……見た通り、陰に紛れて世界を脅かすモノはいるんだ。そういう奴らに対処するのが私みたいな能力者だよ」

「あ、あんな得体のしれないバケモノがゴロゴロいんの?」

 ぞっとする話に、リサはひきつった顔をしてしまう。実際に殺されかけたのだから、それも仕方ない話だが。

「……まぁね」

「だったら、もっと世の中で騒がれててもいいのに……」


 ぽつりとつぶやくように零したアヤネの言葉に、カナは反応を示さなかったが、内心は頷いていた。

 そう言った異常な状況は、『無かったこと』にされるからだ。だから、世には出回らない。だが、みんなが知らないだけで、実際に今の世の中、裏の世界で生まれては消えていく事件は無数にある。

 実際、この事件に巻き込まれてしまった三人の記憶も、あとで修正することになるだろう。

 こんな異常な事件は起こらなかった、と記憶の修正までやるのが、カナの『仕事』なのだ。事実、カナは過去に、友人の記憶を改ざんしているのだから――。


「と、ところでもう音楽室からは出ることが出来るんでしょうか……?」

「あっ、そう言えば……」

 カナが扉まで歩いて行き、調べたところ、ドアは開いた。


「ほっ、これで帰れる……」

 一安心、と胸をなでおろしたリサ達だったが、カナは首を横に振った。


「いいや、音楽室からは出ることは出来るが……。おそらく学校からは出ることが出来ないだろうな」

「えぇぇえぇっ!?」

 まだこの状況は続くのかと、三人は今度こそ悲鳴を上げた。

 しかし、先ほどの『陰』を倒しそこね、逃がしただけという話だったら、それも頷ける。

 ヤツは、この学校のどこかに潜伏してアヤネの命を奪い、『転校生』に成り代わろうとしているのだから。


「ヤツを捜して倒さないと……結界から抜け出せない」

 どうやら、カナが言うには、学校全体が、あのドッペルゲンガーの張った結界に落とし込まれており、パラレルワールドのようなところにはまり込んでいるような状態らしいのだ。

 先ほど、音楽室の中で暴れたが、教室に被害が出ないのは、そう言った事情のためだと語った。

 つまり、アヤネ達がいる今の場所は、普段の学校のようでもありながら、まったく別の空間なのだ。


「ど、どうしたらいいんですか……」

「私があいつを見付けて倒す。……悪いけど、みんなも一緒についてきてもらう……。離れているほうが危険だから」

「えぇっ……!? じゃ、じゃあまたあの化物と対面しなくちゃならんのかぁー!?」

 リサが頭を抱えて非難の声を上げるが、カナの言葉通り、カナから離れているほうが、危険だろう。相手はどこから襲ってくるのか分からないから、できる限り、戦える力のあるカナの傍から離れない事が重要だった。


「なんか……とんでもないことになっちゃったねぇ」

「ハルカ……、お前が言うと、気が抜ける……」

 ふわふわとしたしゃべり方をするハルカのため、緊迫感が薄れてしまい、リサは「はは」と軽く笑ってしまった。緊張し続けているより、マシだろうと、リサはそのハルカの言葉に少しだけ寄りかかる様にして助けられていた。

 アヤネは自分の命が狙われているという事を聞かされたため、ハルカやリサほどには緊張はほぐれなかった。青ざめた顔をして、転校初日になんでこんなことになったんだろうと、グルグル考えるばかりだ。


「アヤネ」

「は、はいっ……」

「私が守るよ。安心して」

 怯えているアヤネに、そっと手を差し出してきたカナに、アヤネはその手をすぐに取れず、少し固まっていた。

 カナのことも、今日知り合ったばかりの人でしかないし、アヤネにとっては、まだここを母校と呼べるほどの実感すらなかった。完全に自分は、この空間でアウェーであるという気持ちしかなかったからだ。


「どうして……カナさんは……、私を助けるんですか?」

「どうしてって、言われても……それが私の役割だし。なにより、奴ら『陰』が気に入らないんだよ」

「気に、いらない……?」

 カナの言葉の後半が鋭くなったのを拾って、アヤネは思わず踏み込んだ。カナが戦う理由が知りたかったのだ。普通、うら若い乙女が、命のやり取りをするような世界に身を投じたりはしないだろう。だが、カナは陰陽師をしているというのだから、相応の理由があるのだろうと思った。

 やりたいものや、守りたいもの、使命感や責任感に対して、薄い物しかつかめなかったアヤネは、カナの動機に、興味があったのだ。


「あいつらは、自分たちの世界で、生まれて生きていくという責任感を放り出して、甘ったれた異世界に居場所を捜している連中なんだ。自分を取り巻く環境が気に入らないなら、変えようと努力してもがくのが人生だと私は思う。でもそれをやろうともせずに、楽園ばかりを追いかけて、堕落している魂が気に入らないんだ」


 ダルそうな様子だったカナからは考えられない、『熱』のこもった言葉に、アヤネは耳が痛くなった。

 『異世界転生者』の魂は、自分に似ていると思ったからだ。

 苦境に立たされた時、そこでもがいて状況を打破するよりも、違うどこかに逃げてしまいたいと考える自分がいるのを自覚している。

 そういう人間が気に入らないというカナは、アヤネの事も好きにならないだろう、と思えた。


「……カナさんは……強いんですね」

 薄く笑ったアヤネの言葉には、嫌味な色は滲んでいなかったが、それはやはり裏を返せば自分は情けない人間なので、という免罪符を欲しがるもののようにも聞き取れる。

 つくづく、アヤネは自分の心の弱さが情けないと思えた。


「……別に。私は嫌いな奴には、嫌いだから消えてって言ってるだけの乱暴者だよ。我儘なだけさ」

 アヤネは、そういうカナが難しそうな顔をしたので、やっぱり差し出された手を受け取れないままだった。

 そんな様子を見ていたハルカは、二人の手を取って、繋ぎ合わさせた。


「あのね、助けてあげるよって言うのと、助けてって言うの、どっちも勇気がいるんだよ」

 ニコニコ笑っているハルカは、二人の手を取り合い、つなぎ合わせてうんうんと頷いた。


「勇気……」

 アヤネは、つながされた手が、先ほど火炎を噴き上げた手とは思えないほどに、細く華奢な事を知った。


 ――もし、本当は、カナも怖かったのだとしたら――。

 そう思うと、アヤネは、その手を強く握り返せるようにも思えた――。

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