お約束の『異世界転生』
時刻はもう十八時、下校時間がとっくにやってきている時間帯だった。
アヤネ、リサ、ハルカ、カナの四名は、吹奏楽部の練習後、音楽室を使用させてもらうために、この時間まで待っていたのである。
人数はそろったが、まだ正式な部活ではない軽音部らの演奏できる場所はこの学校にはまだない。
だから、吹奏楽部の練習が終わった後、こっそりと音楽室に入り込み、練習をしているのだ。
「じゃあ、まずはアヤネの歓迎を兼ねて、アタシらの演奏を聴いてもらおうじゃないか」
リサが部長らしくそう言って、設置されたドラムセットで構えて見せた。
左正面にギターのカナ、右正面にはベースのハルカがそれぞれ楽器を準備して、準備は完了という様子だった。
アヤネはそんな三名を正面の椅子に一人腰かけて眺めている状態だった。
正直なところ、こうやってこの三名を見てもあの中に自分が加わるのは場違いにしか思えない。
どうやって断ろうと考えながらも、基本的には「NO」と言えない性格のアヤネは、微妙な表情を浮かべたまま、三人を見つめるばかりだ。
「じゃ、いくよ」
リサが二人に告げると、スティックをカチカチ鳴らして拍子を刻む――。
「ワン、ツー、スリー」
演奏が始まった。いつかどこかで耳にした、おそらく洋楽のミュージックが奏でられる。
おそらくコピーで練習曲にしていたのだろうその曲は、アヤネも知っていた曲だった。だからこそ、その曲が自然に耳に入って来たし、演奏としてのレベルなども判断しやすかった。
結果からいうと、この三名の演奏は、『並み』という印象だったのだ。
下手糞ではないが、特別上手いという印象も得ることが出来なかったアヤネは、演奏終了後、軽い拍手をするだけで、終わった。
「ど、どうだった?」
「ええと……良かったと、思います」
そんな曖昧な感想しか言えないのも、もどかしいが、実際のところ、感激して立ち上がるほどのものではなかったし、かといって聞いていられないというほどには酷くもない……。
ぶっちゃけて云うと、一番反応に困るタイプだった。
その反応に、リサは落胆の表情を浮かべた。
「……いや、その顔見たら分かる。まぁ、特別言う事ないってレベルだよな」
「……そ、そんなことは……」
と、否定する素振りは見せるが、図星であったし、忌憚なき意見を望んでいるのならば、リサの言葉には素直に頷くべきだったかもしれない。
しかしながら、アヤネはあまり強く意見を述べるのは苦手なタイプだった。人を不快にさせるような事は基本的に避けるし、正直に言うよりも、オブラートに包み、波風を立てない。それが彼女の人生観だった。処世術とも言える。
「でもな、ハルカもカナも、音楽初めて実はまだ一か月程度なんだぜ」
「……え?」
「わたし達、今までギターやベースなんて持ったこともなかったんだー。でも、リサちゃんに教えてもらいながらこうやって毎日練習してたの」
一か月……。
まるで楽器に触れた事がなかった二人が、聞いていられるレベルの演奏を行えるようになっているという事実は、アヤネの目を丸くさせた。
「アヤネもさ、楽器は出来ないって言ってたじゃん。でも、そんなのみんな当たり前だと思うだよ。最初はみんなできないって」
「…………」
「でも、ちゃんと練習したら、ほら、このくらいはできるんだよ」
「だからね、アヤネちゃんも、そんなに固くならなくてもいいよー?」
「…………そ、そう、ですね」
波風を立てないようにと過ごして来たのは、自分に自信がないからだとアヤネは考えている。
いつも、人に合わせて自分を貫くようなことはしないのだ。それは自分の中に確固たるものがないからだと知っている。
そして、そんな自分が少しばかり、好きじゃないことも……。
出来る事なら、これだけは胸を張って好きだと言えるような趣味や特技が欲しい。
でも、そういったものを手にできない。いや、手に取ろうときちんとつかみかかった事がなかったのだ。
いつも、何かに触れた時、どこか一歩引いてしまう自分がいる。そういう自分が、これを続けてもどうせ半端に終わってしまうと悟る様に諦める事が多かった。
――夢中になるものが、欲しかった。
空っぽの自分の中に満ちていく、確かなものが欲しかったのは事実だ。
「ほんとに、バンドとか苦手なら無理強いはしないけどさ」
リサはからっとした表情で言った。なんだか、その顔は、素直に真っすぐと見ていられるもので、アヤネはまじまじとリサを見つめてしまった。
「別に嫌じゃないなら、一緒にしない?」
「たのしいよぉー!」
リサとハルカは、明るく真っすぐな瞳で、笑顔を見せてくれた。少し気になる少女、カナの様子を確認するように、ちらりとアヤネは見てみたが、カナはやれやれという態度で頭をかいていた。
「私は、したくないって言ったのに、無理やり入れられてるんだけど」
言葉はぶっきらぼうなものだったが、カナの演奏していた姿を見ていたアヤネは、それが言葉のままの意味だけじゃないんだと察した。
きっと、カナも、この部に……いやこの仲間に惹かれているからこそ、いまここに立っているのかもしれない。
「私なんかが、入ってもいいんでしょうか……」
「いや、いやいやいやいや」
おずおずという態度のアヤネに、リサは手をフリフリしながら、真面目な顔をして詰め寄ると、一呼吸してから言った。
「入ってもいいか、じゃない。入ってくれないと困るんだ」
「…………」
部活の存続にかかわることだから、人数が必要だと言っていた。だから、頭数をそろえる意味でも『入ってくれないと困る』という事になるのだろうが、アヤネにとっては、その言葉は気持ちを動かすには十分すぎる言葉になった。
困っているなら、こんな自分でも役に立てるなら――。それが今の彼女の行動理念に合致するのだ。
だから、結局、アヤネは軽音部への入部を承諾することにしたのだ。
「じゃあ、私、軽音部に入ります」
「ほんと! ありがとうっ!! ありがとうー!!」
「歓迎するよ、アヤネちゃん~!」
「……まぁ。よろしく」
こうして、四人の少女はバンドを結成する事となった。
これから、部活に頑張る青春が始まるのだ――なんだかそれは充実した毎日が過ごせそうじゃないか。
仲間だって、できた。アヤネの抱いていた不安は、この部活仲間が、取り除いてくれる事だろう。
ここから、四人の高校生活が紡がれていくのだ――。それはきっと、楽しい青春の一ページになる――。
その時は、そんななんでもない日常の幸せのひとかけらを抱いたアヤネだった。
――が。
「もうすっかり遅くなっちゃったね。外、真っ暗」
「よし、さっさと撤収するか!」
一同は身支度を整えて帰宅の準備をする。そして、音楽室から出ようとした時だ。
ガチン。
「あれ?」
ガチン、ガチン。
リサがドアを開こうとノブに手をかけて引くのだが、ドアはびくともせずに動かなかった。
「……開かない」
「え? カギ掛けられちゃった?」
リサが力いっぱいドアを動かそうとしているが、まったく動かないドアに怪訝な反応をしたのはハルカだった。だが自分で言って、それはオカシイとも思っていた。
カギを外から掛けられたとしても、こちらは内側にいるのだから、カギを開けることができるのだ。
リサはカギを確かめてみたが、カギは掛かっていないのである。
「建付けが悪いんですか?」
アヤネが少しだけ不安げな様子で声を出した。
「…………リサ、ドアから離れてこっちにこい」
透き通った鋭い声が響いた。それがカナの声だと一瞬誰もが分からなかった。気だるそうな様子のカナの声色ではなく、硬質の剣のようなそれに切り替わっていたからだ。今朝、アヤネに詰め寄った時のものだと、アヤネはハッとした。
「な、なんだよ?」
友人の異様な雰囲気に、リサは少し半笑いを浮かべながらも、言われたことにしたがってドアから身を引いた。
状況の不自然さは、四人全員が肌で感じていた。
――悪寒が走る、というのはこの事だろうと思った。
何か、ヤバイ。
そんな感覚が纏わりついている感じだった。異常事態に陥り始めているのだと、本能的に警告している。だがまだ理性が、それを認めようとしていないような感覚だった。
ぱちんっ。
「きゃあっ!?」
アヤネは思わず悲鳴を上げてしまった。急に電気が消えてしまい、周囲が闇に閉ざされたからだ。
「て、停電? なんで、いきなり」
ハルカも流石に緊迫した声を出し、身を固めていた。
「みんな、動くな。できるだけ私の傍にいろ」
緊迫した空気のなか、凛々しく声をかけるカナは、闇の中、何かを警戒している様子だった。
あまりに真っ暗なので、光を求めて、リサはスマホを取り出して、画面の明かりを利用しようとした。画面を立ち上げると、ぼんやりした頼りない明かりが浮かび上がり、四人を弱々しく照らす。
「……と、とりあえずスマホの明かりで手探りに……あれ……?」
「こ、今度はなんですかっ?」
またもリサが疑問の声をあげたことに、アヤネは上ずった声で訊ねた。正直なところ、アヤネはこういったシチュエーションが苦手なタイプで、ホラーだとか心霊ものとかには人一倍怖がりであった。
「なんで? 圏外になってる」
「えっ!? ……ほんとだ、わたしのも……圏外」
スマホの画面には圏外を示す表示が浮かんでいて、通話もネットも利用できない状態になっている。普段なこの学校には電波は届くし、校内WiFiだってある。なのに、完全に圏外となっているのだ。こんなことはまずありえない。
「と、とにかくでないと……」
もうこんなところにいるのが我慢できないアヤネは、音楽室から出ようと促した時だ。
「ヤバイ……。結界だ……! やっぱり、お前がトリガーだった!」
カナがアヤネの手を捕らえ、厳しい声で言った。どういうことなのかアヤネは分からないが、今朝の事を思い返す。
(――運がないね――)
あの時、そんな風に言われた。
「ど、どういう、ことですか」
強張った表情で手を掴むカナに、アヤネは逃げ出したくて、その手を振り払いたくなるほどだった。だが、力強く握られた手首は、逃がさないと言わんばかりの強さをギリリと痛みを伝えてくる。
「『転校生』ってのは、話題の種だ……!」
「話題の、タネ……?」
「そうだ、種は受精して芽吹いていく……。奴らはその種を利用してやってくるんだ……!」
「や、やつら……?」
ゴーン、ギーン、ガーン、ギーン……。ガーン、ゴーン、ギーン、ギーン……。
「ひっ……、何!? チャイムっ……?」
校内に響く不気味な音色は、チャイムのようだったが、音階は外れ濁ったノイズまみれの音だった。
音が空気を振動させ、波紋をつくるような重低音で、四人の鼓膜を刺激する。
「な、なにあれッ!?」
ハルカが驚愕の声で叫んだ。暗闇の中、音楽室の肖像画たちが、一斉に笑みを浮かべて、こちらを見ていたのだ。
ぞっとするような悪魔の笑みに、アヤネは気が動転しそうになるのを必死に堪えて、ミステリアスな少女、何やら事情を知っていそうなカナの傍で震えた。
ガタガタと肖像画の額縁が震え、そこから白いドライアイスのような気体が吹き出てくると、それらが開かずのドアの前で集まり始めていく。
やがて、霧のような気体は一つのシルエットを形作っていく。それは人の姿をしていた。
「なんだよこれ……!」
「種から芽吹き、こちらの世界に『転生』してきた異世界の存在……『異世界転生者』だ」
白いもやは、人の姿を作り上げると、その姿は不気味に蛍光灯のような光を放つ、人影となった。
その姿に、誰よりも驚愕したのは、アヤネだった。
「うそ……な、なんでっ!?」
不気味な発光をする人影の顔立ちは、昨夜鏡の前で何度も練習で見た顔だった。
――そう、謎の『異世界転生者』は、アヤネそっくりのドッペルゲンガーとなったのだ――。
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