5.初デート

 翌日の日曜日。

 朝から気もそぞろなゆかりは、いつの間に起きて顔を洗ったのか……それどころか、朝食を食べたのかもわからないような状態だった。

 それに引き換え、あおいの方は落ち着いたものだ。立場を入れ替えたとは言え、こういう部分は、やはり元の性格などに左右されるのだろうか?


 「ふむ。葵、今日は紫くんとデートだそうだな?」

 「なんですか、お…父さん、やぶから棒に」

 朝食の席で、父からそのことを聞かれても、本物のように狼狽えたりしないあたりに、その個性がよく現れている。

 「フッ……ひとり息子が、許婚と初デートに出かけようと言うのだ。男親として、多少は気になっても致し方あるまい」

 もっとも、これまでの父・馨なら、このテのことに口を挟むことはなかったろう。やはり、妻の回復が当主の精神的な余裕につながっているのだろう。

 「相手があの紫くんだから、余分な心配する必要はないとは思うが……お前もまだ16歳だ。

 初めての逢引に浮かれて、いかがわしい所に行ったりはするなよ?」

 「しませんよ! ぼくを何だと思ってるんですか!?」

 「ははは、まぁ、お前にそんな度胸はないだろうがな。とは言え、やはり男として彼女をキチンとエスコートしてあげるんだぞ」

 「ええ、それはそのつもりですけど……そう言えば、お父さんとお母さんの場合はどうだったんですか?」

 「ふむ、それはだな……」


 和気藹藹と「父子の会話」(本当は伯父と姪なのだが)を繰り広げているふたりとは対照的に、ゆかりの方は「自室」でタンスから出した数着の「今日のお出かけ着」候補を前に、うんうん唸っていた。


 ──コンコン!


 「どうしたの紫さん、とっくに朝ご飯出来てるんだけど……もしかして体調でも悪い?」

 ドア越しにメイド長の晴香の声が聞こえてくる。どうやら、やはり朝食を食べるのも忘れていたらしい。

 「はるかさぁ~ん、たすけてぇー!」

 これ幸いと上司を部屋に招き入れて泣きつくゆかり。

 晴香の方は、「やっぱり病気!?」と一瞬焦ったものの、ゆかりの「お願い」──デートに着て行く服に迷っているという言葉を聞いて、ガックリと肩を落とす。

 「──普段はしっかりしてるのに……紫さんて、意外に恋愛事に免疫がないと言うか、奥手なのね」

 「うぅ、でもでも初デートだし……!」

 上目使いの涙目で、抗議するように見つめる「彼女」の様子は、確かに本来の紫にはない凶悪な可愛らしさではあった。


 「(何着てても、その目つきでどんな男もイチコロだと思うけど)はいはい、わかったわかった。あとで相談に乗ってあげるから、まずはご飯食べちゃいましょ」

 ちょっと呆れながらも、微笑ましさを感じた晴香は、朝食後にしばし時間を作ってゆかりの服選びにつきあってくれた。

 それだけでなく、普段の紫がしないちょっと気合いの入ったメイクまでゆかりの顔に施してくれたのは、嬉しい誤算だった。

 「うわぁ……これが私? 魔法みたい」

 鏡の中に映る自分の笑顔に思わず見とれるゆかり。

 「アハ、元々の素材がいいからね。まぁ、紫さんは若いから、まだお化粧に頼る必要はないでしょうけど、殿方にたまに違う面を見せるのも女の甲斐性ってヤツよ」

 そう言いながら、晴香も自分の成果に満足そうだ。


 と、その時、部屋の外から、あおいの声がした。

 「ゆか姉ー、そろそろ行かない?」 

 「え、やだ、もうそんな時間? うん、今行くから、あおい君は玄関で待っててくれるかな?」

 「オッケ~」

 「じゃあ、晴香さん、私、もう出ます。あと、お洋服選びとお化粧手伝ってもらって有難うございました」

 ペコリと頭を下げる紫の様子に相好を崩す晴香。

 「なんのなんの。あたしも可愛い子でリアル着せ替えが出来て、ちょっと楽しかったしね。

 ま、初めてのデート、めいっぱい楽しんできなさいな」

 「はいっ!」


 「お待たせしちゃって、ごめんね、あおい君」

 パタパタとはしたなくならない程度の早足で、ゆかりは桐生院家の玄関──正確には門柱の外で待っているあおいの元に駆け寄る。

 「いや、まだそんな遅いって程じゃないし……へぇ」

 振り返ってゆかりの姿を目にしたあおいは、軽く驚きに目を見張った。


 首元がセミタートルネックになったライトパープルのカットソーと、ふくらはぎまでの丈のクリーム色のティアードスカートというと取り合わせは、「彼女」をその年齢以上に大人っぽく、また淑やかに見せていた。

 さらに服の裾と袖口のギャザーや、蝶結びにした首のスカーフがよりフェミニンな印象を強めている。前髪をまとめているベロア地のカチューシャも、その印象を補強していた。


 本来の紫は、どちらかと言うとタイトで動きやすい服装を好むので、こういうふんわりしたタイプの服はあまり持ってないはずなのだが、よく見つけてきたものだ。

 足元は肌色に近いベージュのストッキングに、ちょっとヒールがあるサンダル。靴のサイズが紫と違うから、ベルトで多少調節できるサンダルを選んだのだろうが、服とのマッチングも悪くなかった。

 よく見れば、ナチュラルではあるが、それなりに凝ったメイクもしているようだ。


 (ふーん……晴香さんの入れ知恵かな?)

 本人達以外には今の葵は紫に見えているとは言え、今即座に例の「絵」の効力が消えて「彼女」の容貌がそのまま他人に見られたとしても、どこに出しても恥ずかしくない掛け値なしの「美少女」と、万人が認めたことだろう。

 「えっと……ど、どう、かなぁ?」

 「恋人」の視線を意識して恥じらうゆかり。

 「うん、可愛いと思うよ。それに、ゆか姉によく似合ってる」

 本来の葵なら、たぶんヘドモドしてまともに答えられなかったろうが、こちらのあおいは、スマートに称賛を口にする。

 「ホント? えへ、ありがとう、あおい君♪」

 想い人の賛辞に、ゆかりは満面の笑みを浮かべる。


 「じゃあ、行こうか、ゆか姉」

 そう言いながらあおいは、右手を広げてゆかり方に差し出す。

 一瞬、そのポーズに首を傾げたものの、すぐにその意味を悟り、ゆかりはほんのり頬を染める。

 「! そ、そ、それじゃあ、その……」

 おずおずとあおいの手をとり、左手でギュッと握り締める。それだけで、ゆかりの顔はもう真っ赤だった。

 「さ、さぁ、あおい君、レッツ・ゴー、なのですよー!」

 テンパって口調まで何だかヘンになってるゆかりの様子に苦笑しながら、あおいはしっかりとゆかりの手を引いて歩き出したのだった。


 * * * 


 「あ、この服なんか、ゆか姉に似合うんじゃないかな?」

 繁華街の店先を、いろいろ冷やかしがてら見て回るふたり。

 「そ、そう? 私にはちょっと可愛い過ぎるんじゃないかな」

 セーラーカラーの白い半袖ワンピースは、確かに本来の「六道紫」にとっては、ちょっとイメージが異なる服装だったろう。

 しかし……。

 「でも、今のゆか姉ならピッタリだと思うよ」

 「えっと……もしかして、あおい君、こういうのが好み?」

 「そうだね。女の子が着てるのを見るぶんには」

 「そ、そうなんだ……」

 そう言えば、この人、確かに下級生の女の子とかにこういう可愛らしい服着せるのが好きだったよね──と、本来の「葵」としての記憶が、ゆかりの脳裏をほんの一瞬だけよぎる。


 「よかったら、買ってあげようか?」

 ジーッとワンピースを見つめているゆかりの視線を見て、勘違いしたのか(あるいはワザとか)、あおいがそんな事をニコやかに言いだす。

 「え!? でも、その……悪いよぉ」

 「なぁに、今日のデートの記念さ。ゆか姉は気にしないでいいよ」

 爽やかにそう告げると、店員を呼んで包んでもらうよう頼むあおい。

 まるで絵に描いたような「デート時に於ける理想の男性の行動」だった。このあたりは、やはり、今の「あおい」が本当は女性であることも影響しているのかもしれない。

 しかしながら、店員からワンピースの入った包みをうれしそうに受け取っているあたり、ゆかりの方はかなり「女の子」としての立場に感化されているようだ。


 商店街を出たあと、散策を続けたふたりは、町の中心部からやや離れた場所にある丘の上の公園まで足を伸ばしていた。

 「ここに来るのも久しぶりだね」

 「うん、そうかも……前に来たのって小学生3、4年の頃だっけ?」

 見晴らしのよい展望台で風に吹かれながら、しばし感慨にふける。

 こういう時、イトコ同士かつ幼馴染であり、思い出の大半を共有している間柄というのは、何も言わずとも通じ合っているような気がして、心地よかった。


 「あ、そうだ! あおい君、そろそろお昼にしよっか? 私、お弁当持って来たんだ」

 「うん、そうだね。ちょうどおあつらえ向きなベンチもあるし」

 ゆかりが広げたランチボックスを挟んで、ふたりはベンチに腰かけた。

 「どう、かな?」

 モグモグと弁当の中身を口にするあおいを、心配げに見守るゆかり。

 「うん、美味しいよ、ゆか姉。もしかしてひとりで全部作ったの?」

 「うーん、実は半分ぐらいは晴香さんに手伝ってもらっちゃった」

 ペロッと舌を出す様が愛らしい。

 「いやいや、それにしたって大したもんだよ。驚いたなぁ」

 「あは、料理するのは好きだしね」

 「やっぱり、ゆか姉はいいお嫁さんになれるよ」

 「え!? や、やだぁ、からかわないでよ……」

 つい昨日も同じような事を言われたのだが、その時以上に女らしい仕草で照れた表情を見せるゆかり。

 その後も、「恋人同士のお約束」である「あーん」や「膝枕でお昼寝」を、あおいに対して嬉々としてやってる事から見ても、どうやら完全に己れの立場に染まっているようだ。


 それに比べればあおいの方は、まだ多少は男の子としての立場に染まり切ってはいないようだが、コレは元からどちらかと言うと「意志の強い、男前な女の子」であったからかもしれない。

 ありていに言って、ほとんど自然体で行動しても、さしたる問題がないのだ。

 逆に、ゆかり──本物の葵の方は、元の「真面目で気が弱く、守られがちな弟分」から「よく気がつく世話好きのお姉さん」へと立場が劇的に変化し、また周囲の目もあってそう演技せざるを得なかった点が大きいのだろう。

 あるいは、葵の方が流されやすい性格であることも影響しているのかもしれない。


 その後も、夕暮れの公園で抱き合って軽くキスしたり、「手をつなぐ」ではなく腕を組む(より正確には、あおいの差し出した腕に、ゆかりが抱きつく)形で帰路についたりと、いかにもなイベント続出で、ふたりの仲は大いに進展した。

 もっとも、それとともに、ゆかりの精神的な「女性浸食度」も大幅にアップしたことも間違いない。

 なにせ、このデートの間中、「彼女」は自分が本当は「葵」であるという事実を一度も思いださなかったのみならず、女の子としての立場や行動にも、なんら違和感を感じていなかったのだから。

 そればかりか、桐生院家の自室に戻った途端、買ってもらったワンピースにさっそく袖を通し、鏡の前で今日のデートに於けるあおいのイケメンぶりを思いだして悦に入ってる始末。もはや完全に「恋人にメロメロな女の子」状態だった。

 心のどこかに、そんな自分を客観視している部分もあるのだが、今の状況が心底快いと感じてしまっているのも、また事実なのだ。

 それは、「桐生院葵」としての日々では得られなかった安らぎだった。


 ──だからだろうか。そんな馬鹿な提案をしてしまったのは。

 「えっと……ねぇ、もう一日。もう一日だけ、このままでいちゃダメかなぁ?」


 * * * 


 「えっと……ねぇ、もう一日。もう一日だけ、このままでいちゃダメかなぁ?」

 日曜の夜、そろそろ元に戻ろうと例の絵を持って来たあおい(紫)に向かって、ゆかり(葵)は、気がついたら、そんな言葉を口から発していた。

 葵自身も意外だったくらいだから、当然のことながら言われた紫も目をパチクリさせている。


 「え!? そりゃもう一日くらい構わないけど……でも、明日は学校があるよ?」

 「う、うん。と言うか、むしろ、だからこそ、なんだけど……」

 モニョモニョと言葉を濁す葵を見て、ピンと来たのか、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべる紫。

 「ははぁん……葵ちゃん、もしかして学園ウチの女子制服が着てみたい、とか?」

 「そ、それは、その…………うん」

 一瞬口ごもったものの、覚悟を決めて自分の心に素直になる葵。

 ふたりが通う私立恒聖高校の男子制服はごく普通の紺の詰襟(ボタンでなくファスナータイプ)だが、女子の制服は可愛らしいデザインで人気が高い。「ゆかり」としての立場に染まりつつある(というか首元までどっぷり染まった)葵なら、袖を通してみたいと思っても不思議はなかった。

 もっとも、そればかりではなく、せっかくなら「六道紫」としての女子高生ライフも体験してみたいという好奇心があることも、理由のひとつではあったが。


 「うーーん……ま、いいか。ぼくも、“男子高校生の日常”ってヤツに興味はあるしね」

 咎められるかと思ったのだが、案外簡単に紫は納得してくれた。

 「あ! それじゃあどうせなら、来週いっぱい金曜まで、このままで過ごそうか。家庭科の授業で活躍したり、体育の着替えでアタフタしたり、生徒会で「会長」してたりする葵ちゃんも見てみたいし♪」

 それどころか、突拍子もない提案を出してきたりする。

 「え? ええっ!?」

 「ん、異論はないみたいだから決まりだね! じゃあ、おやすみ~」

 葵に口を挟ませる余裕を与えず、畳みかけるようにそう宣言すると、紫は「あおい」として「自分の」部屋に帰っていった。


 「はぅぅ~、トンデモないコトになっちゃったよぉ」

 ハッと我に返り、オロオロする葵だったが、既に後の祭りだ。

 「まぁ、半分は自業自得か」とあきらめて、時間割表を見つつ、「ゆかり」としての明日の学校の用意をする。

 もっとも、本物の紫が言及していた通り、明日の月曜日は体育や家庭科などの特殊な授業のない日のようだから、授業関連でトラブルが起きる可能性は低そうだったが。

 「これでよし、っと。じゃあ、今晩はもぅ寝ちゃおうかな」

 先ほどあおいと会う前に風呂には入っていたのであとは夜着に着替えて布団に入るだけだ。

 「ふん、ふん、ふーん♪」

 ゆかりは、当り前のようにドレッサーの前にすわって、誰に教えられたわけでもないのに鼻歌混じりに就寝前のスキンケアの手順をこなしていく。

 化粧水が乾いた頃合いをみはからって、灯りを消してベッドに入ると、ゆかりはそのまま眠りについたのだった。


 * * * 


 「あれ……ここは?」


 「彼女」は、自分がフワフワと青空の上に浮かんでいることに気がついた。しかも、着替えたはずのミントグリーンのネグリジェではなく、見慣れたメイド服姿になっている。


 「あ、もしかして……」

 「おーーーい!」

 「彼女」が事態を把握するのとほぼ同時に、眼下から聞き覚えのある声で呼ばれる。

 真下に視線を転じると、案の定、透明な翠色の水面の下には、ポロシャツにスラックスという、これまた見慣れた格好の「少年」が手を振っていた。


 「あおい君……じゃなくて、ユカねえ!」

 どうやらココは、2日前と同じく夢の中らしい。より正確には、ふたりが共通して同じ夢を見ている、と言うべきかもしれないが。

 「はは、今はあおい君でいいよ、「ゆか姉」」

 ふたりが互いの姿を認識した瞬間、引き付けあうようにふたりの距離が縮まるのも、以前と同じだった。


 「? なにニヤニヤしてるんです?」

 「クックック……さぁ、何でだろうねぇ」 

 どことなく楽しそうな笑みを浮かべているあおい(紫)の視線を辿ったゆかり(葵)は、ハッと気づいて慌ててスカートの裾を押さえる。

 「──あおい君のエッチ」

 「いやいや、不可抗力だよ~♪ それにしても、ピンクのリボン付きとは……」

 「わぁ、言っちゃダメェ!!」

 真っ赤になってアワアワするゆかりの表情を見て、ますますニヤケるあおい。シチュエーション自体は2日前とソックリなのに、立場が入れ替わると、これほど互いの反応も変わるとは、なかなか興味深い。

 と言うか、もし第三者がこの光景を見たら、本当は「あおい」が女で「ゆかり」が男の子だとは誰も思わないに違いない。


 「まぁまぁ、過ぎたことは水に流して。それより、ほら、ちょっとソッチに引き上げてくれない?

 水面を境にして、上下に分かれて会話するのも2回目とあって、前回ほどの戸惑いはないが、やはり話しづらいのには変わりはない。

 「あ、はい。じゃあ、手を……」

 水面に横座りしたゆかりが手を差し伸べたのだが……以前と違ってその手は水面に潜り込めない。

 「あ、あれれ?」

 「む、前回とはちょっと違うのかな?」

 あおいの方も手を水から出そうと試みた時に、異変は起こった。


 ポウッ…と何か淡い光のようなものが、あおいの全身から浮かびあがり、そのままソフトボールくらい大きさの光球の形にまとまると、水の境界面を突破してゆかりの身体──正確には鳩尾の辺りに直撃したのだ。

 「きゃあっ!!」

 思わずあげてしまった自らの悲鳴が、先ほどまでより半オクターブほど高く、また艶っぽく聞こえたのは、ゆかりの空耳だろうか?


 そのコトを確認する余裕もなく、ゆかりの意識は白い光に呑み込まれていった。

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