東の魔女
その夜、極東、秋津洲皇国で最も古い神社の一つである葦原宮は戦場と化していた。
物々しい兜と大鎧に纏った多くの侍――笹竜胆の旗が見える――が四方を囲む中、広大な参道内では、二人の男が死闘を繰り広げていた。
周囲にいる侍達は、既に大太刀を引き抜き、槍を構え、加勢をしようとしているが……彼等を率いてきた男がそれを拒んでいる以上、賊を逃さぬよう囲むことしか出来ない。
目の前では、彼らの長――皇国の絶対守護者にして、名高き『大剣豪』の七男である、
そして、もう一人の男――黒い外套を纏い、小太刀を両手に持っている――は無言。小七郎と互角にやりある前衛など、皇国でも極めて稀。にも関わらず、男はその偉業を平然と成し遂げていた。
「貴殿、何者なのだ? その腕……単なる賊ではあるまい?」
「名乗る義理もなし。御神体を渡してくれれば、名乗っても構わんが」
「それは無理な話だ。ここ数ヶ月、古い神社を襲っていたのは貴殿だな? しかし、何も捕らず、殺しもしない。何故だ?」
「無駄な殺生に意味などあるまい? 興味があるのは――『遺灰』のみ。『欠片』はこの国にはないだろうからな」
「『遺灰』、それに『欠片』だと? 何のことだ?」
「貴殿らには分からぬこと。極東の地で、微睡んでいるだけの貴殿らにはな」
「言ってくれる。だが――その首、貰い受ける!」
「出来るものなら!」
両者の姿が瞬時に加速、間合いがなくなり、激しい金属音。
黒外套は大太刀の一撃を左手の小太刀受けると、その反動で一回転。上段から右の小太刀を振り下ろす。
それに対して、義景は腰に差してあった脇差を引き抜き、防御。
黒外套は舌打ちすると距離を取り、小太刀の切っ先から、爆裂魔法を速射。
義景は、あろうことかそれらを全て叩き切る。『兼光』の特性により、魔力が消失。魔法そのものも崩壊。
ならば、と、黒外套は小太刀を交差させ、更に魔法を展開――発動。紫色の霧が周囲を包み込む。
それを見た義景から周囲へ警戒の声。
「毒霧だ! 注意せよ!!」
周囲にいる侍達が、次々と防御魔法を展開。
当の義景は、毒霧などお構いなしに進んでいく。毒霧が彼を犯そうとするが、装備している大鎧『
『兼光』を構え、大上段から振り下ろす。轟音と共に、毒霧が晴れると、そこに男の姿はなかった。
「……逃げた? いや――本殿か! 皆、急げ! 奴は、我等と最後までやり合う気はないぞ!」
※※※
黒外套の男――ユサルは毒霧の中を駆けていた。
『渡影』は使わない。あれは、移動術としては極めて優れているが、前衛最強職である侍達相手には隙が大き過ぎる。
本来であれば、武人として義景と決着をつけたいところだった。『大剣豪』に列なる者と一対一など、まず望めない僥倖なのだ。
しかし、それは大事の前の小事。今はとにかく『遺灰』を回収し、それを『錬金』の兄へ渡してしまうことだ……。
侍達は参道周辺を固めておりそこを突破すれば、人は疎らな筈。神官達も退避しているだろう。何しろ、『八幡』の名を持つ者が出張ってきているのだ。
駆けに駆け、拝殿入り口の固く閉じられた門と、警護の侍数名を視認。
葦原宮は、拝殿・本殿を守るように、周囲を大人十数人分の高さに及ぶ大壁が覆っているのが特徴なのだ。
「あ、貴様!」
「悪いが相手をしている暇はない」
侍の一人が切りかかって来たが無視し、ひらり、と屋根へ飛び移る。後方からは特大の殺気。義景か。
まぁ、いい。今は――っ!? 眼下に広がる光景が信じられず立ちすくむ。何なのだ、これは……?
参道の石が砕ける音と共に、飛翔してきた義景が着地。そして、こちらを見上げ尋ねてきた。
「そんな所で立ち止まってわざわざ待っててくれるとは、殊勝な心がけだ」
「……問うが」
「うむ?」
「……貴殿らは、何をしたのだ?」
「質問の意味が分からぬが?」
「開けてみろ」
「何?」
「門を開けて見よ!」
こちらの様子を訝し気に見ていた義景が、部下に指示し、門を開けさせる。
そこにあった光景――樹海に呑まれた拝殿と本殿、そして警護していた侍達の干からびた死体だった。義景が絶句する。
「こ、これは、いったい何なのだ! 周囲にいた我等に感知すらさせずに、これ程の魔法を展開しただと!?」
「……貴殿らの策ではないとのなら、では誰――」
「!」
気付いたのは同時だった。
――何かがいる。
ゆっくりと視線を拝殿の屋根へと向ける。
そこにいたのは、翡翠色の着物を着た長い黒髪の少女だった。高下駄を履き、右手には、翡翠色に輝く球体。左手には紅い砂が入った小瓶を持ち、それを眺めている。
義景が、尋ねる。
「……貴様は何者だ?」
「助かりました」
「……何だと?」
「貴方様が派手に動かれたお蔭で、一々『遺灰』を探す手間を省くことが出来ました。これで私はお褒めいただける一つ目の権利を得ました。これだけ、事前に防備を整えていただければ、次の襲撃先は誰でも分かります。馬鹿と鋏は使いよう、とはよく言ったものです」
「何を言っている!」
「次はそこの黒い方を殺せば、お褒めいただける二つ目の権利も得られます。死体からは色々と情報を得られることでしょう。
咄嗟に爆裂魔法を高速展開、少女に向かって発動――しない?
見れば、周辺一帯を薄らと魔法陣が覆っている。
同時に、拝殿と本殿を飲み込んでいた、樹木がざわつき始めた。
「弓箭系の魔法は封じさせていただきました。侍の皆様方は御逃げくださいませ。先程は私のようなか弱い女に刀を抜かれたので、致し方なく……『八幡』と言っても、あんな程度なのですね。狭い島国で安寧を貪っているのですから、仕方ありませんけれど」
「…………その魔力。その出で立ち。我が父に聞いたことがある……貴様、貴様はあの『緑夢』だな?」
侍達からは声も出ない。『緑夢』とは皇国に生きる者達からすれば、『万鬼夜行』と並ぶ化け物なのだ。
少女が嫌そうに首を振る。
右手に持っていた翡翠色の球が、禍々しい魔力を放ち始める。
……人の放てるそれではない。
「その呼び方は嫌いでございます。私の名はアザミ――『東の魔女』と呼ばれております。短い間でございますが、お見知りおきを。逃げるならば逃げてくださいましね。ずっと笑ってさしあげますから。意地と名誉をお持ちならば、一生懸命、無駄な抵抗をお見せくださいまし。では――ご機嫌よう。さようなら」
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