エピローグ

 目が覚めた時に見えたのは白い天井。

 ……何故、私は生きて?

 同時に聞こえたのは優しい声。


「おや、目が覚めたかい」


 気怠い身体をベッドの横へ傾ける。

 そこにいたのは……涙ぐむメイドと。


「大祖母様っ!」

「……テア。身体を起こしてくれないかしら」

「で、ですが……お身体に障ります! 解毒は終わっていますが……」

「……お願いよ」


 抱き着いてきた、涙ぐんでいる曾孫に頼む。

 ――この御方の前なのよ。

 補助を受け、上半身を何とか起こす。

 そして、深々と頭を下げる。


「……ハル様」

「カサンドラ、久しぶりだね。……いけない子だ。僕は、ロートリンゲン家と長く付き合っているけれど、されたあの時から、『命』を欲した事はないよ?」

「……私の考えが浅はかなものであることも重々しております。生き残ってしまうことは、想定外でしたが」

「そこまで分かっておきながら……何故だい?」

「『古き約束』は、我がロートリンゲン家にとって絶対に守るべき規範です。それを当代の皇帝は自らの手で否定し、私とディートヘルムを監禁する事で、過去をも否定した。その償いはせねばなりません。ディートヘルムはこの国に未だ必要です。このテアも。当代の皇帝ではとても償いには……。ならば、最早、私しかおりませぬ」

「……馬鹿だね。大馬鹿だ。どうして、諦めてしまったんだい? 何故、君自身が飛んでこなかったんだい? 僕はあの時言った筈だよ。何か困った事があったら、飛んでおいで、と。それに、今回の一件は僕の過ちでもある。ラヴィーナの性格を分かっていながら、事前に注意するのを怠ったのだから」

「…………申し訳ありませんっ」


 嗚咽が漏れる。

 結局のところ、この私もこの御方を信じていなかったのかもしれない。

 テアが私の背をさすってくれている。

 ハル様が奥で立ちすくんでいた我が孫に声をかける


「ディートヘルム君」

「……はっ!」

「一応、君には報せておこう。先程、ルナ――ああ、当代の『天魔士』に皇宮にいる全ての人間が操られていないかどうか、を探らせた」

「!?」

「結果、精神操作されている人間はいない、という事だった。皇帝君と、副宰相君も含めてね。けれど……あの大魔導士や、近衛騎士団団長のように、女神教の信者乃至はそれを利用している輩が大分入り込んでいるようだ。聖騎士も何人かいなくなっているのは聞いているね? 当然、その背後には国家や、それに匹敵する組織がいるだろう」

「…………王国と自由都市、そして女神教の手が、奴ら以外にも帝国中枢にまで伸びている、と?」

「さぁ? 君達の覇権争いには興味がない。興味があるなら調べてみればいい。けれど……女神教が個々人の信仰はともかく、現実に影響を与えるのは駄目だ。絶対に認められない。だから、200年前、アーサーと約束をした。『帝国が『女神』『魔神』と関わる事は禁止』とね」


 アーサー・ロートリンゲン。

 新帝国初代皇帝にして、二人の『大罪人』を討ち『大崩壊』から世界を救った英雄王――と、されている。当然、嘘だ。二人を止めたのはハル様なのだから。

 ……実際は、誰よりも泣き虫で、病弱。何時も、ロートリンゲン家の血を引く妻に怒られてばかりだったと伝わる。

 けれど彼は――ハル様との約束を生涯、何があろうとも守った。

 大反対を受けようとも帝国領内から女神教を追放し、陽光教を国家の宗教とし、『女神』『魔神』を研究しようとは決してしなかった。

 それにしても、大魔導士、近衛騎士団という国家の柱石が、売国奴であったとは……いったい、何故?


「ここ最近は平和だったから、諦めたと思っていたんだけど。『剣聖』君をさっき見させてもらったよ。明らかにの『狂神薬』を常用していたようだ。さっきは『女神の遺灰』まで使っていた。由々しき事態だよ」

「ハル様、その……『狂神薬』と『女神の遺灰』とは?」

「ディートヘルム君。勉強不足だ」

「はっ……」

「『狂神薬』とは、かつて対『魔神』戦とそれに続く『大崩壊』の時に、『偽錬金術師』が開発量産した、一時的に『女神』の加護に近い力を得る代わりに、自分の寿命を削る禁薬だ。自分の限界を超えた力を行使出来るけれど……使えば使う程、身体は病んでいく。そして、『女神の遺灰』はその名の通り、優しい『女神』様がこの世に遺した遺灰だよ。使用すれば……まぁ、小国位は軽く落とせる力が手に入る。ただし」

「ただし?」

「……余程の力がないと、飲み込まれる。そして、やがては『魔神』を顕現させる贄となるだろう」

「は?」


 横で聞いていた私も混乱する。

 『女神の遺灰』が『魔神』を顕現させる?

 ロートリンゲン家は、他家よりもこの世界の秘密を知っているとはいえ、全てを知っているわけではないのだ。



「『女神』と『魔神』は表裏一体。二人で一人の神だ。どちらかだけを選ぶ事は出来ない。あの優しい『女神』は人を愛し、信じた。『魔神』は人を憎み、呪った。結果は……悲劇だった。『女神』は死に、『魔神』も死んだ。けれど……一番恐ろしいのは、それを分かっていて、人のおぞましさだ。次があったら『女神』も人を救おうとはしないだろう。僕は、僕の名に賭けて、二度とそんな事を許す訳にはいかないんだよ。何しろ――あの、燃え盛る炎の中で『勇者』様と約束をしたからね」



※※※



 顔を隠すように外套を被った大柄な男の姿は、自由都市へ向かう輸送船の上にあった。

 空には、航海を祝福するように満月が輝いている。

 男の腰には長大な騎士剣。

 表情は苦虫を噛み潰したかのようだ。

 その男に小柄な男が声をかける。腰にはやはり騎士剣。


「……団長、そう、気を落とされませんよう」

「分かっている。あの『天騎士』を倒し、生涯の屈辱を晴らすまでは、気を落としている暇などないのだっ! だが、大魔道の阿呆はおそらく捕まった。情報は全て漏れるだろう。これで我等は……帝国の敵だっ!」

「大丈夫です。先方は、我等を迎え入れると確約しております。しかも――とっておきの『土産』もありますれば」

「……拘束は大丈夫なのだろうな? 仮にも帝国最強なのだぞ、あの女は」

「勿論です。それに、いざとなれば我等と団長とが『狂神薬』を使えば対抗は可能で――」


「何とまぁ……その名を知っているとは、こいつは幸先が良い。『人形使い』の情報も偶には当たるものだ」


 ぎょっとして、二人が振り向く。

 そこにいたのは、月夜に浮かびあがる黒い外套を纏った男。

 持っているのは、死神が持っているかのような、大鎌。

 大柄の男と小柄な男がそれぞれ剣を抜き放つ


「……何者だ?」

「今から、死ぬ人間には意味がないと思うが……冥途の土産だ。名乗ってやろう。我が名はユンダ。世界を救いし大英雄、『全知』が子、ユンダだ。……我が父が作りし『狂神薬』は秘薬。我等以外が使うことなぞ、許されぬ。まずは全てを話してもらおう。その後、速やかに――死ね。帝国の狗共がっ!」

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