第58話 大宰相

 東部から戻り、執務室の机上にうず高く山を形成している書類(副宰相めっ! 面倒な仕事ばかり押し付けおってっ!!)を見ないようしていた私は、思わず副官へ尋ね返した。


「……何だと? 今すぐにか?」

「はっ! 『可及的速やかに。話したき事あり』とのことです」

「ふむ」


 顎髭をしごきながら考える。

 あの御方が、わざわざ戦場帰りの帝国大宰相を呼びつけてまで伝える必要がある案件、か。

 ……碌なモノではないな、間違いなく。

 目の前に立っている副官へ問う。


「私がこの半月、東部へ出向いている間に何かあったか?」

「いえ。迷宮都市で起きた『大氾濫』未遂は既に解決しておりますし」

「あれを聞いた時は肝が冷えた。上位冒険者達が集まっていたのが幸いだったな。そうでなければ、今頃は……」

「はい。ですが、これ以外は」


 思い当たるものがない、か。

 やれやれ、私とてもういい歳。隠居して庭造りに精を出したいのだがな。

 まぁ良い。あの御方の造る庭は一見の価値がある。

 戦場で荒ぶった――否、した気を静めるのも悪い事ではない。

 王国の戦争狂共も、当分は流石に懲りただろう。

 とにかくが味方で良かった。


「よし、では行くぞ。午後の予定は全て取り止めだ」

「はっ! 護衛には誰を?」

「いらぬ。ここを何処だと思っている。帝都皇宮だぞ? 十重二十重に張られた戦略級結界と、一騎当千の騎士や魔法士に守られているのだ。もしも、仮にそこまで侵入するような者がいるなら――そいつは化け物だ」

「殿下が制定された規則ですので」

「ちっ。そう言えばそうだったな。分かった、だが、仰々しくはするな。間違っても『聖騎士』やら『聖魔士』なんて付けるなよ? 『勇者』『剣聖』なんてのは論外だ。奴等には帝国の敵を討ち、臣民の心を安らかにする任がある」

「では近衛から一隊を」

「誰だ?」


 尋ねつつ、思う。

 なんと不運な隊だ。この一件が終わった後は酒でも差し入れてやるとしよう。 

 

「はい。近衛第10席が率いる小隊です。名はオスカー。階級は大尉。叩き上げのようです」



※※※



「貴方は――貴方達はこの国をどうするつもりなのです?」

「……申し訳ありません。質問の意味がよく理解出来かねます」

「ディートヘルム」

「はっ」

「貴方は本当に何も聞いていないのですか? 東部の件はご苦労でした。が……この一件が私が聞いた通りならば――です」

「なっ!? 流石にそれは」

「私の言葉が信じられないと?」

「い、いえ……いったい、何をお聞きしたのですか?」


 皇宮奥に設けられたひっそりとした内庭。

 季節の花が見事に咲き乱れている。

 その中心に設けられた屋根付きの一角。

 そこで、お茶を飲みながら木製の古い椅子に座り、此方を待っていたのは皇族とはとても思えない程、質素な服を着つつも、溢れる気品さを持った老婦人。

 

 我が祖母、カサンドラ・ロートリンゲン。

 

 齢80は超している筈だがとてもそうは見えず。その眼光は鋭い。

 現役時は、穏やかだった先々代を支え、時に苛烈な判断を下したとも聞く。

 こちらが知らぬ情報を、一早く手に入れていることといい、それに対して即座に行動することといい……『女傑』は未だ健在か。


「貴方は『古き約束』について知っていますね?」

「勿論です。何度あれをお祖父様や父から聞かされたとお思い――お待ちを。よもや……手を振り払ったのですか!?」

「使者殿が来たようですが、面会すらしなかった、と。『亡国』の意味、理解しましたか」

「……はっ!! ですが、過去の例から考えれば使者は、大陸でも名が知れた人物の筈。何故、そのような事に」

「それは――」


「遅くなりましたっ!」


 快活な声と共に、やって来たのは、すらりとした長身金髪の青年だった。

 身内贔屓かもしれないが、美形と言って良いだろう。

 能力も悪くはない。

 父親を突然亡くし、若くしてこの国を継いだ後もそつなく政務をこなしている事はそれを証明している。

 そうこの男こそ、我が甥にして――


「皇帝陛下」

「陛下」

「大祖母様。叔父上。止めて下さい。ここには我等しかおりませぬ」 


 帝国第8代皇帝リーンハルト・ロートリンゲン。

 

 此方の声こそ届かない位置だが、後ろにいる護衛は――何だと?

 怪訝そうな視線が気になったのだろう、リーンハルトが反応。


「近衛騎士団長と大魔導士殿とが五月蠅いもので」

「だからといって……『勇者』と『剣聖』は我が帝国にとって」

「分かっております。それで、大祖母様、何用でしょうか?」

「リーンハルト、単刀直入に聞きます。貴方は『古き約束』を知っていますか?」

「『古き約束』――ああ、父上からはうかがっております。それが何か?」

「……では、何故、使者殿に会わなかったのです」

「ああ、その件ですか。いやぁ、困ったなぁ」


 頭を掻きつつ苦笑。

 そして――信じ難い言葉を口にした。


「あれが、我が一族に伝わる口伝である事は承知しております。けれど、時代は変わりました。本当の話とも思えません。私のところにその話がきたのは後からでしたが問題はないでしょう。『天騎士』『天魔士』といっても、所詮は民間人。そのような者達と一々会う程、私は暇ではありませんよ。使者、というのも疑わしい。追い返した近衛騎士団長と大魔導士殿の判断は正しいかと」

「…………リーンハルト」


 祖母の顔は蒼白になっている。

 それは怒りであり、同時に絶望。

 その時だった。楽しそうな笑い声が響く。



「あはは。だからあの人は甘いんだよね。どうせこうなるんだからさ。それにしても皇帝が愚者だと大変だ。どうしたんだい? ああ、名乗っていなかった――初めまして私の名前は『星落』。『星落』のラヴィーナだよ。よろしく。まぁすぐさよなら、だけど」

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