第59話 罪

「――私の名前は『星落』。『星落』のラヴィーナだよ。よろしく。まぁすぐさよなら、だけど」


 その女が笑いながら名を告げると、大宰相殿下の護衛についていた我が小隊全員が絶句。こいつらとて、近衛の精鋭。修羅場を潜ってきているのだが……この名は余りにも衝撃的過ぎる。

 俺自身も『天騎士』『天魔士』と相対した時と同じような戦慄を覚え声が出ない。……近衛の第10席を素直に誇れていた頃が、酷く昔に思える。

 黒と白があしらわれた魔法士のローブ。銀髪に近い薄い蒼色の髪を長く伸ばし、その先端を純白のリボンで結びんでいる女は――何時の間にか内庭に佇んでいた。まるで、最初からいたかのように。

 無数と言っていい皇宮の警戒魔法は一切発動していない。第一、戦略級結界魔法をどうやって突破したと……いや、こいつが本人だとすればあり得る話か。

 

『星落』


 その名を知らぬ者など大陸にいようか。

 老若男女、身分の貴賤に関係なく、その名が示すのは……平等なる『死』。

 龍や悪魔は確かに恐ろしい。一度、奴等が暴れ始めれば、その暴虐を喰いとめるのは至難。

 なれど――犠牲を覚悟に挑めば、軍単位であれば対抗は出来る。

 事実、帝国軍は過去において、多大なる犠牲を払いつつも、龍や悪魔を退けてきた実績を有しているのだ。

 だが……こいつは余りにも……。


「し、小隊長殿、あ、あいつはマズいですぜ……間違いなく化け物です。とても、我々だけでは……足止めすら無理です」

「分かっている」


 小隊に所属している下士官(対龍・対悪魔戦闘を経験し、生き残っている歴戦だ)の声は震えていた。普段は命知らずで名が知れている男なのだが。

 ……いや、こいつのことは言えない。そういう自分の声も震えている。

 我々が剣を抜くことも出来ずにいる中、周囲を楽しそうに眺めていた『星落』は口を開いた。


「それにしても、口伝というのは怖いよね。代を重ねるごとに全体がぼやけていき、今やが抜け落ちているんじゃないかい? 『約束を忘れた時は、私が再度聞きに行く』と私はあの時、警告したよ。まぁ、『口伝』という限定条件を付けたのは私なんだけどね。でも、約束がある以上、手出しは出来なかったんだ。ありがとう。お礼に、一発で帝都ごと消えるか、じわじわと嬲られるか、選ばせてあげるよ――どっちがいい?」


 表情に浮かんだ微笑には何の躊躇いもなく、純粋。それ故におぞましい。

 その瞬間、疑惑は確信に変わった。

 こいつは――本物だ。

 本物の……あの『星落』だ。おとぎ話で語られている、恐怖の存在。


 曰く「『大崩壊』以前、幾つもの小国をたった一人で、一夜の内に滅ぼした」

 曰く「『龍神』と世界樹を守護せし龍騎士の一隊を、笑いながら全滅させた」

 曰く「初代帝国『勇者』と仲間達を蹂躙した後、圧殺したの一人」


 過去、数百年に渡って、大陸中を震撼させてきた化け物の一人。

 身体の震えが激しくなってゆく。

 だが……俺は、近衛騎士なのだっ! 

 その役目は、皇帝陛下とその御一族を守り、帝国を守ること!

 視線を下士官へと向け、意思を伝える――すまない。

 皇帝陛下達と魔女の前に立ち塞がるべく身体を強引に動かそうとする。

 しかし、俺達よりも早く立ち塞がった影がつ。

 既に、剣を抜き放ち複数の魔法を展開している。

 魔女はそれを見ると、微笑を止め


「へぇ」


 一言だけ漏らした。

 結果、部下達がその殺気に耐え切れず倒れていく。

 辛うじて立てているのは、俺と下士官。立ち塞がった『勇者』様と『剣聖』様。そして、カサンドラ様付きのメイドだけ。


「……私に立ち向かわせるのが、、紛い物の『勇者』と『剣聖』とはね。やっぱり、君達は度し難い。大罪人の子は大罪人か。一度滅んだ位じゃ分からないなら――もう一度滅べばいい!」


 魔女から、想像を絶する魔力の奔流が巻き起こる。

 次元が……違い過ぎる……。

 こいつは、もう人間では――『勇者』様と『剣聖』様が、機先を制し左右に分かれ突撃。速い!

 魔剣を煌かせ、魔女へそれらを振り下ろす。

 だが――


「「!?」」

「この程度の剣技と魔力構築で、『勇者』? 『剣聖』? 笑わせないでおくれよ。あの人に全てを押し付けておいて、手に入れたのがこの程度なわけ? ……ふざけるなっ!!!」


 二本の魔剣は、魔女が空中にそっと手を出しただけで生じた、魔力障壁によって阻まれ、同時に耐え切れず、折れて宙を舞う。

 軽く手を払うような仕草――轟音。不可視の何かによって、『勇者』様と『剣聖』様が、吹き飛ばされ、壁へと激突。


「さっきの言葉は取り消すよ。君達には地獄すら生温い。あの人を蔑むかの如き言動。今の紛い物。……元々の罪とを合わせて、万死に値する。楽には死なせないよ? 嗚呼、やっぱりあの時、綺麗さっぱり、何もかも消しておけば良かったっ! たとえ、あの人に怒られても……こんな、こんな思いをするのなら……」


 そう言うと、魔女は嗚咽を漏らし、泣きじゃくり始めた。

 な、何なんだ? こいつは、いったい、何なんだっ!?

 茫然とする俺達に対して、カサンドラ様が零された。


「間に合いましたか。心から感謝いたします」

 

 何を仰って?

 その時だった、恐ろしい速度で内庭にやって来たのは


「突然、呼ばれて来てみれば……ねぇ、あんた、何やってるわけ?」

「『星落』……気持ちは痛い程分かる。正直、私もこんな国、滅ぼしたい。でも、戦争を引き起こす事は容認出来ない。それに、貴女がそんな事をしたらとてもとても悲しむ」

「退いていただけないでしょうか? 大先輩である貴女と戦うのは本意ではありません」

「ラ、ラヴィーナ……わ、私は、貴女と戦いたくないですぅ……」

  

 四人の男女。明らかに俺よりも若く、一部はまだ幼い、と言って良いかもしれない。

 だが、明らかに、こいつらも。

 魔女は泣き止むと、楽しそうな笑みを浮かべた。



「……面白いね。君達が私を止める? やれるものなら、やってみるといい!」

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