第33話 タチアナ

「まったくもうっ! お師匠は何時も突然過ぎるのっ!!」

「ふふ、そうかい?」

「驚き過ぎて心臓がおかしくなりそうだったんだからっ! タチナアまで巻き込んでっ!!」

「ハナはからかい甲斐があるからつい、ね」

「……知らないっ!」


 ハナがむくれる――ふりをしている。だけど、その表情は嬉しさを隠しきれていない。

 気持ちは分かるからそれについては何も言わない。……言わないけど、ちょっとこの状況はおかしいと思うので口を挟もうと思う。

 決して『羨ましい』とか『私も後でやってもらいたい』とか、そういうものではない。ないったらないのだ。

 意識的に笑顔を浮かべつつ、声をかける。


「ねぇハナ」

「な、何よタチアナ。ち、ちょっとその笑顔、怖いんだけど……」

「ハルさんに会えて嬉しいのは理解するわ。だけど、わざわざお風呂に入ってきて、髪を乾かしてもらいながら、梳いてもらうのはやり過ぎじゃないかしら?」

「そ、そんな事ない。これは久方ぶりに会ったお師匠に対して、ちゃんとしようとする弟子の義務、そう義務なのっ!」

「へぇ、義務なのね。だったら私も後でやってもらえますか? ハルさん」

「なっ!?」

「構わないけど、君の綺麗な髪を傷つけそうでちょっと怖いかな」

「お師匠、甘やかさないでっ! タチアナも……駄目なんだからねっ!」

「あら? それを決めるのはハルさんよね? という訳で、今晩楽しみにしてます。優しくして下さいね?」

「ぐぐぐ……」


 我が団長様は苦虫を噛み潰したような表情になっている。が、それも長くは続かない。余程気持ち良いのだろう、すぐにふにゃふにゃになっている。

 何時もなら、私がついていた嘘(『今回は実家に帰る』と言ってハルさんの所へ行った)をすぐに指摘するけど、そんな暇もないみたいだ。

 ハルさんも、本当に優しい笑顔。まるで愛娘を見る父親。

 事実、娘同然なのだろう。

 昔、酔った席でハナがふとこぼした言葉を思い出す。


『お師匠に拾われなかったら、私達はとっくの昔に野垂れ死んでたわ。だから、私達の命はお師匠の物なの』


 教え子の方達は彼を凄く慕っている。

 この2年で何人かと出会う機会を得たけれど、信仰に近いものがあると思う。私自身もそうなのは自覚。

 けれどエルミアさん、そしてハナとハナのお姉さんは――ちょっとそれとは違うのだ。心から信じているのは同じ。でも、より依存性が強いというか、愛情が深い……今のは無し。愛情については負けるつもりも、譲るつもりもない。

 私が色々考えている内に、ハナの髪をまとめ終えたハルさんが口を開いた。 


「はい、完成だよ。本当は相談があったんだけれど、少し疲れているみたいだし忙しいようなら西都にいるあの子に」

「ダメっ!!」「駄目です!」

「おや、そうかい? だけど、そこの書類は処理しないといけないだろう? クラン関連だよね」

「う……こ、これは、その……」

「ハナ、明日で片付けられるのよね? その後でいっぱい時間を取れる、そうよね?」

「え? い、いや、この量を一日ではちょっと嫌――」

「ハナ?」

「……お師匠、明日でこの書類は片付けられるから、細かい話は明後日でいい?」

「そうかい? 明日で帰るつもりだったんだけど、仕方ないね。それじゃ、今日は大まかな話だけをしよう。ハナ、これを見てくれるかな」


 良しっ! 明日のデートは無事確定。

 しかも、お邪魔虫でハナも合法的に排除出来たわ。ああ、楽しみ。早く明日にならないかしら。

 ……いけないいけない。浮かれるのは話が終わった後にしないと。

 我が団長様は話を聞いたら、即座に帝都へ飛びかねないし。

 ハルさんが胸元から例の物を取り出した。


「お師匠、それって」

「うん、『魔神の欠片』だね。サクラが手に入れて送ってきたんだ。前に僕が『若い魔物が特異種になる事例と遭遇す。注意を』と報せた事があったろう? まだ覚えてくれてたみたいでね、『勘が働いた』って書いてあったよ。どうやら、これを使う良からぬ輩がいるみたいだ」

「そんなの当たり前! お師匠に言われた事を忘れるなんてあり得ない。だけど、そう――サクラが、ね」

「まだ喧嘩しているのかい? 仲良くしないと駄目だよ」

「喧嘩はしてない。考え方の違いなの。目指してる方向は一緒だけど、その進み方が違うから」

「何で揉めたのかは知らない。けど、分かっているね?」

「大丈夫。私達の中で争う事なんかしないから。話を戻すけどそんな物を手に入れて何を……あ、分かった! いよいよ世界を奪るのっ?」

「ハナ、その発想は彼と同じだよ?」

「……前言撤回。私はあんな戦闘狂じゃないもんっ!」


 戦闘狂――誰だろう? 多分、私は会ったことがない。

 サクラさんとは一度だけ会ったことがある。ハナの昔の相方だった方だ。

 今でも仲が悪いわけじゃないみたいで、手紙のやり取りはしてるみたい。

 どうして二人が別れたのか、私は知らない。ハルさんも知らないみたいだ。


「僕は別に何もするつもりはないよ。これを使って世界をどうこう出来るとも思わない」

「それじゃどうするの?」

「どうもしないよ。だけど、十三片あるなら、この際だから全て集めようと思ってね。僕だって何もかも知っているわけじゃないから、知恵を借りようと思ったのさ。この手の事はハナが一番詳しいだろう?」

「私が一番……そ、そっかぁ、お師匠は私を頼りにしてくれてるんだぁ」

「勿論。制御する準備はしてるよ。ネイ達に依頼もした」

「ネイさんに? どういう状況?」

「ああ、実はね」


 昨日の襲撃事件について話が始まる。

 ……いよいよだ。

 私は来るべき嵐に備え、吹き荒れる前にあっさりと四散して拍子抜け。

 結局のところ、優しく微笑むハルさんの前にして、怒りを継続させる事なんか、私達には出来ない。



 ――静かに悲しむハルさんの姿を見て、そうさせた相手へ本物の怒りを抱くのはもう少し後の話。

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